慈濟傳播人文志業基金會
災害救助の前線に赴く深夜食堂 ハイテクキッチンカー
●特徴:3時間以内に900人分の料理が提供可能。ユニット全体を小型トラックに載せて運べる。
●使用:トランスアジア航空墜落事故捜索現場、台南維冠ビル震災捜索現場

命を救う動くキッチン

 
「初代大愛キッチンカーは、一台のトラックでした」。蔡堅印さんは十八年前の台湾中部大地震から話を始めました。強い揺れが起きたのは深夜一時四十七分。台湾中の慈済ボランティアが、日の出を待たずに緊急支援を開始。香積チーム(慈済の食事作りチーム)は会館のキッチンの大鍋で料理を作り、工場の生産ライン方式で弁当箱につめて、小型トラックで大急ぎ避難所に届けました。
 
この慈済のセントラルキッチンから遠かったり、あるいは通行ができない被災地は、現地の慈済ボランティアが空地を探してガスと野外用ガスコンロを運び込み、鍋や食器を並べ、炊き出しをしました。
 
證厳法師は、台湾中部の被災地を訪れた時にガス管が入り乱れた炊き出し現場で、大人も子供も出たり入ったりしているのを見て、心配して言いました。「ここは狭くて、大きな鍋があっちで沸き、こっちで沸き、あっちこっちで野菜を切ったり、煮たり、ガス管も入り乱れていて、もし転んだりしたら大変なことになります」
 
台湾中部大地震の被災地だけでなく、台風の被災地でもこのような様子がよく見られました。法師は安全確保のため、二つの解決策をとりました。一つは慈済の各集会所や環境保全ステーションにキッチンを設置することです。次に、調理器具やガス、コンロなどを収納したキッチンカーを作り、必要なところへ行くというものです。
 
「走るキッチン」を作るのは難しくはありません。二トン以下の小型トラックにステンレスの調理用具を据え付け、ガスや野外用ガスコンロなどの道具を載せればいいです。このような俗に「小発財(小金もうけ)」と呼ばれる小さなトラックは、路地でも走行しやすく、軽食を売る人たちがよくキッチンカーに改造して使っています。しかし、二トン足らずの小さな車体では、慈済の要求は満たせません。
 
「一人分ずつ出すのにはよくても、私たちは大家族に、つまり一度に千人以上に食事を出さなければならないのです」。蔡さんはキッチンカーの設計基準について話しました。
 
●初代キッチンカー
車体と調理設備を一体化させ、6・4トントラックに木の板を乗せて試作。だが、調理場が高すぎて落下の危険性があったため、荷台の低いトラックに変えた。
 
炊き出しの量を考えるなら、鍋も調理用具も大きくなければなりませんが、だからといって運搬に支障をきたすほど大きくてもいけません。しかし、それ以前に困った問題がありました。蔡さんは長年自動車修理業に携わってはきましたが、設計や改造をしたことはなく、機械の製図さえできなかったのです。
 
それでも、「師の志を己の志とす」「事あれば、弟子その労に服す」の使命感に加え、車両の設計に対する好奇心から、蔡さんは勇気を出して挑戦することにしたのです。
 
台湾中部大地震の後に法師の指示を受けて開発を開始し、二○○一年に三・五トン級の「大愛キッチンカー」が検査に合格して、路上に出ました。蔡さんは二年の時間を費やして、ついに初めての試みを成し遂げたのです。
 

大愛キッチンカーの平穏な日々

 
大愛キッチンカーがお目見えしたのは、二○○一年八月、新竹で行われた「父母恩重難報経」音楽手話劇の公演会場で、約三百人の出演者とスタッフに食事を提供しました。新店市に台北慈済医院が建設された時も、景観工事施工期間中、蔡さんはキッチンカーを運転して工事現場まで行き、一カ月にわたって食事を提供しました。
 
さらには、湖口の装甲兵基地にほど近い慈済竹東連絡所に常駐していた大愛キッチンカーは、新竹地区で軍、警察、消防、民間団体による防災・緊急救助の合同訓練が行われるたびに「召集」され、車列に加わって車両検閲を受けました。
 
「軍や民間のレスキュー隊も、この車をすごいと褒めてくれます」。蔡さんは誇らしげに言いました。
 
災害支援を「実戦」に例えるなら、大愛キッチンカーは十数年の間「平穏な日々」を送ってきました。苦労して開発したキッチンカーですが、その出番がないことは設計者の彼にとっては喜びでした。
 
「初代は機能を運用する出番はめったにないうえ、ほかにできることも思いつきませんでした」。二〇一〇年に移動式浄水設備など災害支援設備が次々に改良されてゆき、蔡さんはこれにヒントを得て新しい設計のアイデアが浮かびました。「小さいから役に立てないのではないか? ならば大きくして、発電機や冷凍庫、冷蔵庫からテントまで、全部つけよう、と思いました」と話します。
 

調理器具と車体を分離して

自由度アップ

 
大愛キッチンカーをよく見直した蔡さんと仲間たちは、車体と調理を合体させた初期の設計は、ベストではないことに気がつきました。「私たちのキッチンカーは、商売のように毎日使うものではないし、車とキッチンが一体化していると、ほかに使い途もありません。毎年一、二度しか出番がないのではもったいない……」というのが、ボランティアの柳宗言さんの意見でした。
 
