慈濟傳播人文志業基金會
刑務所から総統府まで
高肇良は刑務所を出た後、時々悪夢にうなされて目覚める。自分がまた刑務所行きの車に乗せられた夢である。
ほんの一時薬に手を染めたために、一生更生し続けなければならない。麻薬拒絶の講座は毎回が彼自身に対する警告である。
昨年、総統自らが「旭青賞」を授けてくれた。彼は今でも気を引き締め続けている。
 
厳しい面持ちの彰化刑務所の刑務官に連れられて、彰化慈済ボランティアは施錠された鉄格子の扉を幾度もくぐり抜け、第七工場の大教室に着いた。鉄格子が入った窓や扉は麻薬中毒者にとっては彼らを「保護」するやむを得ないものであると同時に、彼らを社会から隔離するものでもある。人としての尊厳と自由も鉄格子の中に閉じ込められた感じだ。
百人余りの受刑者はみな同じ白いTシャツに紺の短パン姿で、扇風機が置かれているほかはスローガンが書かれたポスターだけの鉄格子扉で施錠された教室に座り、静かにボランティアが来るのを待っていた。彰化刑務所には二千五百人を超す受刑者が服役しているが、その半数以上が麻薬危害防止条例に違反した者である。
壇上で慈済ボランティアの高肇良が自分の麻薬中毒と服役の経歴、家族の気持ちなどを話した。聴衆の受刑者たちは珍しく静かに聞き入っている。講演している人が「自分を理解してくれている」と感じたからだ。
二〇〇九年の初夏、高肇良はこの刑務所から出所した。三十四歳だった。この数年間、彼は異なった身分でボランティアと共に再びこの刑務所を訪れた。刑務所内の十二の工場を回って講演し、刑務所と受刑者から「高先生」と呼ばれるようになった。
 
刑務所や少年院に入ると、高肇良は心が痛むと同時に願が頭に浮かぶ。痛むのは若くして世間知らずだった過去の人生への後悔から。今、新たな人生を大切にし、感謝の気持ちである。彼は自分の人生の話を聞いた受刑者が戒めとし、再び麻薬に溺れて人生を台無しにしないよう励ましている。
 
 
高先生は家路を急ぎ菓子を売る
 
人生が脇道に逸れたが、幸いに崖っぷちで止まることができた。高肇良は自分の不甲斐なさを曝け出すことで精進し、講演を続けた。かつて服役していた雲林刑務所、台中刑務所、南投刑務所、そして、薬物に手を染め始めた時に通っていた母校の中学校にまで足を伸ばして講演した。「私を見て、自分にもできるのだと信じて欲しい」と励ましてきた。
講演の対象が刑に服している受刑者であれ、学校に通う学生であれ、講演を依頼されれば、彼はボランティアと共にできる限り時間を作って行くことにしている。ここ数年来、刑務所や少年院、学校、地域社会などで三百回を超える講演をしてきた。今年の一月から九月までだけでも百回を超え、彰化のボランティアは事前の宣伝に延べ三千人余りを動員した。
学校が夏休みに入る前の五月だけで、彼は二十五日間講演した。以前、薬物を使って恍惚状態で交通事故を起こし、喉の気管が破れたため、今でも講演が続くと声がかすれる。しかし、彼は講演できる縁をとても大切にしている。それは当時、一生、経鼻胃管を使用した生活になると医者に言われたが、彼は気力で以てその宣告をひっくり返したからだ。
高肇良と妻の謝舒亜は故郷の彰化県の永靖街でリュックサックを売る店を開いた。愛玉子ゼリーや菜食の菓子類も一緒に売っている。彼は講演前夜には講演の準備をするだけでなく、愛玉子を洗って、砂糖を炒めておく。次の日、講演が終わると急いで帰り、店を開くためである。麻薬中毒者が社会に復帰して仕事を得るのは容易でないことを彼はよく知っている。彼はお菓子類を売って、利益の一部を更生者を支援する基金に寄付している。
麻薬に手を出すことは
親を最も悲しませること
 
高肇良は講演が終わると必ず聴衆の一人ひとりと握手する。握手することで手の温かみを通して、「途絶えることのない関心と祝福」を伝えたいのだ。その温かみが変化をもたらすきっかけになるかもしれないと彼は思う。          
更正するなら刑に服している今から始めるべきであり、出所するまで待つ必要はない。刑務所も小さな社会なのだから、と高肇良は受刑者を励ます。彼自身も出所する前、やはり麻薬中毒の更生者だった慈済ボランティアの蔡天勝に感化され、正しい道を歩み出すことができた。この数年間、彼は蔡天勝の手法に習い、各地で講演する以外に、数多くの受刑者と文通して彼らを励まし続けてきた。
高肇良の手元には七、八百通の手紙があるが、それらは花蓮刑務所や彰化刑務所、台中刑務所から送られてきたものである。月に二、三十通来るが、彼はほとんど自筆で返事を書いている。「全ての手紙は出所後の新たな人生を意味しており、更生して欲しいという子供への家族の最後の思いでもあるのです」。それ故に、彼はどの手紙も重く受け止め、じっくり考えて返事を書いている。
華やかな青春時代の十数年間を麻薬中毒で何度も刑務所を出入りした高肇良には、受刑者が手紙を受け取る時の気持ちがよく分かる。「いまだに誰かが自分のことに関心を持っていてくれる」。手紙の中で、親に顔向けできなかったり、世話する人がいない高齢の親を思う文面を見ると、彼はボランティアと個別にその家庭を訪問する。時には受刑者の家庭が経済的に困難状態にあったり、病気になっているのを発見することもある。その場合、積極的に慈済基金会の社会福祉人員に通報し、実情に合った補助を提供したり家庭訪問を行っている。
麻薬が貧困や病を引き起こす事例を高肇良はたくさん見てきた。その多くは刑務所に入ると、直接的あるいは間接的に家族の生活が困難な状況に陥る。心優しい高肇良は彼らの家庭状況を確認したり要望を達成してから、すぐに受刑者に返信を書く。彼らに、安心して服役し、将来、親孝行するよう伝える。そして、必ず、「出所したら二度と戻って来てはならない!」と老婆心で付け加える。
彼が最も心を痛めるのは、麻薬常習者の家族が彼の店まで支援を請いに来る時だ。その多くが親である。ある夫婦は高肇良の講演を聞いたことがあり、わざわざやって来た。母親は泣き通しで、父親は黙っていた。台北で働いている子供が麻薬に手を染めた。彼らは麻薬を見たこともなく、どうやって子供を更正させたらいいのか分らなかった。
両親は愛で以て付き添ってきたが、子供はいつもお金を盗んでは麻薬を買った。麻薬が常習になって何年にもなるなら法に裁かれることを、高肇良は提案した。さもなければ、苦痛は際限なく繰り返されるだろう。
 
