慈濟傳播人文志業基金會
心を一つにして助け合えば この世は平穏無事になる 
自分の力量を軽視せず
小さい善でも
価値があることを知ろう
個人の思いと行動次第で
環境は護られる 
人々が心を一つにして協力すれば
世の中は平穏になることができる
 
 
八月二十五日、ハリケーンハービーが、アメリカ・テキサス州に甚大な被害をもたらしました。二十万世帯、五十万人以上が被災し、その被害総額は二十兆円を上回っています。
 
洪水が引いた後の被災地は、目も当てられないほどの悲惨な状態で、避難した人たちが家に戻った時さらに辛い思いに打ちのめされました。汗水流して一生働いて得た物は、すべて水に浸かってしまいました。大切にしていた物を大事に洗う人の姿も見受けられました。一方、断水・停電が続いている所では、ゴミが散乱し、蚊や虫が発生していました。
 
アメリカ慈済は急いでボランティアを動員しました。平穏に過ごしている人は感謝の心で災害支援に参加し、各地の執行長と国際災害支援経験のあるボランティアはヒューストンに集合し、休む間もなく被災地の実地調査を行いました。被災地に行けない人は、サポーターとなって街頭募金活動を行いました。また、斎戒を発願し、善縁を結集させ、災害が速やかに治まるよう祈りました。
 
数十万世帯の被災者の実地調査では、一日の道のりだけでも百キロに及び、その中から最も支援を必要とする人を探し出すのは容易なことではありません。幸い各地の市長や警察署長が慈済ボランティアの誠意と熱心さに感動して、名簿の提供だけでなく、配付活動の場所を提供してくれました。リッチモンド市のモール市長は、昨年、水害支援に来た慈済ボランティアに会い、慈済の浄財が人々の真心による献金であり、一銭も無駄にしないことを知っていたので、生活が困難な人たちの名簿を速やかに提供してくれました。
 
その中で、不法移民の被災者は政府の支援を受けられず、保険もありません。地元の役所は支援したくてもできないため、慈済に物資を配付してもらい、慈済ボランティアが被災者一人ひとりの苦しみを慰めました。
 
被災者の中には心のケアや物資を必要としていたが、掃除の手助けが必要な人たちに対しては、慈済青年部の先輩がネットで呼びかけ、人員を募集して、年配者の住宅のをしました。皆が自分のできることを行うと同時に、人々に緊急支援を呼びかけました。
 
こんなに多くの被災者を支援するには、全世界の協力が必要です。台湾の慈済病院各院は直ちに行動を起こし、職員は給料や竹筒貯金箱を支援金として寄付しました。静思精舎の尼僧たちは一月千元の小遣いを全額入れました。ハイチ、エクアドルのカノア町、さらにフィリピンのタクロバンやオルモックなどの慈済の支援を受けたことがある人々は、国や民族の分け隔てなく支援の手を差し、少ないながらも真心に満ちた「聞声救苦」の祝福をしました。
 
台湾とアメリカとの間には時差がありますが、災害が発生してから、皆、同時にお互いの状況を理解し合って気遣うとともに、奉仕を行いました。二十数日間、日々お互いを気にかけ、関心を寄せあう中には感動があり、絶えず力が集結しました。パラダイスのような国で生活しているアメリカのボランティアが、仏法で言う「苦、集、滅、道」を体得するのは困難ですが、この度ヒューストンに集まったことで、苦を見て福を知り、この世に福をもたらすことが真の生命の価値であることを感じたのです。
 

心の持ち方と生活様式を

改善して

貪瞋癡を減らし

清らかになろう

 
アメリカは豊かで強い国ですが、大自然の目に見えない力はもっと強いのです。テキサス州ヒューストンが半世紀来最も強力な風雨に見舞われただけでなく、九月から西海岸のカリフォルニアとオレゴン州は高温で山林火災が起き、延焼の勢いを抑えることができません。この水と火の災害は米国に対する一つの警告に過ぎません。
 
