慈濟傳播人文志業基金會
大量負傷者受け入れ体制を敷く 自然と人命救助を最優先する
花蓮慈済病院は地震発生後、直ちに大量負傷者受け入れ体制を敷き、
四百八十五人の病院関係者が救急外来に集まった。
皆、体制が解かれる二時間二十分後まで力を合わせて百名以上の負傷者の世話をした。
 
「今までこれほど大きな地震に遭ったことはなく、大量の負傷者が送られてくることが予想されました。私は宿舎から病院に来る時、病院の建物の状況に注意しながら、約五分で救急外来に着きました。臨時指揮官の下に標示看板が置かれ、区画されると共に、病院関係者は迅速に集まりました」と総指揮に当たった花蓮慈済病院の林欣榮院長が言った。
 
二月六日午後十一時五十分に強い地震が発生し、十分以内に十五人ほどの住民が救急外来に来た。その日、救急外来の当直医だった陳煌浜医師は統帥飯店が倒壊したと聞き、すぐに大量の負傷者を受け入れる体制を敷く状況だと感じ、大勢の医療人員と医療機器を救急外来で待機させた。
 
統計によると、大量負傷者受け入れ体制に入った後、医学部実習生も含めて百十八人の医師と四十八人の医療技師、二百十九人の看護人員、百人の事務関係者、合わせて四百八十五人が緊急体制に対応した。
 
●陳煌浜医師(中央)は大量負傷者受け入れ体制を指揮し、医療人員は素早く反応して各部署に就いた。
 

普段の訓練が機能を発揮した

 
病院に送られてきた患者の数は瞬く間に、二十人、三十人と増え、またたく間に五、六十人になった。短時間に訪れた百人から二百人もの患者とその家族に医療人員を加えると、四、五百人の人が救急外来を出入りしていたため、臨機応変にスペースや人員、器材を配置した。
 
慈済病院では毎年、大量負傷者受け入れ体制の訓練を行っており、今回、現場で指揮をとった陳煌浜医師は、「約百人の患者は地震発生から二時間以内に病院に来てます。後の統計によると、救急外来で処置した中で地震で負傷した人は百二十人ほどで、ほかは軽傷だったにもかかわらず、恐怖で家に戻れず、病院にいることを選んだ人たちでした」と言った。
 
陳煌浜医師によると、二月七日午前零時十分に大量負傷者受け入れ体制を始動し、午前二時半にはほとんどの患者の処置を終えた。また、花蓮市のほかの病院と連絡を取り合い、慈済病院に転院して来る人がいないかどうかを確認してから、受け入れ体制を解除し、当直人員がその後を引き継いだ。
 
医療人員を休ませたのは、その後の数日間により多くの負傷者が訪れた場合を考慮し、充分な医療人員の続投が必要となるからだ、と陳煌浜医師が説明した。
 

緊急時は患者が最優先

 
救急外来の看護師である張雅雯は当日、午後の当直で、ちょうど仕事を終えた時に地震が発生し、そのまま残った。負傷者は側に看護人員がいることで気が落ち着くため、患者一人につき一人の看護士を配置するようにした。張雅雯は病院ボランティアが数多くの患者を落ち着かせたことに感謝した。
 
花蓮慈済病院外傷センターの王健興主任は大急ぎで救急外来に行き、現場の指揮官に報告した後、重症者対応に配属された。そこには救急外来の看護師やICUから支援にきた看護師もいた。
 
「重傷者対応エリアはすでにいっぱいだったため、続けて重傷者が送られて来た場合に備えて、迅速に患者を治療して救急外来から転出させ、いくつか病床を空けておきました。私は重症区画の出入り口に立って外の様子を見ていました。まもなく人の叫び声が聞こえ、二人の人が走ってベッドを取りに来ました」
 
王健興は車の側で走りながら、車に乗っていた患者が危険な状態に陥ったのを見て取り、もう一人の医療人員が病床に飛び乗って応急処置を始めた。彼は大声で道を空けるよう叫びながら、病床を重症者対応エリアに入れた。午前二時近くで、患者が病院に到着した時はすでに瞳孔が開き、救急処置を行ったが、命を救うことはできなかった。
 
王健興は午前三時近くに帰宅したが、六時過ぎに起床して出勤した。そして外傷センターで翌日の午前八時まで当直し、続いて午後五時過ぎまで手術を行った後、やっと家に戻った。帰宅途上、麻酔科の蘇逸愷医師に出会い、互いに家の状況を尋ね合った。
 
本当は王健興も家の状況をあまり把握していなかったが、他県から来た蘇医師は怯えて宿舎に戻ろうとせず、ボランティア宿舎に泊まった。「多くの看護師は怖がって当直室に泊まっていますよ」と彼が言った。
 
陳宗鷹副院長によると、救急外来だけでなく、各病棟の看護師たちは自分の恐怖心を横に、ショックを受けた患者とその家族たちをなだめていた。「患者が最優先」という精神は人々を感動させた。
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