慈濟傳播人文志業基金會
老後の新定義  楽しく働く
 
●貿易会社の経営者だった葛似蕙さんは、六十一歳の時に喫茶店の店主に転じ、人生の第二のステージに踏み出した。医療の発達で寿命が延びているのにともなって、高齢者も収入と社会への参画を求めて働くようになった。
 
 
「正直言えば、ちょっと後悔しているんです。退職が早すぎたんじゃないかって」。今年六十五歳になる朗らかな性格の林君儀さんは、こう率直に語った。
 
小さな貿易会社を経営し、世界各地の展示会を駆け回ってきた。仕事に疲れ切った彼女は、十年前に五十五歳で年金を受け取ると、すぐに会社をたたんだ。
 
最初の頃は肩の荷が下りて、籠から放たれた鳥のように毎日が楽しくてしかたがなかった。「旅行したり、ぼんやりしたり、いろいろなことを勉強したり。ようやく自分がしたい生活ができるようになったと思いました」。しかし、忙しい生活から離れて二年が経つと、「忙しくない」生活は「暇」になり、「暇」な生活は「退屈」で、毎日が味気なく感じられるようになった。
 
●世界で一の長寿国、日本では、高齢者の再就職も珍しくない。写真は退職後、学校の守衛をしている日本の高齢者。 (撮影/安培淂)
 
林さんだけではない。政府が発表した国際労働統計によると、台湾の法定退職年齢は六十五歳だが、二○○九年から二○一四年にかけての実際の退職年齢は、男性六二・八歳、女性六〇・七歳で、調査を行った主要三十五カ国中、退職年齢が最も遅い韓国よりも十歳、日本よりも六、七歳若かった。
 
五十五歳から五十九歳の労働参加率を見ると、日本の八一・一%、韓国の七二・六%、米国の七一・五%に対し、台湾は五五・一%と著しく低くなっている。
 
勤勉で名高い台湾人が、どうして早期退職を好むのか。労働部人力労働署の蘇昭如係長によると、林さんのように多忙な毎日から抜け出したい、自身の健康や家庭の事情による、といった理由で仕事を辞めた人や、会社の都合による失業人口を除けば、早期退職は大きく数種類に分類できるという。
 
●永和地区にあるシルバー人材資源センターは高齢者の就業相談や教育訓練を行っている。IT講座から就業場所の実地見学まで、講座の内容は豊富だ。
 
「一九七〇~一九八○年代の世界経済の急速な発展の恩恵を受けて、十分な資産を形成できた戦後ベビーブーム世代は、早く退職ができます。また、政府が公務員の世代交替を進めるため、公務員や教員が満五十五歳で退職を申請すれば一時退職金を受け取れる『五五プラン』を打ち出しました。それから、労働保険が破産するかもしれないという話が流れたこと。これらさまざまな要因によって、退職金を早期に受け取って安心したいと考える人が多くなったのです」と蘇係長は話す。
 
問題は、個人にとって合理的な選択が、時に制度的な不合理をもたらすことである。一見個人の生涯設計に見えても、多くの人が同じようにした場合、国家の行く末を変えてしまうことがあるのだ。
 
早期退職がその一例である。少子化は今後若年労働力の減少を招くであろうし、また最近の若者は卒業を延ばしたり進学することを選択し、就職年齢が遅れる傾向にある。退職は早く就職は遅いのだから、早晩、労働力不足の危機がやってくる。
 

労働力に赤信号!

 
国家発展委員会の指摘によると、台湾の労働人口は二○一五年にピークの千七百三十八万人に達した後は次第に減少し、二○六○年にはわずか九百六十万人になると予測されている。そうなれば、税収の減少により、国家の財政や保険制度は逼迫し、政府が国民の面倒を見ることなどできなくなる。また、企業はコスト削減のため、退職金の支払いをあの手この手で逃れようとするかもしれない。
 
最近日本で話題になった『下流老人』という本では、今後は一人一人が健康を維持して医療費が元本を浸食するのを防ぐ必要があり、また健康寿命の伸びにしたがって、老後も仕事を続ける傾向に拍車がかかることは間違いないと指摘している。
 