そこで、蔡さんはキッチンと車体を分離することにして、設計図を描き直しました。初代の大愛キッチンカーは一台しかありませんでしたが、慈済環境ボランティアが所有する三・五トントラックは九百台以上もありました。これらの車は、平常時は各地域で資源回収車として使われ、ひとたび災害が起こると緊急輸送部隊に変身します。
 
二○○九年八月、台風八号(モーラコット台風)が台湾南部を襲い、大きな被害をもたらしました。慈済は新幹線で人を、トラックで機材を運び、人と物を迅速に台湾南部の佳冬や林辺などの被災地に送ることができました。キッチンを小型トラックに載せられるコンテナ型にすれば、多くの車がキッチンカーとして使えます。
 
小型トラックに乗せて走るなら、キッチンユニットのサイズは荷台よりも小さくしなければなりません。ユニットを載せることで重心が高くなりすぎると危険なので、高さにも気をつけなければなりません。これまでの経験から、蔡さんは二代目キッチンカーのサイズをいっそう綿密に設計しました。
 
●最新のキッチンカーでは車体とキッチン部分を分離させた。各ユニットを全て収納すると白いコンテナになり、3・5トン以上のトラックであれば載せることができる。
 
ユニットを全て収納すると、太陽光パネルがついた大きな白いコンテナになります。ボランティアの張敏忠さんは六つのユニットで一つのキッチンユニットができあがるように設計しました。蒸し器、スープ鍋、中華鍋などの調理器具の各ユニットを、必要に応じて組み合わせて使います。
 
蔡さんは香積ボランティアの話を参考に、台湾式キッチンカーのユニットを考案しました。五十人分の炊飯釜が二つ、かまどが二つ、スープ鍋が一つ、蒸し器が一つ。変わっているのは昔ながらの大かまどで、ガスのない時でも薪を燃やして調理できます。電力は太陽光パネルとバッテリーでまかなうため、外からの電源は必要なく、電気のない場所でも二十四時間作業ができます。
 
二代目のキッチンカーは、体積は若干小さいながらも機能はそのままで、同じく三時間で千人に一汁四菜の食事を提供することができます。災害状況がより深刻な場合は、鍋をすべて使ってお湯を沸かし、即席の「香積飯(慈済が開発したインスタントチャーハン)」をお湯で戻せば、より多くの人に食事が提供できます。
 
蔡堅印さんは14歳で自動車修理工の見習いとなって以来、50年にわたりこの仕事に従事してきました。機械の専門教育を受けたわけでもなく、機械の設計図の描き方も知らない彼は、絵を描くのと同じようにキッチンカーの設計図のラフを描き、心の中にスケッチした夢をだんだんと現実のものにしていったのです。
手描きから実物へ
アマチュア発明家、蔡堅印さんの夢のキッチン
1.必要な食事の量を見積もり、最短で最大の供給量を目指す。3時間以内に900人に食事を提供する。
2.必要量の見積もりに応じて必要な調理器具の種類と数量を推算する。
3.キッチンカーのスペースを計画する。積載する調理器具ユニット、3・5トントラックの積載能力および荷台の寸法に応じて、調理器具の配置を考える。
4.調理器具の製造に協力してくれるメーカーを探す。
5.側板、電動油圧スタンド、アームなどの機械装置を設置する。
 

エネルギー補給ステーションが各地にオープン

 
二代目キッチンカーは二○一三年に完成し、二○一五年二月に台北の基隆河で発生したトランスアジア航空墜落事故の救援活動で、初めて災害支援に使用されました。台北の慈済人は事故現場近くの集会所で温かい食事と飲み物を用意し、小型トラックで救助活動の前線に運びました。しかし、寒波が訪れたその日、基隆河の墜落現場は吹きさらしで、熱い食事も飲み物もあっという間に冷めてしまいました。
 
温かい食事を安定して供給する必要があったため、新竹区のボランティアが台北までキッチンカーで支援に向かいました。「キッチンカーがあれば、材料を持ってきて現場で調理し、温かいままレスキュー隊員や、駆けつけた被災者の家族に提供できます」。板橋から支援に来たボランティアの詹龍禎さんが力強く言いました。
 
一年後、キッチンカーは、旧正月の直前に強い地震に見舞われ、倒壊した台南市永康区の維冠金龍ビルの救援のために再び出動しました。被災者やレスキュー隊員、それに取材に当たる報道関係者にとって不可欠なエネルギー補給所となりました。
 
被災者の家では正月どころではなく、レスキュー隊員が倒れたマンションの中から一刻も早く家族を救出してくれるように、祈りながら待っていました。この間、慈済人は家族に付き添ったり、犠牲者のために助念(死者の冥福を祈って八時間読経する台湾の風習)を行ったり、温かい食事を提供するなどの後方支援を行いました。台南の静思堂が準備した弁当を十五分から二十分かけて運び、現場で温かいスープや生姜スープなどを作りました。
 
