慈濟傳播人文志業基金會
友の勧告を聴いて
麻薬を売って稼いだ金で母に孝行した
母は「汚れた金なんかいらない」と突っ返した。その言葉を聞いて苦しかった。
家の暮らしをよくしようと思っていたが、それが多くの家庭に危害を及ぼしたことを知らなかった。
今は誰も私を信じてくれないが、私を愛する人を失望させないと決めた。
 
私は台南明徳外監役(刑務所)に設置された麻薬患者更生収容所で高肇良さんと知り合って以来、三年にわたって文通を続けていました。今年の六月に三、四日の仮保釈があったので、急遽彰化へ高肇良さんに会いに行きました。屏東の実家を離れた時は、周りの人たちの目を気にはしていなかったが、また麻薬の道に後戻りするかもしれないと恐れていました。
これまで刑務所を出たり入ったりしました。釈放されて家に帰ってくる度に悪友が訪ねてきて、麻薬をくれたり、麻薬販売に誘いました。誘いを断れない度に、「あと何回かやってお金が貯まったらやめよう」と思いましたが、結局やめられませんでした。
この環境と悪友から逃れようと桃園、中壢、新北市の中和、土城などで働きましたが、また見つかってしまいました。一、二度断っても再び元の木阿弥です。そして台湾を遠く離れたベトナムで事業を起こし、悪友からきっぱり離れようと思って行きましたが、外国でもこの深い罠に飛び込むことになるとは思いもよりませんでした。この道に踏み込んだ後、事業をほったらかして、カンボジアから麻薬をベトナムに運び、またもや麻薬売買の暴利を貪るようになってしまいました。
その後、六人の運び屋が逮捕されたのにショックを受けて目が覚め、これ以上やってはいけないと思いました。中でも麻薬売買は無期懲役か死刑ですから、再び台湾へ帰りました。
私は十五歳の時に少年院に入って以来、銃刀法違反、傷害、麻薬などの罪で刑務所を出たり入ったりしました。この期間を数えてみたら十年以上になっていました。私一人が麻薬という犯罪を犯したことで、家族全員を苦しめていたのです。ですから高肇良さんの経験に頼って、再生の道に踏み出し、自分を愛している人たちを失望させてはならないと思いました。
 
自分に再生の機会をあたえて
 
母と姉に付き添われて、彰化県の永靖郷へ行きました。高肇良さんが見つけてくれた借家に入って、彼の運転で仕事を探しに行きました。鉄工、はんだ付け、園芸農家の運搬係りなどを回って、最後に看板屋でやっと採用されました。
この間はどんなに忙しくて遅く寝ても、早朝七時半には必ず目が覚めるのは、過去の四年間身についていた刑務所生活の習慣でした。自分の労力によって得たお金は少なくても喜びがあり、安心して使え、後ろめたさがありません。今の私は三十歳で、まだ若く、再生の機会が残っているはずだと思いました。
以前儲けた大金を好き勝手に使っていた時は、かっこいいと思っていました。しかしそのお金で孝行しようと母に渡した時、「こんな汚い金をどうして使えるの? これは多くの人を陥れたお金でしょう」と言われ、心が痛みました。普通の人と同じように儲けたお金で、家族が少しでも楽になると思ったのに。しかも危ない橋を渡って儲けたお金なのにと、恨みに思いました。
これが当時の無知な私の考え方で、ただ金儲けをすればいいと思っていたのです。その背後でどれだけの家庭に危害を与えていたか、そして幸せを奪っていたかに思いも及ばずにいたのです。今は更生した新たな人生の中で、麻薬常習者を感化しようと決心しました。一人を感化できれば一つの家庭が救われるのだから。
台湾の法律は、ただ処罰だけに重きをおいているため、刑務所はいつも満員です。なぜ犯罪率がこんなにも高く、更生率が低いのでしょうか。その実、麻薬常習者は更生したいと切実に望んでいるのですが、心から手を差し伸べる人はいるでしょうか。
たとえ手を差し伸べる人があったとしても、その手を受け止められないとしたら、刑務所に入っていたことで自信をなくし、人目を気にしているからです。今回、刑務所を出て麻薬に興味がなくなっただけでなく、思い出したくもありませんでした。日中は出勤して仕事に励み、休日は高肇良さんやボランティアたちと学校や刑務所に行って麻薬撲滅を訴えています。
また仮保釈中は、毎月屏東の地方裁判所へ行って保護責任者と面談しなければなりません。前回に帰った時、刑務所の同室で同じく仮保釈の人に出会いました。彼は私の耳元で、「まだ少しだがこっそりやっているよ」と言いました。
私は「同房のよしみで言うが、これからは絶対麻薬に触るな。この人生で刑務所を出たり入ったりしていたら、最後に後悔しても取り返しがつかないから。もしもきっぱり麻薬から離れるなら、いつでも彰化に来なさい。歓迎するから」と言いました。
 
再度の試練
 
今年の九月、彼は彰化の員林で重大な自動車事故に遭いました。肋骨が六本骨折し、鎖骨は粉砕性骨折し、救急センターに送られ、痛みに耐えながら、高肇良さんと慈済ボランティアに連絡してくれるように頼みました。
母と姉が駆けつける前に、慈済ボランティアは家族のように付き添い、高肇良さんは更生人関心基金会に援助の申請をしてくれました。二週間入院した後、屏東の実家へ帰って療養しなければならないので、やむなく彰化の借家を引き払い、やっと探した仕事も続けることができなくなりました。社会に出たばかりでこの大きな試練に遭っても彼は不運だと思わず、体の傷が癒えたらまた社会に戻って頑張ると言いました。
彼の鎖骨には鋼がはめ込まれ、肋骨は大分よくなっていますが、日常生活は家族の手を借りなくてはなりません。落ち着いて療養に専念し、健康になったらまた彰化へ行って仕事とボランティアをするのだと意気込み、高肇良とボランティアたちも一日も早くその日のくるのを待っています。
 
 
NO.240