慈濟傳播人文志業基金會
自由になるために、辛いリハビリに励む
【患者として  心の声】
 
バスケットボールや卓球をやり、ジムに通い、
バイクで出かける私は、普通の人と変わりがありません。
頑張ってリハビリに励み、
一日も早く束縛から解放されて、
母とお世話になった皆さんに恩返しをしたいと思っています。
 
八仙水上楽園で粉塵爆発事故が起こったとき、私は二十七歳でした。事故で受けた火傷の面積は六十パーセントで、手足のすべてを含み、その熱傷深度はⅡ~Ⅲ度に達していました。三軍総病院で十三回の手術を受け、傷痕の処置と皮膚の移植を受けました。頭と背中、腹、太ももの内側から皮膚を取って移植するプロセスはとても痛く、辛い治療でした。
 
ICUから一般病棟に移された後、自分でできないことが増えたことに気づきました。ベッドから降りると平衡感覚を失って、ろくに座ることもできませんでした。歯磨きやシャワー、トイレは全部母が手伝ってくれました。
 
徐々に傷口が癒合したので、箸を持つ練習を始めました。最初は指を開くことも曲げることもできなかったので、とてもがっかりしました。ある日ようやく食べ物を挟むことができて、すごくうれしかったです。その時の様子を友人に写真に撮ってもらいました。退院してから家に帰った直後は、毎日階段を上ったり降りたりすることがとても大変で、何歩か歩くとすぐに休憩をしなければなりませんでした。
 
退院後、母親は毎日私を「陽光民生東路リハビリセンター」まで車で連れて行ってくれました。リハビリやシャワー、薬の付け替えや傷の加圧のためです。また、火傷によって手と足は発汗できなくなり、その代わりに胸と背中から大量の汗が出るようになりました。そのため、ベッドシーツがびっしょりとぬれてしまうので、母は常にシーツを洗わなければなりませんでした。また、私のために高蛋白質の栄養食品を買ってきてくれたり、ジュースを作ってくれたりして、母は本当に忙しかったと思います。
 
火傷をした後、母の愛は偉大なるものだとつくづく感じ入りました。そのために私は真面目にリハビリを受け、加圧服を着用しています。ただ、天気が暑くなると、湿疹が出て、かゆくなって腫れたところを掻いてしまい、そこが傷口になっていつも血を流していました。起き上がった時には、下半身が膨張して、痛くてかゆくて、とても気持ちが悪かったです。
 
●ひどい火傷を負う前、林佑軒さんはスポーツや旅行が大好きだった。火傷の後は、母親の付添いと細やかなケアを受けながら、いちはやく回復し、ふつうの生活に戻れるよう、頑張ってリハビリを続けている。

事故の後、證厳法師は大愛感恩科学技術会社に通気性に優れた快適な加圧服を研究開発するよう委託されたと聞きました。二○一六年六月から私は第九作目の加圧服を試着することになりました。その頃、傷痕はほとんど回復していましたが、新しくできた皮膚はまだ薄かったので、破れないように、母親は注意深く力いっぱい加圧服を引っ張りながら着せてくれました。

 
加圧服は大変涼しいのですが、かなりきつくて、着心地はよくありません。でも、実験が終わるまで、私は頑張って着用を続けました。半年の間、常に大愛感恩科学技術に意見をフィードバックしました。改良後の完成した第十作目はとても着心地のいいものに仕上がっていました。弾力性があり、通気性も良く、冷やす効果が長く継続し、加圧値は二十五ミリHGで皮膚にも密着するので、傷痕を加圧する機能はかなり良くなりました。
 
それを着用してリハビリを受けると、動きが自由自在になったように感じました。この加圧服を作った研究開発チームに大変感謝しています。私たちのような患者に全身全力でケアをしてくれました。
 
火傷をする前、私はよくジムに通い、バスケットボールや卓球をしていました。今は回復して、これらの運動を続けていますが、鉄棒に吊り下がることはまだできません。新しくできた皮膚は薄いので、鉄棒を摑むと皮膚へ力がかかりすぎて痛くなりますし、皮膚が破れる恐れもあるからです。
 
痙攣と収縮が発生しないように、加圧服は一日中着用しなければなりません。不便ですが、黒い加圧服を着用して、自転車に乗っていると、スポーツ用のスパッツを着用している友人たちと変わりがありません。見た目もいいし、機能性に優れ、川辺や小道を走って微風に当たると、涼しく感じられます。
 
今度の新しい加圧服が早く傷痕を平にして、回復を早めてくれるよう期待しています。そして私たちも束縛から解放され、自由になれることを願っています。
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