同級生はいるだろうか?
 
高肇良が刑務所で講演した時、小学校や中学校の同級生や、服役していた時に知り合った友人に偶然出会った。その数は十人を下らない。そこから麻薬が際限なく人々を陥れていることが見て取れる。麻薬を買うために盗みや強盗をしたり借金するが、借金しても返す当てはない。「家がどんなに金持ちでも、いつかは麻薬で何もかもなくしてしまいます」。麻薬中毒は個人の健康を害するだけでなく、社会問題にまで発展する。
麻薬常習者の八割の家庭はそういう問題に遭遇している、と高肇良は言う。お金がないために家族を殺めたり、「果ては中毒者や親が、耐えられずに自殺に追い込まれるのです」と話す。
長期間、仮釈放された麻薬中毒の更生者に付き添うことは、「干上がった土地で植物を育てるようなものです」と高肇良は言う。種を蒔いたらその成果が見えるわけではなく、励ましと包容力で根気よく付き添っていくしかないのだ。時には受刑者と長年に渡って文通し、出所した後は引っ越しや職探し、社会に復帰するための日常生活を取り戻す手伝いをするが、「しばらくするとまた元の木阿弥です」と言う。高肇良は心が痛むが、気を取り直し、自分を信じるようにしている。「簡単に打ち負かされていたら、次の人に付き添って行くことはできません」
この三年間、彰化地方検察庁は毎月、刑期満了を迎える仮釈放の受刑者数十人を定期的に慈済のリサイクルセンターに来させ、資源の回収や分類などのボランティア活動に参加させている。中には刑期が終了しても、引き続きボランティアとして通っている人もいる。現地の慈済ボランティアは彰化県教育署の同意を得て、県内の二百十五カ所の小中学校で麻薬撲滅の宣伝を行っている。
高肇良は彰化県麻薬危害防止を宣伝する講師に招かれているほか、普段から彰化県社会福祉課の職員と麻薬更生者を訪問している。また、彰化更生保護協会は無利息でローンを提供しており、心底から更生しようとしている人が高肇良に見習って愛玉子ゼリーの店を出す手助けをしている。
近年、麻薬は以前よりも氾濫しており、高肇良は心が重い。彼が中学生の時はアンフェタミンは刑罰に値しない三級危険薬物に指定されていたが、後に二級危険薬物に改正された。今、学生の間で流行っている三級危険薬物のケタミンが将来、二級危険薬物に指定されたら、もっと多くの若者が刑事責任を問われ、前科を残すことになる。彼はそうなる前に、一時の好奇心から健康を害したり、法に触れることがないようになれば、と思っている。
 
全ての講演は自分に言い聞かせるもの
 
経験のある人はいつも「一時、麻薬に手を染めたら、更正するのに一生かかる」と言う。大衆に向かって自分のことを話すのは勇気と願力が必要である。高肇良はそれを機に他人に警告を発すると同時に自分をも戒めている。
長年、福音厚生の旭光会を主催してきた劉民和牧師が言っているように、麻薬は「全人(その人の全て)」を破壊してしまい、時間と愛と忍耐があって初めて更生に成功するのである。その道を歩むのは容易なことではない。
また、「道を急ぐ雁」という全人ケアセンターを創設し、出所した更生人に付き添っている劉昊牧師も、「麻薬を使い続けて二十年や三十年になる人は、更生にも十年や二十年かけて初めて成功すると言えますが、完全に更生したと言えるのは死んだ時です」
高肇良は最後に出所した後も時々、悪夢にうなされて目覚めた。夢の中で警察の車に座っていた。かつて母親が鉄格子の扉を作り、家に閉じ込めて更生させようとしたことがある。その期間、禁断症状のために大小便を失禁し、母親がそれを始末してくれた。高肇良は両親が彼を見捨てなかったから、新たな人生を歩むことができたと感謝している。昨年、彼は麻薬更生者として麻薬防止活動に参加し、総統直々にから「旭青賞」を受け取った。
高肇良は自分が歩んで来た道を大切にすると共に、自分の責任と使命を弁えている。「私が活動をやめることは大勢の人を傷つけることであり、全ての人が自信を失うでしょう」。今、麻薬防止活動をしていても、彼は常に気を引き締めて自分に言い聞かせている。
 
 
NO.240