慈濟傳播人文志業基金會
福を修め、 日々米蔵に米を蓄えるようなもの 知恵を働かせば、 小さな種も天地を内包している
小さな種も大樹に成長する
どんな小さな力にも
無限の可能がある
 
再び年末祝福会と慈済委員と慈誠隊員の認証式の時が巡ってまいりました。それはまた古い一年が過ぎて、新しい年が来臨したことを告げています。一秒一秒がつもって一年となり、毎日が時と駆け足をしているように、いつの間にか五十年を過ぎが来年は五十一年目に邁進します。
家庭の主婦たちが日々五毛銭を貯蓄していた「竹筒歳月」が慈済の慈善志業の始まりでした。早期の「慈済月刊」をめくると、献金した人の名前と五元、十元の金額がぎっしりと記載されています。このわずかな浄財は少しも漏れなく貧苦と救難にいる人たちのために使っていました。
功徳会創立当時は住む所も精舎もなく、普明寺の裏に仮住まいをして、わずかな畑を借りて農業をするかたわら、針仕事の収入で自力更生の生活をしていましたが、どんなに苦しくても堅い志を持って貧民救済の奉仕を担っていました。毎月の配付日にはケア家庭の人たちが救済米を受け取りに来て、お昼には皆がおじやを食べて満腹して帰ることを願っていました。そんな中で常住尼僧の生活は苦しく常に米櫃の中が空でどうしようもなくなった時は、普明寺からお米と食用油を借りてしのんでいました。
屋外にある鉄の桶を拾ってきて炉にし、借りてきた米を洗って水を入れ、その下に開けてある穴に薪をくべておじやを作ります。人数が多い時は水を足します。鍋の中に映る青い空と白い雲、それに木々の緑を見た時、私はその米粒のなんと貴いことかと、思わず心の中で感動していました。
それは「仏教克難慈済功徳会」時代の私が、他人の軒下に身を寄せながらも借金をして苦難の人たちを救済していた苦難の時代でした。
今まで歩いてきた艱難な慈済の救済奉仕の道は、次第に人々に認められるようになり、花蓮から台湾各地に志を同じくする会員が増えました。一粒の米は一俵に、一滴の水は川のように大きくなり、慈善、医療、教育、人文の四大志業が発祥地の台湾から世界の国々へと向かって広がっています。
瞬く間に過ぎた五十年は数々の困難にも会いましたが、終始堅い道心を忘れずに一歩一歩んでまいりました。当時の苦労を振り返ると、感謝の気持ちで満たされます。困難に遭った時には、多くの発心した人たちが私たちの前に立って導き、後ろ盾になって愛の道を敷いてくれました。世界百九十七カ国にある慈済の愛の足跡は九十ケース以上に上がりほとんど地球を半周しています。
昨年の歳末祝賀会で、私は「大愛を世界に広げて、情の道を古から今に至るまで」と皆を励ましました。今年は大愛をさらに遠くまで広げるだけでなく、一日一日米蔵に米粒を蓄えるように福を修め、知恵を持つ中に小さくとも天地のあるよう願っています。
慈済は福を修める道場です。自分一人の力など小さな力だと侮らないでください、その小さな力も集まれば無限の可能性を発揮できるのです。慈済初期の克難精神を持ち続けて行かねばなりません。たとえ自分が食べるために炊く米がなくても、皆で一滴一滴に愛を寄せ集めて、苦難の淵にいる人のお手伝いをしましょう。
慈済は「持慧」の道場です。大樹も始めは一粒の種から成長します。心して天地間の微妙な法理を体得し、広い心を以て人々の中で知恵を練り、衆生を利益するという真理の大道を歩くことです。
慈済人が人々に奉仕することを立願しているのは、内に「誠正真実」をこめ、外では慈悲喜捨を願い苦難の人に抜苦与楽と同時に法水で煩悩を洗い流すことです。奉仕は造福でありまた慧を修めることです。信心を堅くもって菩薩道においても福慧双修を続けなくてはなりません。
 
