慈濟傳播人文志業基金會
夢を達成する勇気
貧しさゆえに多くの農民は
大山を離れる決心をし、
まっしぐらに大都会を目指し、
見知らぬ土地で
貧困から抜け出す夢を追いかける。
しかし、貧富の差が
ますます広がる現実において、
貧困から抜け出す夢を
追いかけるうちに、
故郷に残った子供たちには
もはや幼児期というものはない。
 
キャンプは『西遊記』の三藏法師と三人の弟子たちが拉撹小学校を訪れる物語で始まった。師弟四人は拉撹小学校の生徒と一日過ごしただけで、多くのファンができた。夜の集いで再び登場したとたん、子供たちは大声で叫びながら拍手した。
 
夜の集いは校庭で行われ、日が暮れかけても昼間の暑さは残っていた。子供たちは校庭で静かに、次のプログラムを心待ちにした。
プログラムが進行するにつれ、知らない間に灼熱の太陽が沈み、夜の集いにふさわしい満天の星空をバックに、夜が優しく包み込んだ。各チームに蝋燭が灯され、車座になって心のうちを語り合った。
 
●三都県村寨の住居は独特の高吊り構造で建てられている。子供たちはこの景色を見ながら、連なる山々を超えて外部に出稼ぎに行っている両親のことを思いながら生活している。(撮影・林櫻琴)

 

あの夜の月明かり

 
「一日のキャンプが終わって、どう感じた? お兄さんやお姉さんに話したいことはある? 」。青年志願者の鍾天光は子供たちの心のうちを引出した。
 
「さっき、姚春芝お姉さんが、『都市の人が私たち、農村の人を見下していないのは、農村の人が都市の人よりも劣っていない証拠』だと言ったよね。彼女の家庭はほかの人よりも貧しかったけど、今はもう大学に通っている、という話を聞いた時、どう感じた? どうしたら大学に受かるか考えたことある? 」
 
優しい星の光が地上を照らす中、チームメンバーの石錦英が勇敢に手を上げた。「今日、姚春芝お姉さんの話を聞いてとても感動しました。姚春芝お姉さんはとても勇敢だから、彼女が怖くないと言えば、私も怖いと思わず、勇敢になります。私はきっとお父さんに大学合格通知書を見せます。それはお父さんの夢であり、私の夢なのです」と彼女は涙を流しながらも話す言葉はしっかりしていた。
 
楽しく学ぶキャンプが終わってしばらくしてから、第三チームを担当した青年ボランティアの楊雲はまだ最初の場面を覚えていた。「錦英は涙をぬぐって私に笑顔を見せました。私は彼女の真心に感動しました。彼女の涙は心の灯に輝き、その光は空で最も美しい星のようでした」
 
夜の集いが終わりに近づいた時、空に別の景色が現れた。その日は旧暦の十五日で、明るい満月が拉撹小学校の校舎の後ろから顔を出した。その静かな美しい月を見ていると、まるで水が滴るような音が聞こえてくるようだった。
 
この世に終わりを告げない集いはない。皆で手を取り合い、大きな輪となって「愛を広めよう」という歌を歌った。慈青の王冠智は感情を高ぶらせながら、「皆で過ごしたキャンプ、そして、空の満月を見上げ、同じ空の下にいることを思い出して欲しい。私たちは遠くにいるのではない、心が繋がっているから」と言った。

 

過ぎた時間

 
チームリーダーは子供たちを寝室に連れて行ったが、慈青たちの心にはまだ余韻が残っていた。誰もいない校庭で月と蝋燭の明かりの下で感想を述べ合った。
 
慈青たちの感想は笑いの中に涙があり、キャンプでの出来事や一言、一瞬を子供たちが成長するまで忘れず、彼らの人生に役立てて欲しいと思った。
 
慈青という団体ができて今に至るまで、慈済教師懇親会の黄雅蘋先生はずっと付き添ってきた。「私たちは楽しさを皆に与えることに成功しました。しかし、彼らの心にどのような希望を植えつけたのかを忘れてはいけません。これは大事なことです。子供たちに感動を与えたかも知れませんが、それは時間と共に薄れていきます。しかし、私たちの心にある愛と使命感が時間と共に成長してこそ、ある時期、ここで奉仕したことが無駄でなくなるのです。今、皆さんは慈青の制服を着ていますが、卒業してからも先輩たちと同じように、慈済という大家族の中で再会することを期待しています」と彼女が感想を述べた。
 
●貴州青年志願者の姚春芝(右端)と和黄秋蘭(右から3人目)は拉撹小学校の男の子7人のチームを受け持った。育ち盛りの男の子たちはじっとしているのが難しく、2人はまとめるのに苦労した。(撮影・陳麗雪)
 