●曹さん(まん中)は退職後看護の仕事をしている。まだまだ体力のある若いお年寄りがベテランのお年寄りを介護することで、介護の人手不足を補っている。
 
しかし、ポジティブに考えれば、老後も仕事を続けることにメリットがないわけではない。多くの研究が示すとおり、仕事は人にポジティブなフィードバックを与えてくれる。給与収入だけでなく、ある程度社会に参画し、社会とのつながりを維持することで、心の健康や生活に対する満足度が高まる。この点から見れば、経済的に必要かどうかにかかわらず、高齢者の就業にはメリットがある。
 
台湾では、二○○八年、年金支給額の増加を抑えるために各国に倣って「労働基準法」を改正し、法定退職年齢を六十歳から六十五歳に引き上げた。二○一四年、失業や退職をした高齢者の再就職を後押しして労働力を補うため、労働省は「高齢就業法」の起草に着手したのに加え、台湾初のシルバー人材資源センターを設立した。
 
●蒋萍先生は高校を退職した後、私立の実験小中一貫校からスカウトされ、副校長となった。豊富な教育経験を次世代に伝えるこのケースは、高齢人材活用の最高のモデルである。
 
「私たちのサービス対象は中高年が中心で、年齢に上限はありません。満五十五歳以上で仕事をしたい人なら、全力でサポートします」。センターの余璦君主任はこう話す。ここでは、民間の人材バンクと違って、高齢者は企業がインターネットに求人を登録するのを待っていればいいのだという。センターはインターネットを通じてシルバー人材支援センターを宣伝し、その一方で、「すべての仕事が高齢者向きというわけではないので、毎月KPI(Key Performance Indicators、重要業績評価指標)を設定して、企業を一軒一軒訪問し、求人を開拓しています」と余主任は話す。
 
センターのスタッフの努力で、たった二年余りの間に一万件以上の求人を開拓できた。職探しに訪れた約三千人のうち、千七百人以上が仕事を見つけ、マッチング率は五割を超えている。しかし、台湾の現在の非就業人口(早期退職、就業難の人口)がおよそ百一万人であることから考えると、膨大な開拓の余地が残されていると言える。
 
問題は、求人の開拓や高齢者の求職の過程で直面する台湾社会の年齢差別が想像以上に広く根深いということだ。
 

広く存在する年齢差別

 
「就業サービス法」では、年齢差別をした企業は罰金を科されることになっている。しかし、多くの高齢の求職者はいたるところで差別にぶつかる。
 
台北工業専科学校(現在の国立台北科技大学)の出身で、今年六十九歳になる張隆興さん(仮名)は、もう何度センターを訪れたかわからない。三十年前、台湾企業の現地派遣幹部として中国大陸に派遣され、エンジニアと工場長を務めた。その後、台湾に戻ってガイド資格を取り、いくつもの大手旅行会社と契約して働き、働きぶりは悪くなかった。
 
●塾の数学の名講師、鄭麗華さんは大病を完治した後、授業数を減らして、再び教鞭を取ることを選択した。学生との楽しいやりとりの中にやりがいを感じ、心身もより健康になったようだ。
 
その後、観光客が激減してガイドも開店休業状態になった張さんは、体も元気だし家でだらだら過ごすのも嫌だと考えて再就職しようとした。しかし、その時、年齢の壁に阻まれたのである。
 
「前は自分で仕事を探していたのですが、企業側は身分証の生年月日を見るとうつむいて、変な話し方をするようになるんですよ」と張さんは首をふった。
 
体格がよく元気いっぱいの彼は、ガイドをしていた時も「少なくとも十歳は」若く見られていたという。本人の口から言われるまでもなく、筆者もそう思った。彼にとって悲しいのは、そんな彼でさえ年齢の壁に阻まれることだ。職を選ばず、警備員でも何でもすると言っても、マッチングの際に面接の機会さえ与えられないのだ。
 
