慈濟傳播人文志業基金會
この世に広く願をかけ、安らかに楽しく行おう
 
この五濁悪世で
四法を以って人心の浄化に努める
四法とは身安楽行、口安楽行
意安楽行、誓願安楽行
煩悩を起こさず
衆生と善縁を結び
愛の力を広めよう
 
世界自然保護基金(WWF)と国際シンクタンク、グローバル・フットプリント・ネットワーク(GFN)は毎年、人類による地球資源の消費量が、地球が供給できる資源の再生産量を上回った日を、アース・オーバーシュート・デーとして発表しています。この統計計画は一九九三年に発表され、年々その日付けは早まっています。二○○三年は九月二十二日、二○一五年は八月十三日、そして今年二〇一七年は八月二日をもって、地球資源の消費量が供給量を超過し、人々は借金生活を送ることになりました。
 
地球の人口増加にともない、森林と草原が減少する反面、ますます高く聳えるビルが林立し、自然生態が人によって作られる環境に変わっています。人類による森林破壊は、自ら自分たちの生存空間を破壊する行為です。気候は乱れ、地水火風の異常による酷暑や厳寒に耐えねばならず、万物生霊は安らかな生活を失い、穀物や野菜など、食物の成長も脅かしています。「因なければ果なし」と言われますように、人類がこのまま悪因を造り続けてゆくと、その後にもたらされた苦果を自分で食することになります。
 
現代人は心の欲するままに、過度の開発と消費を行います。天然資源が絶えず物資の生産に用いられ、有用の物も無用になってゴミとして蓄積される悪循環により、地球が負わされた負債はますます厳しくなっています。
 
地球の資源が枯渇し始めている今、災難を減らすには、人々が身を以て始めなくてはなりません。資源を大切にし、節水節電を心がけ、環境保全によって環境破壊を抑えるべきです。肉食を減らし、素食を多くすれば、家畜による大地と空気の汚染を防ぐことができます。食欲はほんの一時のものですが、それが積もり積もれば、地球全体に影響を及ぼします。地球上では飢えに苦しんでいる人が多くいますから、食べ残しをせず、食糧を浪費しないよう心がけましょう。
 
人類には大地を護る責任があります。心の方向を調整し、生活様式を改めて、一人ひとりが節約して造福するよう励まし合い、気候生態が改善するように努めましょう。
 
相手に何かをあげるのではなく
もとより具わっている
慧命を目覚めさせてあげよう 
 
マレーシアのロナントは、ペナン慈済透析センターに通う患者です。毎週三回の透析は、一回四時間かかります。この時間を、彼は大愛テレビの番組を見て過ごしているうち、だんだんと心が落ち着いてきました。
 
以前は病気を事実として受け止めることができず、家族に当たり散らし、とくに息子には辛く当たってきました。しかし、大愛テレビの番組を見て以来、慈済が提唱する仏教の智慧と愛は、聖書の中で学んだことと全く同じだと気がつきました。それ以来、短気を改め、親子関係がよくなり、幸せな家族になりました。
 
マレーシア慈済透析センターは、開業してから今年で二十年目を迎えます。慈善を行う因縁によって誕生しました。当時、ボランティアが訪問ケアを行っている中で、貧困家庭にとっては長期透析の医療費が高額であるため、さらに貧困に陥っていることが分かりました。そこでボランティアは募金活動をして透析センターを建設しただけでなく、台湾へ帰ってどのようにすれば患者と医療スタッフに向き合い、質の良いセンターにすることができるか学んだのです。
 
マレーシアは多民族国家で、信仰心の篤い国です。慈済人は何の分け隔てもなく、生命共同体とみなして、困っている人がいれば、すぐに奉仕を行いました。そして設備の整った慈済透析センターでは、貧困患者に対して無料で治療を行うほか、患者の家族のケアもしています。
 
患者は腎臓透析を受けるだけでなく、心まで清められています。彼らは慈済が誕生した当時の艱難な時代と、それを乗り越えた精神をよく知っています。また、世の中の様子もよく理解しており、愛の心を啓発してボランティアに参加し、人助けをするようになりました。
 
マレーシア慈済透析センターが二十周年を迎えるに当たり、ボランティアは隊を組んで厳かに参拝の儀式を行っていました。足元のわずかな広さの土地に明るい愛を敷きつめ、人々を正確な方向に導き、その愛の力を発散させています。
 
ボランティアは患者に透析治療を施すと同時に、慧命をも啓発してきました。お互いに尊重し合い、相手に何かをあげるのではなく、人々にもとより具わっているたくましい力を引き出してあげているのです。
 
人々が自分の迷いを正すだけでなく、他人をも正し、そうして救った人が多ければ多いほど、救わなければならない人が少なくなります。あなた一人がこの世で奉仕すれば、さらに多くの人が喜んで奉仕するのです。
 
正しい行動、正しい言葉、
正しい信念 
幾久しくこの世で
人々を護るため志願を立てよう 
 
新北市の板橋に住む王陳秀登さんは、今年で八十四歳です。開業して間もない花蓮慈済病院で自動車事故に遭った十四歳の林伝欽さんを救った話を、三十年前に聞きました。
 
重傷を負った林伝欽さんは、下半身がほとんどめちゃくちゃにつぶされていました。医師たちは細心の注意を払って手術を行い、とくに外科の陳英和医師は体の機能が失われないようにと、注意深く切断していたことを話しておられました。
 
