慈濟傳播人文志業基金會
大愛ラジオ局より祝福を 
今年七月、「慈済月刊」は創刊五十周年を迎えた。これまでのひたむきな歩みをずっと見つめて来た「大切な仲間」として、我々大愛ラジオ局から「慈済月刊」編集部の各位へ、敬意をこめて盛大な拍手を送りたい。
 
「人心を浄化し、睦まじい社会を目指し、世界に災難が起こらないことを祈る」。これが慈済メディア共同体の使命である。これからも證厳法師に安心してもらえるよう、共に努力しよう。「慈済月刊」の五十歳の誕生日に際し、心から祝福を送りたい!
 
私が大愛ラジオ局で勤務し始めたのは一九八九年のことである。それからずっと「慈済月刊」の忠実な読者になり、毎月必ず隅から隅まで読んでいる。大愛テレビと「慈済月刊」の関係も良く、お互いに連絡して助け合い、ニュースがあるとすぐに「今月の担当はどなたですか?」と問い合わせる。文字と音声の二つが一つになってこそ報道は成り立つのだ。このように息の合った関係が今日まで続いている。
 
「慈済月刊」との出会いは、静思精舎で徳宣師父の講義を聞いた時、読むように勧められたのが始まりである。それからというもの、「あなたは本当に熱心に読むのですね。赤ペンで線まで引いているなんて。読んだ後に大事なところはもう一度読み直して、ノートもとっているのですね」。よくこのように言われたものだ。
 

私流「慈済月刊」の読み方

 
私はまず「社説」から読み始める。「社説」を読むと、今月号の要旨や、志業活動の内容が分かるからだ。
 
次に目次を見て、今月の特別報道は何か見る。それから「證厳法師行脚足跡」。法師の一問一答が掲載されているので、これも重要だ。お側でお話を聞くことができなくても、その問答を読むと、法師の智慧に触れ、足跡を辿ることができる。
 
その次は「無尽蔵(お諭し)」の欄だ。法師のお諭しの要点が把握できる。今月号の復習にあたる作業だ。大愛ラジオでは毎日法師のお諭しを放送しており、私も聞いているが、一カ月の内容をわずか四頁にまとめるのはとても大変な作業だろうと、編集者の配慮と努力に頭が下がる。
 
目次を見ると特集のテーマやコラムの内容が分かる。援助活動オンライン、人物紹介、朝会の記事……。台湾のことも世界のことも掲載されており、ラジオ放送に使えそうな記事を見つけることもある。
 
私にとって「慈済月刊」は大切な資料だ。仕事の合間に、いや、たとえ時間を作ってでも、読まないわけにはいかない。自分だけでなく、同僚との研修に際しても「證厳法師行脚足跡」を必ず読み、新人社員が来れば、話題にしている。ここではただの仕事としてではなく、志業を行うという使命感を持って働いてほしいからだ。
 
●2013年慈済ラジオ局秋期集会の様子。放送部役員・慈韻(前列中央)と同僚
及び報道ボランティアの記念写真。記念のトロフィーと盾を手に。(撮影╲林群傑)
 

同時に放送も聞く

 
大愛放送局の報道には三十年来の大事な聞き手がいる。受刑者である。刑務所からの申請があれば「慈済月刊」も送付する。これまで送り返されたことは一度もない。大愛の報道を聞き、加えて「慈済月刊」を読むと、その相乗効果によって、彼らの心にまるで愛の種が蒔かれたかのように、前向きな力が備わってくるのだという。そして、いつしか人助けまでできるようになるそうだ。
 
マスメディアに携わる同業者として「慈済月刊」は非常に参考になる。毎月届いたら肌身離さず持ち歩き、自宅のマンションの公共スペースや、かかりつけの病院など、そのほか机があればどこでも「慈済月刊」を取り出して見ることにしている。これがあれば、スマートフォンでインターネット放送を聞いたり、QRコードをスキャンして誰かのLINEに加入するのと同じように、いつでもどこでも慈済を説明し、理解してもらい、より多くの縁を結ぶことができるのだ。
 
では私自身は「慈済月刊」から何を学んでいるだろうか? たとえば「法師行脚足跡」の内容を理解した後、同僚と分かち合い、報道の前置きに使ったり、アナウンサーに紹介してもらったりしている。
 
