慈濟傳播人文志業基金會
自主的に老後を迎える
二○○三年、八十歳の文学者、斎邦媛女史は一人タクシーに乗って、桃園の亀山に建設中の養生村に降り立った。荒涼とした建設用地を見て、運転手は思わず聞いた。「どうして息子さんと住まないで、こんなところへ?」。彼女は「私にはまだやることがあるのです」と答えた。その六年後である。回顧録『巨流河』を出版し、台湾文壇で大きな好評を得たのだった。
 
当時運転手が聞いたことは、台湾文化の「老後」に対するイメージに沿った、至極当然の問いである。台湾の伝統的な考えでは、「老後を迎えると心身が退化し世話をされる者になる」というものであり、「父母の世話」は家庭における子の天職と考えられている。
 
社会福祉が進んだ欧米諸国に比べて、台湾は短期間で少子化という問題に直面した。高齢化の衝撃に直面した時には「高齢者ケア」は欠乏しており、政府は資金をやりくりしなければならない状態で、大きな社会問題になっている。中でも高齢者が病気になった時のケアは整っておらず、介護する家族も、どうしてよいか分からない、深刻な負担になっている。
 
それは医療従事者も同じだ。自分の親が医療を受けることになった時、学ばねばならないことがある。台中慈済病院の地域健康センター職員の頼依怜は、故郷へ帰って両親の面倒を診ていた。母には三つの病気があったが、自立した生活ができるように、「バリアフリー菜園」を造って、労働の習慣をつけさせた。その後、母の心は終始穏やかになって、日常生活を自分でこなせるようになった。
 
内科医の林栄威医師夫婦は、故郷の彰化和美鎮へ帰って開業し、年取った父母の世話をしていた。あるときクルーズ旅行に皆で行った時、認知症が現れ始めていた父が船上で迷子になり、この時のショックで林医師は猛省した。
 
医師である自分が認知症の父親の行動に対してこんなにも無力であるなら、一般の人はどうだろうかと。そこで彼は地域の人たちに呼びかけて、大林慈済病院の認知症ケアの訓練課程に参加した。そして自分の病院にも記憶喪失老年保養班を立ち上げ、地域で高齢者ケアを広めた。
 
台中慈済病院の荘淑締副院長は、日本では「引き算の介護」と言って、高齢者の能力範囲内において自分で生活を維持させ、長期の寝たきりにならないように奨励していると話す。これは同時に慈済の「看護の家」のポイントでもある。その目的は体力の衰えた高齢者が、退院して家に帰っても自立した生活ができることを目指したものだ。
 
今、政府は長期政策を推進している。慈済病院はすでに提供している医療及び在宅ケアスタッフの訓練以外に、慈済基金会や地域の力とも結合して地域ケア拠点を設け、高齢者が家から出て様々な活動に参加し、日常見慣れた地域の中で活動能力を発揮して、尊厳のある日々を送るよう勧めている。
 
斎邦媛女史があの時選択した自主晩年の生活方式は、執筆に没頭し完成させた巨著によって、多くの人々の心を啓発している。来年、台湾はいよいよ高齢化社会に突入し、六十五歳以上の高齢者人口比例は総人口の十四%を超過する。いかに自主的に老後を迎えるか、多くの人が必ず考えなくてはならない課題である。
(慈済月刊六一〇期より)
NO.251