立願発心を永久に
菩薩の志願は堅く
苦難の衆生に造福をしよう
 
慈済の大家庭には毎年、委員(ボランティア幹部)と慈誠隊員(男性ボランティア)が誕生しています。今年は二十九カ国から二千人以上の海外慈済人が台湾へ帰ってきて慈済委員と慈誠隊員の認証を受けました。
古参ボランティアは長年にわたって細心に新人を導き、絶えず愛の糧を与えていました。彼らも辛抱強く一心に見習い訓練を受けて実り、はるばる台湾へ認証を受けに来て、菩薩道を歩むことを決意しています。
五十年来、慈済が力を尽くして世界に愛と善の種を蒔いているのは、一人でも仲間が増えることによって、さらに苦難の衆生に造福することができるからです。今では、一粒一粒の種が芽を出し成熟して大木に成長しました。大木の花が咲いた後に実り、種がまた蒔かれます。これが「一生無量」なのです。
認証を受けた慈済委員の胸には「仏の心師の志」と書いたリボンがつけられています。仏の心とは大慈悲心で、わが師、印順導師の志「仏教のため、衆生のため」とは仏法を善用して天下の人々に利益することです。皆は異なる国々からきて言語、文化背景は違いますが、同心、同師、同志の心の言語は相通じます。ですから心を一つに、和やかに愛をもて協力し合わなければなりません。
オーストラリアから来たマン・アイレンは台湾語を聞いて分かりませんが、それでも毎朝皆と「説法」を聞きます。そして、その後や読書会で、ボランティアたちが法を解説して聞かせてあげ、法を吸収していました。これは単に法を耳で聴いていたのではなく、長年つぶさに目で見て心に慈済の行動を焼きつけて来たからでした。
ベトナムの市場で小さな商いをしていた范氏貴は、自動車事故に遭った後慈済の救済を受けました。その後、自分よりも貧しい人を助けようと立願して慈済委員になり、百人以上の会員を集めました。
ミャンマーのウ・ティン・トンは二○○八年のサイクロン・ナルギス災害後に慈済との縁がありました。慈済が現地で支援活動をしていた時、貧しい農家が毎年種もみを借りて収穫した後に返済を繰り返していたので、なかなか貧困から抜けられないことを知りました。そこで慈済は種もみを支援することを計画しました。ウ・ティン・トンはその支援活動と静思語の影響を受けて、生命の尊重を実行に移して、農薬や殺虫剤を使わず稲を育てたら豊作になり、種もみを借りる必要がなくなりました。
彼は「竹筒精神」にならって、一日五銭の代わりに一日に一握りの米を蓄え、隣近所にも米貯金を勧めて同郷の貧しい人たちを助けました。この度、彼は認証を受けるために台湾へ来た時に言いました。「もしも慈済が私に一千元援助していたらたちまち使い果たしたでしょう。しかし慈済は慈悲をくれました。それは生涯使いきれない資産でした」と話しました。
新しく誕生した彼ら菩薩たちの発心立願の過程はどれも感動的でした。人生で困難に遭うことは免れられませんが、幸いにして恩人に巡り合うと心境は一変して、逆境を変えることができます。彼らのストーリーは、誠の心を持ち続けていれば、愛の力は循環することを実証しています。
 
困難にも退かず
さらに前進する
善に解釈してすべてを包容し
逆境の試練に感謝する
 
仏陀が菩提樹の下で悟られた刹那「不思議だ不思議なことだ、大地の衆生は悉く如来の知恵と徳相を具えている、ただし妄想にとらわれているために明らかにすることができないのだ」と言われました。仏陀が示されたこととは、衆生にはみな仏性が具わっているが、一念の差によって無明が起きると是非の分別がわきまえられず、欲念が尽きずに愛、恨み、情、仇に纏わりつかれる、ということです。
ですから悪業は雪ダルマのように膨れ上がって、世間は濁気に満ちてしまうのです。
どうすれば危機を生気に変えて、汚濁を清らかにすることができるのでしょうか? 仏法は世を救う妙薬です。無量義経に曰う「微渧先堕、以掩欲塵」とは、法水は欲望の塵土を平息させることができる、仏法に深く入るには「法」によって、煩悩を治さなければならないということです。
念仏は口先だけでなく、「仏の心を己の心とする」ことが必要で、心は常に仏陀の大慈悲心を堅持し、法を聞いて理解するだけでなく、日常生活に応用して自分を変えることです。
菩薩道を歩くには、人々の中に入らねばなりません。人が多いと雑音が多く堪忍が必要です。もしも耳障りな声や嫌な顔色の人に出会ってそれに気を取られていると、道心が退きます。
厳しい逆風がなければ、修行してきた道の力がどれくらいのものなのかを量ることができません。仏陀は修行した過程でもさまざまな障害にあわれましたが、恨まずに感謝の気持ちで克服され、優しく前向きに忍耐の心を持っておられました。難行と思っても退かず、前進すれば菩薩道が成就するのです。
菩薩を志す慈済人は、必ず困難であっても赴き、困難をも可能にします。人々の中にいても周りの煩悩に同化せず、「事」を以て「理」に、慈済の薬膳「四神湯」(足るを知る、感謝、何事も善に解釈する、受け入れる)を使って煩悩をなくします。付き合う時は心を合わせて仲良くし、互いにいとおしみ合い、協力し合うという「四物湯」を用いています。そして、さまざまな試みを受けても常に耐えます。
宇宙の大覚者仏陀は、私たちに「無常観」を持つこと、そしてなおも「生命の価値観」を打ち立てるべきと教え導いています。皆が刹那を把握して家庭のために尽くす以外に、社会のため、また自分の人生のため、正しい道を進むことは重要です。
菩薩道を行う時は「聞、思、修」だけでなく「信、願、行」が必要です。もしも発心立願に行いが伴わなかったらそれは空発願です。「願」と「行い」は並行しています。
衆生のために休まずに、法を聴いて、法を伝えることが精進です。菩提の道を永久に少しも偏らずに歩むことは勇猛であり、勇猛精進であれば菩薩道から成仏に向かうことができます。
 
慈悲と愛は人心の滋養
世に慈悲と関心を寄せ
大愛に努め奉仕をしよう
  
フランシスコ・ローマ教皇は、二○一六年を「いつくしみの特別聖年」としました。十一月三日、教皇はバチカンで各宗教団体代表と対談され、慈済も招待を受けました。教皇は、地球の天災人禍が絶えず、生態破壊の際に「慈悲と愛」の精神を以て人心を滋養することが、最も必要であるとおっしゃいました。
すべての宗教は「慈悲と愛」から離れることはできず、宗教の実質とは無私の愛で衆生に尽くすことです。ですから正しい信仰はお互いに衝突しません。異なる宗教間で、手を携えて苦難の世に愛の力量を発揮することです。
愛のエネルギーは一人一人の心から発揮されます。平安な国で生活できる幸せに福を知り感謝しなければなりません。広い心で世の中の苦難の淵にいる人々に関心を寄せましょう。
極端な気候変化に、天地の災難が多発している現在、人心の浄化を強化しなければなりません。人々が慈悲の心を培い、貪婪と欲念を抑えると、天下の災難から離脱することができます。皆さんの精進を願っています。
NO.240