慈濟傳播人文志業基金會
十五元の教え
ボランティア朝会の時、大林慈済病院の簡瑞騰副院長がネパール医学会議に参加した感想を話した。簡副院長が二○一五年のネパール大地震後の支援施療にも参加していたことを知った主催者側が、復元作業が行われている古城バクタプルに案内してくれたエピソードも披露した。
 
古城バクタプルの参観料は十五元だが、慈済委員証を持っている人なら無料で参観ができると簡副院長が説明した。
 
それを聞いた證厳法師が「簡副院長は十五元だけでなく、百五十元払わなければなりません」とおっしゃったので、皆は大笑いした。法師のお言葉を反芻して、私の心には言葉では言い尽くせない思いが広がった。
 
普通の人なら、自分が慈済委員証を持っていることに自己満足して、知らず知らずにわずかながら「増上慢(注)」が頭をもたげるものだ。または十五元得したとして小躍りする。十五元は少額だが、砂粒でも集まれば堅固な城を築くように、この十五元の集まりによって再建の美しい夢が実現されるのだ。
 
私は以前支援団と共に一カ月間、被災地の人たちに寄り添っていた。あれから二年が経っているが、慈済は変わらず現地のボランティアを導いて、医療、教育などの援助を行っている。被災地の古城は今も変わらない姿をしているのだろうか。彼らのことを思い出すたび心が痛む。
法師のお言葉が私の心に強く響いた。法師は歩き始められた頃から始終、太虚を包み込むような広いお心と、平等と慈悲を持っている。三十年前、花蓮慈済病院の建設費用に悩んでおられた時、ある日本人が二億ドルの献金の申し出たのを丁重にお断りになったのは、台湾の人々が自分の故郷に自分の手で病院を建設する発心の機会になってほしいと願われたからだった。
 
法師は常に身を以て弟子たちを教え導いておられる。小銭のような小さいものにも、深い意味を込められた教えを深く心に銘記して、今後も精進することを法師は願っている。
(慈済月刊六〇四期より)
 
*(注)増上慢(ぞうじょうまん)とは、仏教でいまだ悟りを得ていないのに得たと思念して高ぶった慢心のこと。 
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