毎月のテーマが重要だと気がついたからだ。また、「静思小語」は短いからこそ訴える力を感じる。私たちは声に出して読むことにしている。見出しにも工夫が見られると感じる。
 
このような文章があった。「若い頃法師に付き添っていた慈済の重要な方々は、すでに七、八十歳ですが、変わらずに精進を続けています。法師は、その方々が感恩の心で以て善行を行う姿勢に深く感謝し、苦労をねぎらっておられます。年輩の皆さんは苦しい時も、人々から理解されない時も、不平をこぼさず、喜びの気持ちを心に抱いて、精進してきました。願を発したら、相手の反応にはこだわらず、心の曇りから道をそれることはあってはならないという信念を持っています」
 
この記事の題名は「願を発し、恨みを持たない」だった。「静思小語」には「心にこだわりを抱いてはならない。広く誓願することが大切」とあった。私が学びたいと思っていたのはこの精神だ。こんなに分かりやすく書いてあったとは! 迷わずここに赤線を引いた。
 
もう一つ大きな見出しがつけられていた。「心願を発し、これを行う」である。「静思小語」にも、「善行を習慣にし、心にはいつも愛に満ちた善の思いを抱きましょう」とあるように、善行を生活の中に根づかせ、自分で決めたことはやり遂げられるのだという観念を伝えていく。これも大愛ラジオ局の理念の一つである。
 

人々のために美しき善を書き記す

 
現在のマスメディアは正しい放送表現から乖離した傾向にある。テレビ、インターネット、雑誌、ラジオにかかわらず、番組の名称や謳い文句が、全て話し言葉風になってきたのだ。一方、「慈済月刊」二〇一七年六月号(六〇七号)を例にとると、「老いて一人暮らしでも孤独ではない」という特集に、「alone but not lonely」という英文が付け加えてあった。「老化は問題ではない」という話題だとよく分かる。
 
その月には、九十三歳の呉大友さんへのインタビュー記事が掲載されていた。カレンダーに予定がたくさん書き込んであり、呉さんが熱心に奉仕を行い、それを喜びにしていることがよく分かる。人に迷惑をかけず、頼らず、こだわらず、欲を出さず、夜にはいつも横になると五分で寝つくそうだ。八年前に慈誠隊員(慈済の男性ボランティアチーム)となった彼は、「私は毎日幸せですよ」と語っている。まさに「上流老人」の手本といえる。
 
その月の特集では、年輩者の暮らし方を取上げた四本の記事が掲載されていた。この年配者たちのユニークな老後を見ていると、法師のよく言われるお言葉、「社会に老人がいることは問題ではありません」に納得できる。
 
毎号の「慈済月刊」の特集には頭が下がる。計画された取材に基づき、慈済の活動を詳しく記録している。二〇一五年十月号(五八七号)は「縁を結んだ道をふり返って 大愛ラジオ三十周年」だったが、私たち大愛ラジオ局の歩みが資料として保存されていたのだ。長年大愛ラジオ局に勤めてきた者たちにとって、これ以上の励ましはなかった。この場を借りて、深く感謝を申し上げたい。
 
二〇一六年九月号(五九八号)の特集、「初心を忘れず 花蓮慈済病院三十周年」には、五十五頁が割かれてあった。祝賀会の様子から開業当時をふり返り、医者不足の困難な時に、使命を以て赴任してきてくださった若い医師たちの回想録もあった。今では白髪をたたえた彼らは、今も慈済病院で活躍されている。その姿にはとても励まされる。
 
一つ一つの記事に感動し、心を動かされた。私も心から慈済大学医学部の学生(九十七期生)に、偉大な先輩方を見習って将来立派な医者になってほしいと祝福を送った。慈済の子供たちが自ら病院を支えていくことを願っている。
 
       ●
 
二〇一七年七月、「慈済月刊」は五十周年を迎えた。この半世紀、困難な時期でも立ち止まることなく、成長してきた。私たち大愛ラジオ局は、その仲間として、編集者一人一人に温かい拍手を送りたい。彼らがどれほどこの仕事を大切にして、勤めてきたのかを知る一番の理解者でありたいと思う。
 
世の中には美しい善の物語があふれている。「人心を浄化し、睦まじい社会を目指し、世界に災難の起こらないことを祈る」。これを慈済メディア共通の使命として、一緒に努力を続け、法師を安心させよう。最後に、あらためて、五十歳の誕生日を迎えた「慈済月刊」に祝福を!
 
 
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