これについて、シルバー人材資源センターの余主任は、年齢に対する先入観や、仕事内容と求職者の希望とのギャップがセンター設立以来、最も頭の痛い問題だと話す。多くの企業は、医療技術が進歩したおかげで今の高齢者が皆健康だということは認めるものの、それでは高齢者を雇用してもらえるかという話になると、とたんに及び腰になるというのだ。
 
●退職金が足りないため仕事を続けざるを得ない高齢者も少なくない。シルバー人材資源センターの統計では清掃家事代行サービスはマッチング成功数が最も多い業種である。
 
「年寄りは反応も遅いし、物覚えが悪くて学習能力も低いし、管理しにくい……。多くの企業が判で押したように答えます。まるでカンペでも持っているんじゃないかと思うほど、スラスラと」。ずっと第一線で求人開拓をしてきたセンター業務指導員の沈俊宏さんは、その経験からこう話す。
 
「そんな時は、あえて否定はせず、ポジティブに高齢者の長所を見てほしいとお願いしています」。沈さんはよく映画『マイ・インターン』の中のロバート・デ・ニーロを引き合いに、若い人が落ち着きがなく、些細なことで辞めてしまうのに比べ、高齢者はEQが高く、経験豊富であるだけでなく、非常に安定性が高く、企業の離職率を下げることにつながると説明する。
 
●新聞社を退職した廖大順さんは、昔取ったプロ運転免許が再就職に役に立った。
 
マッチングの結果に高齢者が満足できないということはあるのかという点については、「一般の人と同じです。仕事によって要求する条件が違い、求職者によって希望が違う以上、完全に希望通りというのは難しいことです。ウィン・ウィンを目指すには双方が考え方を変えなければならないと思います。企業は、高齢者を雇用することで流動率を下げれば、今までより管理コストを削減できるかもしれません。求職者は、企業経営にはリスクがあるため雇い入れに慎重になるのは当然だということを理解しなければなりません。ですから、本当に仕事を見つけたいなら、労働市場の条件に合うよう、生涯学習し続ける態度を持つことが絶対に必要です」。沈さんは最後にこう語った。
 

生涯学び続ける

 
高齢化現象がさらに明確になるころには、望むと望まざるにかかわらず、労働市場により多くの高齢者が加わってくることは間違いない。その日が来れば、企業側も求職側も時代の流れに対応しなければ生き残れなくなる。
 
上述の張隆興さんは職探しで何度も壁にぶつかった後、独学で新北市政府景観樹木剪定技術認証訓練の試験を受けることにした。すでに筆記試験には合格し、月の中旬に実技試験を受ける予定だ。「合格したら自分で仕事を受注して、マンション型コミュニティの屋上緑化の仕事をするつもりです」と、彼は希望に満ちた笑顔を見せた。
 
会計部門の責任者をしていた荘さんは、現在九十歳になる母親の世話をしており、適当な仕事がなければ慌てて再就職することもないと考えているものの、いつもシルバー人材資源センターに来て、さまざまな無料講座に参加している。たとえば取材当日は東南科技大学の学生たちがチューターとなって動画をユーチューブにアップロードする方法を教えており、多くの高齢者が楽しそうに学んでいた。
 
それにしても動画をユーチューブにアップできるようになったとして、職探しの役に立つのだろうか。
 
「高齢者がデジタル製品の使い道についてもっと理解できるよう、手助けしたいと思っているんです」と余璦君さんは言った。「仕事に直接関係する講座もあります。たとえばホテル業に就きたい人はベッドメイクを、飲食業をしたい人は軽食の作り方やコーヒーの淹れ方を学ぶことができます」
 
●あまり体力を消耗しないビルやマンションの警備も高齢者に適した仕事の一つだ。
 
ただ、センターはまだできたばかりで、スタッフも十人ほどしかいないため、できることはかなり限られている。
 
「台湾の高齢者研究のうち就業についての研究は元々手薄だったことから、政府が投入する資源も多くありません。それというのも台湾では六十五歳を過ぎたらお年寄りと思われてきたことと関係があって、台湾の文化では、お年寄りは働く必要などなく、働いていると『気の毒な老人』だと思われるんです。ですが、高齢者が今後ますます増えていくにつれ、この点はきっと変わっていくでしょう」と、中正大学労働関係学科の周玟琪教授はこう話す。
 