山道を行く子供

 
満月が沈み、太陽が昇った朝、都柳江はいつものように満々と水を湛え、拉撹小学校脇の上流を流れていた。
 
青い山、明月、河の流れ。どんなに美しさに溢れていても、親の寄り添いに取ってかわることはできず、子供たちに未来への方向を示してはくれない。彼らは今年、拉撹小学校を卒業し、青春真っ盛りの年頃になる。第六チームリーダーの青年ボランティア、陳東萍は、「彼らはいたずら好きで、無知で言うことを聞かない子供たちであると同時に目立ちがり屋で、人の心をも動かします。もし、彼らを理解せず、聞く耳を持たなければ、彼らはただの第六チームの四人の嫌な子供に過ぎないでしょう」と言った。
 
彼らの孤独感とためらい感を感じ取りながら、二日間のキャンプは「文化」、「読書」、「肉親の情」という三つの課題の下に行われた。青年たちが子供たちの手を取り、愛が穏やかな風のように流れた。それは見ることも触ることもできないが、力となって大山の子供たちに夢は遠くないことを悟らせた。そこにいるお兄さんやお姉さんたちもそうやって歩んで来たのだ。
 
山に帰る道程が遠いため、八月七日にキャンプ活動を行い、八日の午後三時に終了して早めに子供たちを帰らせた。皆で校庭から校門まで愛の架け橋を作り、小学生たちは涙を浮かべてお兄さんやお姉さんたちと手をタッチしながらくぐり抜けて行った。
 
中には外に出てから戻って来る子もいて、お兄さんやお姉さんとの連絡方法を書いてもらった後、やっと帰って行った。また、学校の外の橋の上から校庭にいる紺と白の制服姿をいつまでも見つめたまま帰ろうとしない子もいた。「さようなら、また会う約束をしたからね」とこっちの方にいるお兄さんやお姉さんたちも顔に汗と涙を滴らせたまま、力いっぱい手をふって叫んだ。
 
二日間のキャンプが終わり、チームメンバーは後片付けしてから三都に帰った。夜中に雷雨が発生し、風が吹き荒れる中、市全域で停電になり、皆、真っ暗な中、手探りで懐中電灯をつけて顔を洗った。
 
より困難な挑戦が待っていた。大山での家庭訪問は高く険しい山を越えなければならないが、昨夜の大雨で数日前の青々とした山が消えていた。都柳江上流のダムが放流し、大量の濁った水が下流に向けて流れていた。
 
車が拉撹小学校を通った時、数人の子供が荷物を背負って歩いていた。昨日のキャンプに参加していた小学生たちだった。「車を止めて!」。年上の慈済ボランティアが叫んだ。「彼らを家まで送ろう」
 
子供たちは車に乗ろうとせず、一層早足で歩いた。ボランティアの林玲悧は車を降りて追いかけた。
 
「この道は歩き慣れているから、大丈夫だよ」と下を向いたまま、止まろうとしなかった。この子らは一番遠い董術村に住んでおり、村に向かう車に乗り遅れたために、教師が彼らを宿舎に泊まらせたとのことだった。
 
「私たちは排焼村に行くから、途中まで乗って行って、そこから董術村まで行けば少し近いんじゃない?」と玲悧は説得してみた。
「僕たちはいいよ!」「慣れてるから!」。半分無理強いして、やっと子供たちは車に乗った。
 
フィリピンやネパールで台風や地震で家をなくした子供たちはそれでも笑顔を見せる。テント住まいで三食まともに食べられなくても親と一緒であれば、そこが家となり、子供たちは安心して暮らすことができるのだ。しかし、これら留守番の子供は高齢の祖母と一緒の場合は幸いな方で、中には一人で生活している子もおり、困難な成長過程で笑顔をどこかに置き忘れてしまった。
 
●姚春芝は長年付き添ってくれ家族のような存在となっている台湾の慈済ボランティア、林櫻琴を見るなり抱きついた。(撮影・林玲俐)
 

親を思う時

 
「気をつけて! 道が滑るから」と家庭訪問第五チームの慈青、王冠智が林櫻琴師姐(師姐は慈済の女性ボランティアに対する呼称)の手を取りながら注意を促した。高吊り式家屋は山に沿って建てられていて、大雨になると泥が急な山道を滝のように流れ落ちる。
 
石錦英は右に左に曲がりながら皆を家まで引率した。子供が学校に入る前に両親は出稼ぎに出ており、その時から祖母と二人で寂しく十数年も過ごしてきたが、今回、付き添ってくれる人がたくさんできた。
 