王陳秀登さんは花蓮の出身でしたので、同郷の少女を助けようと思いました。そこで慈済ボランティアを探して慈済の会員になり、一九八九年には慈済委員(慈済の幹部のランティア)になりました。そして慈済の医療志業をサポートするために、一日に三軒の会社の食事を作る仕事を請け負い、時には孫をおぶって働き、得た収入のすべてを慈済に寄付していました。
 
また、環境保全ボランティアにもなり、近所の人たちも手伝っています。そして老いても、パソコンを習ったり、いろいろな活動に参加したり、委員の養成に駆け回るなどしておられ、感動させられます。
 
《法華経.安楽行品》の中に出てくる身、口、意、誓願の四法を彼女は成し遂げています。身は善行、口では悪言なく正しい言葉で法を説き、知足善解、誠意を以てこの世に広く願をかけ、とこしえに奉仕しているのです。
 
五濁悪世において説法を行うには、必ず身安楽行、口安楽行、意安楽行、誓願安楽行でなくてはなりません。生命の価値をよく理解して、この世を守護する志願をもって、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の「六度」に努め、励まなければなりません。
 
良い言葉は布施になり、人の憂鬱を解いてあげることができます。忙しい人にも手を差し伸べて手伝ってあげれば、相手の労は軽くなるのです。
 
この世で耐えなければならないことは多々あります。日常生活の中で見る人、事、物などのすべては堪忍を要します。悪言悪語を聞いても、あるいは利益にならない人や事に遭遇しても、それは相手が警告を与えてくれたのだと反対に感謝しましょう。自分にとっての修行であり、さらに精進していこうと思うこと。これがすなわち善解ということです。他人を善解するには、自分が常に勉強し修行を積み重ねるしかありません。
 
試練や苦しみに堪えられない脆弱な心では、修行は困難です。傲慢な驕りたかぶった心で、少しでも意のままにならないことを耐えらないと、悪が頭をもたげます。自分で警戒心を高めて、怒気を調和させれば、台風の前に防災対策を取るのと同じように、災難を最小限に抑えることができます。
 
衆生の恩に感謝し、人や物に接する時は気にせず、お互いに包容すると良い縁の累積になります。煩悩も無明もなく、人と良い関係になるのも修行です。「徳者得也」というように、衆生の心に入って、人を喜ばせれば、相手は話を受け入れてくれ、着実に奉仕ができます。お互いに影響し合い、「六度万行」を無量無数に発揮させましょう。
 
愛は常日頃培う必要があります。菩薩の心とは大空を包み込むように広く、私の心に大衆あり、大衆の心にも私があって、まるで放射線のように発した光は愛のエネルギーを拡散させます。
 
心が乱れれば
過ちを冒して緩慢になる  
時を大切にすれば
諸々の事が成功する 
 
毎日の早朝に、静思精舎の本殿では、常住尼僧と信者が整然と並んでお経を唱えています。「一日の計は早朝にあり」とはこのことです。空がまだ明けきらぬ早朝は、気温もまだ十分に上がっていません。この時間に、人々は同じ心、同じ動作を行います。一日で最も規律のある時間で、その空間には道の空気がただよっています。
 
午前の仕事が終わり、昼食後に皆はもう一度集まります。修行者だけでなく、精舎の職員も、今何をしていようとも、祈祷の音を聞くとすぐその手を止め、敬虔に手を合わせて心を落ち着けた後、午後からの仕事にかかります。夜もまた精進法があります。
 
心が散漫であると、仕事でも過ちを犯したり緩慢になりがちです。もしも時を掌握して、動作をほんの少し多くすれば、その分早く完了します。
 
心に執着心がないと、時は過ぎていき、痕跡を残しません。情、愛、物欲、名利に心が乱れると、規律を守れず軌道に順応することができません。
 
 
どんなに忙しくても、心は常に真理の中。仏の「四智」に学ぶこと。
●成所作智 環境や欲念に引っ張られず、知識を智に転ずること。
●妙観察知 心して思考し、やってはいけないことはしない。やるべきことは真面目に人々を利すること。
●平等性智 衆生平等とは「無縁大慈、同体大悲」を以て人々と共に志を成就させることを目指し、愛を普遍的にこの世に伝えること。
●大圓鏡智 諸法が明らかになり、境地もはっきりすると、清浄な本性に回帰します。
 
この数年来、トルコの慈済人はトルコ国内のシリア難民の世話をしています。六カ所の学校や施療センターも開設しました。今年の八月に、六カ月の孫を抱いたシリア難民がボランティアに救援を求めてきました。孫の手足は生まれつき奇形で、手術が必要でした。彼らは至る所の病院を回りましたが、治療してくれる医師がいても手術費がなく、異郷では日々の生活さえ困難を極めていました。どうしても医療費を集めることができず、慈済に助けを求めてきたのです。ボランティアは緊急に医療費を提供して、手術を受けさせたので、この子は障害者ではなくなりました。
 
世の中の衆生は共生共存しているので、因縁があれば苦難に接触しても一時のことです。この子は将来、健康に成長してゆくことでしょう。自分がどれだけ奉仕したかにとらわれず、また見返りを求めなければ、心は安らかになり、無限の喜びを感じることができます。
 
成所作智、妙観察知、平等性智から大円鏡智に回帰するなら、毎日の生活の中に仏法が着実に根づいています。そうなれば、どの国に行っても真如の本性に戻ることができます。修行には長い時間が必要ですが、もしも道理を「当たり前のこと」と見なせば、困難なことはありません。
NO.250