周教授は、もう一つの公共職業訓練システムである労働省や各自治体傘下の職業訓練センターを例に出した。それらの場所でこれまで職業訓練の対象者は一般の求職者が大部分だったが、社会の変化につれ、中高齢者の割合が次第に増えてきている。ただ、それでも年齢は四十五歳から六十五歳に限られ、六十五歳以上は対象外だ。
 
●信義計画区で花を売るおじいさん。花束を売るのは、子供に頼らないですむよう、小遣い銭を稼ぐためだ。
 
従来中高齢者にとっての学びの場である地域大学や長青学苑、楽齢大学などはどうかと言うと、「講座内容が趣味や教養に偏っていて、安全・健康・参加という国連が強調する高齢社会の三つの柱のうち、健康や参加との関連性は強いのですが、個人の経済面の安定とはあまり関係がありません」と周教授は指摘する。したがって、政府が本当に高齢者の就業支援システムを作ろうとするなら、国外の例を参考にしたほうがいいと周教授は話す。
 
「最近アメリカでも日本でも、地域コミュニティの役割を重視しています。地元に仕事の機会があれば、高齢者は生活費を稼ぎながら地域で老後を過ごすことができ、一石二鳥だと言えます」。周教授は最後にこう話した。「もちろんその前に職業訓練機関でよりきめ細かなカリキュラムを提供したり、需要と供給の双方をしっかり把握したりできれば、マッチ率も上がるでしょう。今は訓練を受けても仕事が見つからない人や仕事を探さない人がいて、資源をいたずらに浪費しています。そこが改善されれば初歩的なサポートシステムは半分成功だと言えます」
 
●台中市政府が弘道老人福利基金会に委託して経営する「不老食埕」はかなり実験的なものだ。高齢者のゆっくりではあるが礼儀正しく行き届いたサービスに、リピーターとなる客も多い。(撮影・安培淂)
 
想像してみてほしい。その日が来れば、台湾の労働市場には膨大な活力が注ぎ込まれるのは間違いない。ただし、その前に公然の秘密である年齢差別の問題を解消しなければならない。先行きは暗いようにも思える。しかし、漆黒の夜空にぽつりぽつりと瞬く星のように、変化の兆しは現れ始めている。
 

変わる企業の考え方

柔軟な就業時間と職務の再設計

 
台北市内、八徳路の路地にある金点実業。三十坪のキッチンで、平均年齢六十歳を超えるお母さんたちが楽しそうにおしゃべりしながら、キクラゲを煮たり、リンゴをむいたりしている。
 
「作業員」と言えば多くが無表情で、ロボットのように黙々と作業をするのに比べ、お母さんたちの明るい笑顔は人を和やかな気持ちにさせる。
 
「創業した頃は、高齢者を採用しようなんて思いつきもしませんでした。ほかの人たちと同様、少し『先入観』があったんです」。そう率直に語ったのは、金点実業の林益慶社長だ。有機白キクラゲを売る林さんと創業パートナーの郭怡妙さんは、劇団メンバーをやめてこの会社を作った。金点実業を起業した後、客の一人から「母がここの製品が好きだからここで働かせてやってほしい」と言われて雇った六十八歳のおばさんが、シルバースタッフ第一号だ。
 
その後、会社が成長するにつれ、次第に分業が必要になってきた。食品会社を経営するには、店舗での販売ももちろん重要だが、勝負の決め手は顧客には見えない生産ラインなのだ。
 
●王四維さんは元は建設労働者だったが、職場で気に入らないことがあり、「早期退職」した。現在は金瓜石で小さなレストランを営む。仕事は大変だが、前よりも自由になった。
 
いわゆる売り場とバックヤードでは必要な人材が異なることに気がついたのもその頃だ。売り場では業績を上げるために体力があって社長と一緒に突き進める人が必要だが、バックヤードでは品質を安定させ、生産を途切れさせない人が必要だ。
 