祖母は早くから戸口に出て皆を歓迎した。弟の石錦豪はまだ、幼稚園に入る前の年齢で、楽しそうに皆の前や後ろを走った。高吊り式家屋の庇は二重になっていて、雨がひどく降っても、直接室内に入ることはない。皆が楽しく昼食の準備をしていた時、青年ボランティアの陳東萍は錦豪と一緒に「美人座」と皆が呼ぶ木のベンチの上に乗って手を雨の中にさし出し、童謡を歌って遊んだ。
 
ボランティアは「普段、お姉さんは学校に寄宿していて、おばあさんは農作業に忙しいけど、錦豪はご飯はどうしているの?」と聞いた。この地方の農作業は平地と違い、牛を追って山の高所でするため、仕事が終わって牛に餌を与え終わる時はすでに日が暮れ、そこから山道を歩いて帰るのである。
 
彼の答えは「一人で留守番し、あちこちで遊び、運が良ければ、どこかの家でご飯を一緒に食べよう、と引き留めてくれる」というものだった。推測するに、錦英も学校に寄宿する前はこういう日々を過ごしていたのだろう。
 
「皆、早く! すごくきれいだよ!」。雨が上がり、谷から山に水蒸気が勢い良く吹き上げられていた。しばらくして霧雲が渦を巻き、山村を隠してしまった。多くの人は大金を払ってこの仙境の美しい景色を見るためにやって来るが、石錦英は幼い時からこの絶世の美景の中にいる。両親を思いながら、キャンプで突然たくさんの仲間ができ、とても楽しい。
 
「初めは怖かった。クラスで大きな掌を描き、そこに自分の好きなことを書く時になって、初めて皆のことが分かりました」。小さな木の腰かけに座って、錦英と冠智、東萍は楽しく語り合った。「それから、ゲームの時に走り回り、大汗をかきました。お兄さんやお姉さんたちと一緒に、あなたたちがこんないっぱい用意してくれたのを見て感動し、涙がこぼれました」
 
天真爛漫な子供は貧しさの大変さを全部理解しているとは限らないが、両親がそばにいない孤独感は正に現実のことである。
 
慈青先輩の莊琬婷は彼女自身の人生経験を語った。お姉さんたちは歳が離れていたから一緒に遊べず、彼女自身も経験者として錦英に孤独に立ち向かう方法を教えた。「私が小さかった頃、同じように遊んでくれる人がいないので、一人二役を演じてトランプゲームをしたのよ。どんな手を出してくるかななんて想像して」。彼女は錦英に「お母さんを思う時、その気持ちを解決する方法があるわ」と言った。
 
「私は日記に自分の気持ちを書いたわ」「大きくなって日記を読み返した時、幼かった頃の気持ちが分かるのよ」と莊琬婷が言った。また、日常生活で体験したことを書いておき、両親が帰って来た時に日記に書いたことを話してあげれば、あなたの成長過程でのさまざまな出来事に両親も関わっているように思うはずだ、と教えた。
 
慈青の王冠智も自分の成長過程での経験を錦英に話した。彼の父親は博打で大きな借金をし、彼は学校に通いながら五つの仕事をかけもちしてやっと自分の学費と生活費をまかなっていた。「僕らは健康に気をつけて、親に心配をかけないことだよ」
 
彼は錦英に「じっくりと時間の使い方を考えてみなさい。僕は慈青に参加してから毎日がとても忙しくなった。疲れないかとか、勉強はどうしていると、友人が心配してくれる。確かに友人との時間は犠牲にしているが、ボランティアになったら、もっと多くの友人ができたよ」と言った。
 
「少しでも止めようかと言う気持ちがあってはいけない。否定的な思考に打ち負かされてはだめ! 」と冠智は錦英の目を見ながら言った。錦英は皆の手を握って「一生懸命勉強します。お父さんに喜んでもらいます」と言った。
 
「高校生の時に慈済と出会って支援を受け、大学にも受かったわ」。陳東萍は経験者として錦英を励ました。農村の子供は頑張って勉強すれば、その閉塞的な環境を離れるチャンスに恵まれ、自分で人生を決めることができる。「大学二年生一学期の時に支援を断ろうと決心したわ。誰かもっとそのお金を必要としている人がいるはずだから、私も支援する側になることを決めたの!」と彼女が言った。
 
●家庭は裕福ではないが、呉徳懷(左)は両親と一緒に暮らしている。慈青の王冠智は勉強が好きな彼を励ました。(撮影・莊琬婷)
 

誰が付き添うの?