仏法はまさに三界を火宅に譬えており、現在の温室効果、地球温暖化、海温の上昇を見ると確かにそれが感じられます。この時代は「五濁悪世」と言って見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁、劫濁の五濁は、微小な「我」から、無数の「我」がより集まり、わずかな間に絡み合った濁気が累積し、衆生の共業となって、災難は絶え間なく次々に起きて、人類の生命を脅かしているのです。
 
どうすれば五濁を増やさないでいられるでしょうか? それは唯一、善の啓発であり、人々の心の在り方と生活様式の改善、そして心によい念を抱き、口はよい言葉を話し、身ではよい行いをし、無私の大愛で衆生を利することです。
 
口の欲望を抑え、生命を大切にするのです。世界では毎日一億五千三百万もの動物が人間の口の欲望を満足させるために殺され、家畜の糞便は大気と大地を汚染しています。菜食は地球の温暖化を遅らせ、健康にも有益ですが、もっと大事なのは心に哀れみを感じ、殺生しないことです。
 
仏経の中で「貪瞋癡を滅す」とあります。皆がわずかでもそれらを「減少」させることを期待しています。欲念を減らし、浪費と享受の習慣を減らせば、濁を減少させることができます。一人ひとりの考えと行動が、万物に利益することも、自然を保護することもできるのです。小さな善と思って成さなかったり、また自分や他人の力を軽視したりしないことです。この世が平安になるには、皆が心を合わせ互いに協力し合ってこそ達成できるのです。
 
広く世の中に目を向けて見ると、この一刻に、いったいどれだけの人が、水や火の中で苦しんでいるでしょうか。煩わしいこの世の中において、苦を見尽くした時、自分の平穏無事に感謝し、さらに敬虔に恩返して、共知、共識、共行で以て人々が成すべきことを成すよう導かねばなりません。
 
 

菩薩は善の心で

以て苦難を救い

智慧で以て

衆生の苦悩に対処する

 
菩薩の志とは、娑婆世界において人心を浄化することです。困難に遭っても恐れず、苦労があっても見捨てず、頑固に耐え、頑なな衆生の試練に磨かれるほどに光を発するのです。堪忍の世で菩薩道を歩むには、必ず「忍辱力」を必要とします。堅固な願力と着実な歩みが菩薩の基本です。
 
菩薩は人々の中に入って、善の心で以て欠点を補い、智慧で以て衆生の苦悩に対処するのです。世間の苦は千差万別で、ある人の生活苦は金や食ベ物の不足であり、裕福な生活、豊富な物資があっても満足できない人もいます。
安定した生活をしていても、家族の仲が悪く、親の慈や子の孝に欠けている家庭もあります。たとえ感情に問題はなくても、人生は無常です。いったいどれほどの時を一緒に過ごせるのでしょうか。
 
千差万別のこの世の苦に対して、菩薩は「一切の善法に奉持」して、自分に備わる智慧と慈悲を発揮し、意志の力で以て導かれているため、衆生の煩悩に影響されず、環境にも左右されません。
不安定な中東情勢の中で、ヨルダン政府は寛大な心で、国境を開放してシリアなど周辺諸国の難民を受け入れています。砂漠に難民キャンプを建設して、難民を灼熱の太陽や酷寒の風雪から守っています。現在難民は六十五万人を超え、その数は、ヨルダン人口の五分の一にあたり、今でも増え続けています。
 
緊急の時は多くの慈善団体や人道団体が一緒に彼らを守っていましたが、年月とともに慈善団体などは徐々に撤退しています。しかし、ヨルダンの慈済ボランティアの陳済揮は、この十数年来、願力と忍耐力を持ち続け、撤退していません。
 
九死に一生を得てヨルダンに到着した多くの難民は、途中で家族とはぐれてしまったり、ヨルダンに着いた時は、負傷していたり、病に倒れたりしています。一つひとつの悲惨な境遇に陳済揮は寄り添い、奉仕しています。支援を受けた難民は、慈済人に「アラーの神が慈済を遣わして下さったことに感謝しています」と言いました。慈済人は「私もとても感謝しています。仏陀に感謝し、世界中の慈済人の護持に感謝しています」と答えました。
 