この点に気がついたことと、当時すでに高齢の友人を雇っていたことから、林さんは高齢者の雇用を増やすとともに、労働力を二段階に区分することを決めた。
 
「第一に、積極的に顧客にアプローチする必要がある販売の仕事は、エネルギーのある若い人でなければだめですが、安定が大切な生産ラインにはやはり経験豊富で落ち着いている高齢者の力を借りようということです。第二に、高齢者は体力がないので、毎日九時から五時まで働いてもらうのは難しい。また、彼らも、誰かに頼らなくてすみ、自分の尊厳を維持できるだけの小遣い銭や生活費が稼げればいい。そこで、月水金、火木土のシフトを組んで、日曜日は全員休みにしました。全てのスタッフ、とくに高齢のおばさんたちが、十分な休息を取って、毎日楽しく仕事ができるようにしました」
 
●流暢な英語を話す鍾美慧さんは、労働省開催の中高年就職フェアで英語塾の仕事を見つけた。同僚と仲良く働く彼女にとって、何よりうれしいのは、新しい仕事で能力を発揮できることだ。
 
林さんの考え出した戦略は「職務の再設計」と言える。実際の必要性に応じて勤務時間に柔軟性を持たせたほか、高齢者や身体障がい者といった特定のスタッフにも優しい設備を導入した。例えば老眼のスタッフのために大きなディスプレイのコンピューターを、力が足りないスタッフのために重い荷物を運ぶ機械を購入した。
 
これには労働省の補助金制度を利用した。高齢者の労働参加率向上のための企業を対象とした補助金だ。台中市政府の委託を受けて非営利組織、弘道老人福利基金会が経営するレストラン「不老食埕」でも、同様の方法を用いている。
 
旧官舎を改装したこの軽食レストランでは、メニューや伝票の字を大きくすることで注文や会計時にシルバースタッフが間違いにくくしたほか、キッチンのオーブン、ガスコンロ、ドリンクサーバーなども全てワンタッチにし、ボタン一つで全ての機能が正しくセットされるようにした。
 
●退職後の再就職とはいえ、黄碧玉さんは第二のキャリアも経済的安定の確保と生きがいを満たすものであってほしいと思っている。現在大愛感恩科技で働く彼女は、リサイクルに全力で取り組んでいる。
 
 
「お年寄りに複雑な機械の扱いは無理だというのは事実で、正面から向き合うべきだと思いました。逆にこの機会を利用して、彼らにそのほかの潜在能力を発揮してもらうために、もっとよい方法がないか、みんなで知恵を絞りました」
 
ワンタッチはその成果だと、「不老食埕」のスタッフ呉素芬さんは語る。さらにレストランのメニューにもシルバースタッフの力が生かされている。例えば一番人気の碗糕(米粉の蒸し物)を例に取れば、「小光が以前機械工場で働いていた頃の経験を活かして、米粉と水と塩をどれくらい加えるか、材料をきっちり計って、一回一回試してできたものです」
 
呉さんが「小光」とあだ名で呼んでいるのは蔡耿光さん。蔡耿光さんはかつて五十八歳で解雇された時、どん底に突き落とされた気持ちだったが、「不老食埕」で働くようになってから、隠れていた料理の才能がふいによみがえった。誰かに腕前を褒められるたび、「うれしいです」と心からうれしそうに口元をほころばすのだ。
 
高齢化社会で新たな挑戦をするには、生涯学び続けるだけでは足りなくなっている。仕事の場に戻り、仕事の中に生きがいを見つけ、社会に貢献し続けていくためには、政府の推進政策と企業の協力、高齢者自身の覚醒が必要である。
老後生活は、職場に帰ることから始まるのだ。
(経典雑誌二二七期より)
 
●新烏路で竹彫りの鴨を売る陳復源さんの作品はすべて本人の手づくりだ。以前木工師だった彼は年を取ってもこの特技を生かしている。重要なのはいくつ売れるかではなく、楽しさと客からの称賛である。

 

NO.254