 
家庭訪問は全部で十二チームに分かれて行われ、それぞれのチームには慈済ボランティアと台湾からの慈青、貴州の青年志願者が参加した。時間が逆戻りしたように、子供たちを見ていると、自分たちの過去が思い出された。
 
「苦を見て福を知る」「彼らを見ていると自分の幼い頃を思い出す」という二つの言葉は、これら青年たちの思いではないだろうか? 家庭訪問を終えた日の夜に行われた感想会では、涙によって皆の心がより柔和になり、互いの距離はさらに縮まった。
 
その日、拉撹小学校からバスに乗り、一緒に排焼村に来たキャンプ参加者の潘小艷と潘英霞は、家庭訪問を終えても排焼村を離れようとしなかった。
 
慈青の許嘉玳は彼女たちがどうやって董術村に帰るのか心配だった。聞くところによると、家までの道程は六キロで、約一時間はかかる。「六キロというのは小さな女の子には大変な道程なのに、どうして彼女たちは帰ろうとしないのか? それは私たちと一緒にいたかったからです」
 
嘉玳の話を聞いて、慈青の先輩の李仁耀が皆に質問した。「どうして彼女は帰ろうとしないのか? それはここだったら、付き添ってくれる人がいるから。そうだとしたら、僕らは彼女たちに引き続き付き添っていけるか?」
 
中国の青年ボランティア、羅必語が発言した。彼女の言葉は成長した「自分」が幼かった頃の「自分」に話して聞かせたものである。「家庭訪問する時の山道が細い泥道なのを見て、可哀想だと思うかもしれない。以前私もそう思った。だが、『家に帰る道がある』『電気がなければ、月明かりで仕事ができる』と今は思う」
 
「誰も彼らに模範を示すことができなければ、彼らは親の生活を真似るだけです。私たちが経験者として大学までの人生を導き、付き添いたいのです。農村の人にとって、勉強は唯一の道ではないとしても、最良の道なのです」と言った。
 
必語は慈済の支援を受け、今は貴州民族大学の学生である。「慈済は私に付き添って長いのですが、半分は付き添ってくれ、半分は自分で成長したからこそ、より良い人生を長く歩んでいけるのです。台湾の人々は私たちを励ますために、遠く台湾から来ているのです。私たちは引き続き励んで、この愛を伝承していきたいと思うのです」と彼女が言った。
 
●屋根裏部屋は呉徳懷のお母さんが機織りする場所で、貴州青年志願者の陳東萍は彼女から機織りの技術を学んだ。(撮影・莊琬婷)
 

独りと大勢

 
台湾の慈青たちは勇敢に快適な環境から一歩踏み出し、最高の効果が発揮できる文化交流を成功させた。情熱と勇気で対岸の支援を受けている青年志願者と大山に生まれた運命の子供たちを受け入れた。彼らには恵まれた環境はなく、常に向上心を忘れず、自分自身に打ち克たなければならない。
 
「六キロの道を独りで歩くのと大勢で歩くのは違います」と中国青年志願者の姚春芝は慈青の先輩の李仁耀の質問に答えた。「私たちがかつて付き添いを受けて夢を成就したように、再び戻って来て、彼女らに付き添ってあげたいのです」
 
感動的な出来事が多過ぎて、全部書き出すことはできないが、最後に一つ言いたい。支援を受けた陳東萍のことは覚えているだろうか? 排焼村を訪問した時、彼女と錦英は同じように、錦豪のような弟がいたが、唯一違うのは弟が一人で留守番していた時に蒸発してしまい、未だに行方が分からないことだ。
 
東萍は成長過程で、幸いにも心の扉を開けてくれる人がいた。彼女のこの世の善念や善行が全て弟のためになることを信じるよう教えられた。キャンプが終わった後、彼女は友人たちに、皆で村で留守番する子供たちに関心を持つよう訴えた。
 
「彼らは親と一緒に生活することができず、良好な日常の学習環境もないが、彼らには無限に大きな大山がついている。大山は彼らに四、五歳から一人で生活する方法を教えている。虐められた時はどうやって勇敢に対峙するか? どうやって楽観的になって生きて行くか?
 
遠くからやって来た家族として、会ったことのない家族を訪問しても、家族として迎えてくれる。あなたが心を開いた時、感動するような経験が聞ける。彼らは表現の仕方は下手でも、最も純朴な夢を持っている。彼らの夢はいたって単純で、頑張って勉強し、いつか一度両親と一緒に北京に行ってみたい、というものだ。学習を通して家庭の運命を変え、外の世界が見えない大山を離れることなのである」
 
●台湾と貴陽から来たボランティアは三都水族村寨で家庭訪問し、勇気を持って夢を追い、人生を変えるよう励まし合った。(写真提供・林櫻琴)
 
「多くは期待しないが、私の文章を見て固定観念を変え、心を修行する時、他人に夢を追いかけるチャンスを与え、運命を変える希望を持たせてあげたい」と文章をしめくくっている。これは文化交流に参加した全てのメンバーの願いだ。さあ、手を携えて愛を広めていこう!
(慈済月刊六一一期より)
NO.255