慈濟傳播人文志業基金會
夢を継ぐ若者

❖台北市・陳揚慈

二十歳ちょっとの陳揚慈さんは、生まれも育ちも台北近郊の自然豊かな陽明山です。活力にあふれ活潑な揚慈さんは、山登りをしたり辺鄙な地域へボランティアに行くのが好きです。二〇一六年、夏休みを利用して徒歩で台湾一周を達成しました。アウトドアが好きな反面、揚慈さんはまた正真正銘の環境保全ボランティアでもあるのです。

Tシャツに黒のズボン、頭には野球帽をかぶり、軍手をはめて、といった姿が環境保全ボランティアの基本装備です。

お父さんと回収車のトラックで出かけようとすると、捨てられていたのを拾ってきて、茶葉蛋(茶葉と煮込んだゆで卵)、大耳朵(大きな耳)というおどけた名前をつけられた二匹の犬といつものように遊んでから、トラックに乗って行くのです。揚慈さんは生まれつき心の優しい女の子です。生きとし生けるものを大事にするだけでなく、小さい時から肉食を好まず、素食をしたいと親にお願いしました。大きくなってからは、家畜を飼育するには莫大な資源が消費され、環境にも負担をかけることを知りました。それが、揚慈さんが素食を貫く固い決心にもつながり、そして、周りの友達に素食を勧めるようにもなりました。

「勉強のほかに、一番やりたいことの一つが、『環境保全』です」と彼女は言います。若いのにもかかわらず慈悲心でこの大地を愛し、命を尊重するとの思いは同世代の人よりずっと優れていたと思います。

 

やっと見つかった後継者

 

揚慈さんの祖母は慈済ボランティアで、家族の中で一番早く環境保全に目を向けた人でもありました。祖父をはじめ両親も祖母の影響を受けて資源回収に加わったのです。揚慈さんは二~三歳のときから祖母に連れられて環境保全の活動に参加してきました。中学生になっても、学校が終わると、両親は回収物を満載した車で彼女を迎えに行った後、環境保全拠点へ直行します。親子は一緒に当日回収してきた物を分類、処理し終えてから帰宅することがしばしばでした。ですから、揚慈さんにとって、環境保全とは、家風でした。祖母から受け継いできて、すでに日課として生活の一部になっていたのです。

二〇一四年八月、揚慈さんは運転免許証を取得しました。お父さんのように、一日も早く三・五トンの回収トラックが運転できるようにと願っていました。それは、長年にわたって重い回収物を運んだりして、腰や背中に痛みなどの症状が出てきたお父さんのことを心配していたからです。もしトラックが運転できたら、お父さんの代わりにハンドルを握るだけではなく、回収物の運搬作業も手助けできれば、お父さんの休み時間が増える、と優しい揚慈さんは考えるのでした。

学校がある期間中も、休みの日やちょっと時間がある時は、必ず環境保全拠点に行きます。たとえ夜、学校から帰って来たばかりの時も、陽明山にある文化大学付近の夜間回収拠点に手伝いに行きます。

娘の熱心さを見てきた父親は、「この大事な環境保全の後継者として期待できそうだなあ!」と言って、嬉しそうな安堵した顔をみせました。

 

年長者が行いを以て子どもを育む

 

揚慈さんは大家族の中で育ちました。今ではとても珍しく三世帯が一緒に住んでいます。住宅も昔の三合院建築(台湾の昔の伝統的な建物)で、「正身」と呼ばれる母屋が今でも残っています。古風な屋根やレンガのたたずまいが、この家族がいかに伝統を守っているかを示しています。家族は大勢ですが、和気藹々と互いに助け合いながら生活しています。小さい時からそのような環境の中で育てられ、おのずと長幼の序や人として守り行うべき道徳を身につけていったのでしょう。

揚慈さんは、家事は言うまでもなく、炊事や子守り、また簡単な修理や、電球交換なども全てこなせるのです。地域の環境保全の仲間たちは、「明るく思いやりがある」と、揚慈さんのことを褒め称えます。それに礼儀正しく、年長者が重い荷物を持っているのを見ると、すぐ手を差し伸べてあげます。揚慈さんが自発的にボランティアの行列に入り、年長者に優しく配慮するのは、実に祖父母や両親の影響によると言えましょう。まさに彼女自身が言うように、「年長者の教えは私の心に刻まれている」のです。

揚慈さんと両親の関係はまるで友達のように和やかで、時々冗談も交えて話し合っている様子を取材している私たちも見ました。「家内には感謝しています。子どもが小さい時から、朝食は家で食べることを堅く守ってきました。増えた親子の時間を大切にして、親が寛大な心で子どもを包容し、話に耳を傾けてあげれば、大きくなっても自然と親に親近感を抱くでしょう」と、お父さんは言いました。家庭教育が子どもの人格形成にいかに重要であるか分かりました。両親が知恵を働かせて子どもを育てあげたからこそ、今の揚慈さんがあるのです。

 

人生の方向

 

青春まっ盛りの揚慈さんは、タレントを追っかけたり、化粧品や買物に興味を持ったりもせず、その代わりに、大地や自然、そして社会問題に関心を持っています。大学の四年目に入ると大部分の学生は、卒業即失業かもしれないという不安に直面します。ですが、揚慈さんは、「有意義に人生を送りたい」と自分の願望を話します。

ひょっとすると、彼女は山登りをしたり徒歩で台湾を一周したり、ボランティアに参加したりといったプロセスによって、自分の価値を知ろうとしていたのかもしれません。そして結局自分が一番好きなのは、やはり環境保全の仕事だと気づきました。外出の際に箸や弁当箱などのマイ食器を持参するだけではなく、周りの人にも素食するよう熱心に勧めます。また「将来ゴミを生み出すような仕事に就いてはならない」とも考えてもいるようです。

大量の回収物の中には、想像を絶するような汚ないものが含まれていたり、異臭がしたりします。それなのに、一人の若い女性がどのようにしてそのような悪条件を克服して、やり続けてきたのでしょうか。

「環境保全はゴミ収集のように認識されていましたが、私はそんなに汚いものとは感じていないのです。人間が作り出した廃棄物ですから、自分が捨てたゴミをまた自分の手で処分するようなものです。将来もし両親がしなくなっても私は続けてゆく決意を守ります。『環境保全ボランティア』は、私の人生の道程において、大切なエネルギーの源であるかもしれませんね!」と、揚慈さんはしっかりした口調で語りました。  

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