「何か食べるものはありませんか?」と、お腹を空かせた二人の新聞記者が慈済のテントを訪れました。夜八時過ぎのことで、静思堂のキッチンはすでに弁当の配布を終えていました。柳宗言さんは、台南の特産である関廟麺の袋を開け、キッチンカーの鍋を使って麺を茹でました。白い麺が煮立ったお湯の中を泳ぎ回り、蒸気とともに淡い麺の香りが漂いました。
 
数分後、麺が茹であがり、ボランティアが淹れた熱いコーヒーと一緒に手渡しました。「本当にすみません!」。熱々の麺とコーヒーを手渡された二人の記者は、何度もお礼を言いました。
 
続けて休む間もなく、瓦礫を運んでいたトラック運転手、休憩のレスキュー隊員が慈済のテントを訪ねてきて、麺やコーヒーを頼みました。一度に多くの人が集まってきたので、家に帰って休む予定だったボランティアも残って手伝いました。
 
暗い夜の中の温かな照明と鼻をくすぐる食べ物の匂い。まるで「深夜食堂」という日本のドラマに出てくる場景にそっくりだった、と柳さんは回想します。帰宅の遅い人や、夜眠れない人に食事を出す食堂を描いたドラマです。食堂の主人は、お客の胃を満たすだけでなく、彼らの心の声に耳を傾け、温かな食べ物と言葉で心の傷を癒やしていきます。あのとき慈済人がしていたことも、同じではなかったでしょうか
 
●2016年、台南大地震の捜索現場付近では、慈済ボランティアがキッチンカーで「深夜食堂」を開き、被災者やレスキュー隊員に温かい食事を振る舞った。(撮影╲柳宗言)
 
「レスキュー隊員は二十四時間休みなく救助に当たっており、深夜でも食事が必要です。そこで、私たちのキッチンも時間を延長することにしました」と、柳さんは言いました。気温の下がる夜中には誰しも温かい麺をほしがるので、一度に二、三十人前の麺を茹でます。その時使用していたキッチンカーは、海外の慈済人のためにカスタマイズしたバージョンで、六つの大鍋が設置されていました。「五つの鍋で麺を茹で、残りの一つでお湯を沸かしてエコ食器を煮沸消毒しました」
 
二月十日に現場に到着し、十三日の捜索活動終了によって店じまいするまで、柳さんはこの「深夜食堂」でどれだけの麺を茹でたでしょうか。一晩に二百七十椀以上の麺を茹でたことだけは覚えています。ボランティアが淹れたコーヒーは合計七千杯以上に上がりました。
もちろん提供した食事の数は重要ではありません。変わることなく、被災者や支援者に誠実に寄り添い、痛みを癒やす真心こそ、最も人を感動させるのです。
 
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「これはジンバブエ用に特別にカスタマイズされたもので、現地の朱金財師兄(師兄は慈済の男性ボランティアの呼称)が貧しい人や子供たちに食事を提供しています。彼らはおかずは一、二菜程度でよく、ご飯をたくさん食べますので、中華鍋は一つだけ。蒸し器の代わりに炊飯釜を六つ置いたのです。この六つの釜のご飯ができたら、すぐに続けて炊きます」
 
柳宗言さんは「防災・救助科学キャンプ」の学生たちに、キッチンカーの開発過程とその機能について説明しました。最初の大愛キッチンカーから、ジンバブエ、マレーシア、フィリピンなど各国のボランティアのニーズに応じてカスタマイズされた、ユニットキッチンカーに至るまで、設計のコンセプトはどれも、「走りながら隊列を整える」ということでした。
 
「この仕事にビジネスの市場はありません。慈済ボランティアがやるしかありません」。蔡堅印さんは、今までの歩みを振り返りながら、昔も今も相変わらず製図が苦手だ、と話します。しかし、若い頃から弟子入りし、これといった学歴のない蔡さんは「為せば成る」の信念で志願した使命に力を注ぎ、ついに自己の限界点を超え、プロのエンジニアも驚くような作品を作り上げたのです。
 

キッチンカーのカスタマイズ  ◎(写真提供╲張敏忠)

●台湾
50人分の炊飯釜2つ、大かまど2つ、スープ鍋1つ、蒸し器1つ。そのうち、昔ながらの大かまどは、ガスのない場所でも薪を燃やして調理ができる。
 
●ジンバブエ
ボランティアによる長期の貧困救済活動の中で、主食のご飯の需要の多いことがわかったため、ガス炊飯釜を6つ据え付けた。ほかに、流し台、ガス・薪両用の大かまど、大型の中華鍋、調理器具保管棚各1つがある。
 
●マレーシア
2015年の大水害後、慈済人は災害時の食事支援のためにキッチンカーを準備することにした。設備は台湾版のものと同じだが、側板に小さな仕切りを加え、仕切りを引き出して面積を増やせるようにした。
 
●フィリピン
スラムで火災が頻発しているため、いつでも温かい食事を提供できるよう、ガス式炊飯釜4つ、ガス・薪両用かまど2つ、流し台、調理器具の収納棚各1つを備え付けている。
 
 
NO.250