慈濟傳播人文志業基金會
貴州の希望
貴州の大学生の夢は?
台湾の大学生はどんな生活?
彼らの互いへの好奇心と共に手を携え、
愛とケアを大山のこどもたちに与える中で、
今まで気づかなかった自分に出合った。
 
二〇一七年八月四日、台湾の六人の慈青(慈済の学生ボランティア)と九人の慈済ボランティアは、中国の青年ボランティアと交流するために、桃園国際空港から二時間半の距離にある中国貴州の貴陽に向けて飛び立った。
 
貸し切りバスがホテルに着いた時、到着を待っていた中国の青年ボランティアたちがホテルの玄関口に一列に並び、「本当に会えて嬉しい。心から喜びで迎えたい。いらっしゃい!」という歌声と共に熱烈な拍手を送った。少しずつ輪が縮まり、柔和で澄んだ歌声が響き渡った。「青い空、白い雲が訪れ、そよ風が陶酔させてくれる。花が咲き、山が赤く染まる。夜空の星はあなたのために輝いている。僕は貴州で待っていた、君と会える日を。この素晴しい日を……」
 
慈青たちは目を見張り、ボランティアは不思議そうな顔をした。「何という美しいメロディー! それは何という歌?」と聞くと、「『貴州で君を待っている』という歌です」という返事が返ってきた。
 
貴州の音楽家、張超が作曲し、貴州丹寨県出身の玉鐲兒が作詞したこの歌は、多彩な貴州の景色と民族風情を織り込んでいる。
中国の青年ボランティアは慈青とボランティアを取り囲む輪をさらに縮め、歌声と笑い声がホテルのロビーに響き渡り、皆目を赤くした。
 
●中国と台湾の若者と慈済ボランティアが家庭訪問活動を行った。苗寨排焼村でミャオ族の歓迎を受け、民族衣装を着せてもらった台湾の慈青ボランティア。(撮影・林櫻琴)

支援を受けた日々、人助けする今

 
「なぜ泣くのですか?」と 貴州羅甸県のプイ族の青年ボランティア、羅必語は、ボランティアの張麗雲の肩を抱きしめて泣いた。「あなたたちを四月からずっと待っていました!」
 
羅必語には五、六歳年下の従妹がいる。叔父と叔母は他県へ出稼ぎに行き、誰もこの子に関心を持ってくれないため、勉強しなくなった。その後、叔父と叔母が離婚した。従妹は学校の寮に入っているが、親の愛に教師が取って代わることはできない。
 
「従妹は不健全な環境で成長すれば、愛に飢え、心に不満を抱えてしまうと思うのです。私では力不足で助けてあげることができません。慈済のおじさんやおばさんが、こうした孤独な子どもたちの問題に気づき、交流に来てくれたことにとても感謝しています。感情が高ぶって、あなたたちを見たら涙が止まらなくなったのです」
 
羅必語は貴州民族大学文学部で中国少数民族言語文学を専攻しており、もうすぐ四年生になる。彼女は中学生だった時、慈済の就学助成金を申請した。「慈済は一年に四回来て、山の貧困家庭の子供たちに立志のお話をして聞かせています。慈済が私たちを愛していることを感じて、来る度に感動させられます。慈済のおじさんやおばさんは天使のように私たちを愛してくれます」
 
慈済は一九九七年から貴州で貧困者支援をしており、学校の建設や村の移転支援、就学支援、冬季配付活動などを行ってきた。この二十年、支援を受けた子供たちは成長して大山を出て高等教育を受け、掌を上に向けていた子供が人生の転換期を迎えて、掌を下に向けて奉仕することを学ぶようになった。彼らは将来、医者や技術者、教師、母語文学研究者となり、郷里に恩返しするであろう優秀な学生なのである。

先輩の導きで大山を離れた

 
慈済の就学支援を受けている貴州の学生と台湾の慈青は、九日間の交流活動の中で、三都県拉撹小学校の三十六人の生徒を対象に「楽しく学べる希望キャンプ」を催し、山間部の排燒村と董術村で、親が出稼ぎに行き、村に取り残された子供たちを励ました。
 
三都スイ族自治県は全国で一、二を争う貧困県である。若い人は沿岸地方に働きに出る。半年か一年に一回帰郷するだけで、子供を親に預けたり、預ける先がない時には、一人で取り残される子供もいる。
 
拉撹小学校の三百十六人の生徒のうち、祖父母に預けられている子供は二百人ほどで、六十八人が一人暮らしである。八月七日と八日に行われた「楽しく学べる希望キャンプ」では、『西遊記』の三藏法師とその弟子たちが拉撹小学校にやって来たという物語で幕を開けた。慈青たちは知恵をふりしぼってキャンプの内容を考えた。要所要所で上手にスイ族の文化を取り入れることで、子供たちにゲームをしながら故郷の言葉と文化の美しさを感じてもらうと共に、自分の役割をどう果たすかを学べるようにした。
 
●貴州の大学生ボランティアが拉撹小学校の校庭から校門まで愛の架け橋を作って、帰郷する小学生を見送った。(撮影・林玲悧)
 
慈済ボランティアが五、六歳の時から見守ってきた羅甸県水淹塘の女の子、姚春芝は今はもう大学一年生である。彼女はボランティアの中でも、年齢に比べて落ち着きがあり、大人びていた。
 
彼女は三都県の小学生たちに、「私の小さい頃の夢は、大人になったら出稼ぎに行ってお金をたくさん儲けることでした。しかし、大人になってから、勉強することこそが貧困から抜け出し、大山を離れる唯一の道なのだと気づきました」と言った。
 
彼女は、「未来に向かって歩むと共に、困難に挑戦し、自分は他人よりも劣っていない、と自信を持つべきです」と皆を励ました。
 

二十年経っても側にいる

 
鍾天光は貴州大学医学部臨床医学科の学生で、十四人の青年志願者の中で唯一の男性メンバーである。中学生だった頃、彼は家族を代表して慈済の配付物資を受け取りに行っていた。中学校と高校は慈済の就学援助で卒業することができた。
 
「我が家が一番困っていた時、慈済が衣類、布団、食事の支援をしてくれました。学費も払えなかったので慈済が就学助成金を支給してくれました。僕は子供の頃から大人になるまで人の支援を受けて来ました。だから、僕も人助けをしたいのです。医学を志すのは郷里に恩返しするためで、家庭が貧しく、医者にかかれない人たちを助けるのです」
 
二十年前、慈済ボランティアが貴州に足を踏み入れた時、外部と接触する機会が少なかった村民と子供たちはびっくりして慌てふためき、どうしていいか分からなかった。この紺と白の制服姿が彼らをその後もずっと見捨てず見守り続けてくれることになるとは、夢にも思わなかった。
 
あの時から二十年後、彼らは今、石の合間に花が咲き、野山いっぱいに広がるように、力強く光明に向かって人生を歩んでいる。
NO.255