本部は彼を極力支持していますが、そういう所で長期的に精神力を維持することは容易ではなく、大変な苦労です。
 
彼は自分の人生の方向を知っており、身をもって励み、皆が無事に険しい道を通り抜けられることを願っているのです。そんな中にいる彼は、苦難の人たちの苦しみをひしひしとわが身に感じ、病の子供や戦争の負傷者が慈済の助けを受けて回復するのを見て感動することで、その道を歩み続けているのです。その道が正しければ、長くても、嫌気がさすことも怖れることもありません。
 

広壮な大道を敷く発心

衆生が順調に

前進し成就するまで

 
二十数年前、南アフリカの台湾商人たちは慈済と知り合って以来、私の言う「人様の土地の上に立ち、人様の天を頭上に頂くなら、その地で得た所得に対して見返りを捧げなくてはならない」という考えを理解し、互いに協力して現地の人たちに尽くしています。
 
当時は、アパルトヘイト政策が廃止されたばかりで、社会は動乱していましたが、ボランティアたちは苦難の人たちに寄り添い世話をしていました。少なからぬボランティアが強盗被害に遭ったこともありますが、少しずつ道を切り開いてきました。今では南アフリカ慈済はしっかり根を下し、現地ボランティアが志業を担っています。
 
今年の七月末から八月始めにかけて、現地ボランティアはヨハネスブルクとプレトリアで冬季配付活動を行い、数百トンの米を配付しました。毎年、配付活動の前に訪問しますが、限りある物資をどうやって最も必要とする人の手に渡せるか思案しました。
 
彼女らは智慧を働かせて村人と付き合いながら、慈済の話をして、一緒にボランティアして貧しい人たちを探し出すよう呼びかけました。他人を助けることは豊かになる種を植えることで、奉仕すれば喜びの果報が得られると彼らに話しました。
 
プリンロス地域で二千世帯に配付活動を行っていた時、ボランティアは次々にトラックから米を下して、きれいに積み重ね、空いたトラックの荷台に上って話をしました。この地域のボランティアが「自分が一番貧しく苦労をしていると思っていたが、慈済人について訪問ケアをしている中で、自分たちよりも貧しい苦労をしている人を見ました」と言ったことを話しました。苦を見て幸せと感じ、喜んでボランティアをしています。
 
多くの黒人ボランティアは、五十、六十歳前後で慈済の列に加わりましたが、今ではお年寄りになりました。一番最初に慈済委員(慈済の幹部ボランティア)の認証を受けたグラディスは、「たとえあの世へ行っても、また慈済世界へ戻ってきます」と言いました。
 
彼女たちは台湾語が分からず、私は英語もズールー語も話せませんが、通訳によって彼女らはまた帰って来るという道理を理解し、生死に対して淡泊無欲になったのです。彼女らは慧命を増やし、自信満々に自分を肯定し、また他人を励まして、荒涼とした砂漠をオアシスに変えています。
 
彼女らは南アフリカにおいて衆生に利益する道を切り開いただけでなく、隣国へ慈済の奉仕精神の理念を話しに出かけます。容易な道ではありませんが、危険を払いのけて歩きながら道を敷いているのです。それだけでなく、後から来る人が、着実にこの道が歩けるように、衆生を教え導いているのです。
 
今生開いた生命の道を把握して、小さな田んぼ道を切り開き、自分でさえ歩くのが危険な道を、広壮な菩提の大道にし、人々を楽々と歩かせるのです。この道は、今生彼女たちが歩いた記憶であり、来世再び帰ってきて歩むのです。
 
かりに仏法を分かっているだけで、その道を邁進し切り開いていくことをしなければ、その道は絶対に通じません。道がなければ苦難の衆生は苦しみ続けます。道を開けてくれるのを待つのではなく、発心して道を敷いて道理を明らかにするのです。精通して前進し、自然と人々を感動させて志を一つにし、足跡を残して、後に続く人にバトンを渡すのです。
 
仏法を実践できる道にして、誰もがその道の「法、理、事」に通じ、世界が平和になるまで、歩み続けるのです。皆さんどうぞ心して精進してください。
NO.251