慈濟傳播人文志業基金會
大愛と善行、福を世界に 
大愛を以って友と共に
愛のエネルギーを凝集して
苦難の人を護り
善行と愛を共に天地を護り
人々の奉仕で
この世の災難を減少させよう
 
極限の悲しみは言葉では言い尽くせない。二月六日の深夜十一時五十分、瞬時に天地が揺れ動いて、花蓮市街地のビル数軒が傾きました。多くの人が閉じ込められたり行方不明であること、また数百人が重軽傷を負ったと聞き、私の心は真っ白になり、台湾中部大震災発生当時の「極限の悲しみ」に襲われたように、言葉がでませんでした。
 
熟睡中の人たちは慌てて飛び出し、救難救助隊員はただちに傾いたビルから人々を助け出しました。身一つで飛び出した人たちは、この寒空に薄着と恐ろしさで震えていました。
 
その中で菩薩が地面から湧き上がったかのような、ボランティアたちや救難救助隊員は一組一組とリレー式に救助に当たっていました。続けざまに襲ってくる余震の危険を恐れず、傾いたビルの中へ入って、少しでも生命の兆しがあると瓦礫をかき分け、分秒を惜しんで一人でも多く助けようと懸命に励んでいました。
 
 
地震によって十七人の貴い犠牲者が出たことは遺憾でした。その中には観光スポットの花蓮を楽しみにして訪れていた外国の観光客もいたそうです。思いもよらずこの大地震に遭って、今度はこの山水と魂を共にすることでしょう。人生無常、予期せぬことが瞬時に発生します。たとえどんなに健康、または若くても、無常にあえば自分の思いのままにはなりません。これが因縁というものですが、非常に心が痛み、忍びない思いがします。
 
私は花蓮へ来てから五十年以上になります。常に地震が起きていましたが、今回のように大きくて密集した余震はありませんでした。どんなに堅固な建築でも強烈な揺れにはかないません。この世は無常、国土は脆いことを目の当たりにして、感慨深いものがありました。
                     
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瞬時の天変地異の記憶を消し去ることはなかなか難しいものです。二月初め、私は台中で歳末祝賀会を行っていた時、心の中で十九年前の台湾中部大地震の悲惨な様子が、はっきりと心に浮かび上がっていました。台中から南投まで、すべての歳末祝賀会の会場で皆に当時の復興支援への感謝を忘れずにと諭していました。花蓮へ帰る時、迎えに来た花蓮慈済病院長の林欣栄院長が「昨日の強い地震の時、ちょうど手術中でしたが幸い何の影響もありませんでした」と報告していました。
 
思いもよらず、その深夜にさらに大きな地震が起きたのです。重大な災害状況を聞きつけて、私は真っ先に電話で林院長に連絡を取りました。負傷者が次々に搬送されて、医療スタッフはただちに集合して医療に当たっていると聞いたので、私は感謝し、人々が平穏無事であることを祈っていることを伝えました。静思精舎では早朝より徹夜で絶えず生姜汁を作って、被災者や救急隊員の防寒と飢えに備え、また毛布を配ったり、折り畳みベッドを臨時収容所へ運んでいました。
 
その夜、私の心は悲しみでいっぱいで、夜が明けるとともに市街地へ災害状況を見に行きました。ある所では道路が地震によって隆起していましたが、大方の家屋は無事であるのを見て、気持ちは不安から幸いと感謝に変わっていき、密集している市街地の家々が無事であることに感謝していました。
 
被害が重大だった場所に近づくと、私の心は再び波打ちました。黄色の立入禁止のテープで囲まれた封鎖地域内のビルは、傾いて屋根が見えて、六階建てのビルは二階が一階になっていました。瞬時にビルを崩落させた天地の威力のすさまじい有様は、十九年前の台湾中部大地震の時のようでした。
 
中に閉じ込められ、恐ろしさと苦痛の中助けを待つ人々は、一秒が一年のように感じられているでしょう。また救助隊員は梯子に登ってビルの窓から屋内に入って被災者を探しに行っています。小雨の降る寒さの中、私の心は形容のできない悲しみを感じていました。
 
多くの花蓮に住んでいる慈済人は、天地が揺れ動き家具や物が落ちる恐ろしさを体験したものの、無事であるのを確認するとすぐにボランティアの制服に身を固め、出動しました。寒風の中整然と救済物資を運んだり、臨時収容所へ避難者に寄り添ったり、また、日夜交代で温かい飲み物や必要品を救急隊員や被災者に提供していました。平常から彼らが「大愛を以って友と共に」の精神で行動に移したことは、「善行共福を以て天地を護る」ことの実践です。
 
連日のように捜索隊は救援に尽力していました。この大変な苦労と勇敢な任務と、この世の愛に感動しました。慈済人の被災者に寄り添い、必需品を提供している姿に、「他人の苦難を見るに忍びない」慈悲の心を見ました。愛は血縁に限るでしょうか? この世にいる人々は皆が一つの家族です。分け隔てのない愛の力は「この世に愛がある」と言うことです。
 

災難を見て人性の善を実証

愛で人々を抱擁することができる

 
災害後、花蓮慈済病院はただちに傷病者処置体制を整え、医療スタッフは病院に駆けつけました。彼らは震災後、目覚めて頭に浮かんだことは、命を守り救うことでした。
 
また、花蓮にある慈済の学校では、冬休みで大部分の学生は帰省していましたが、校長や教師たちは留学生を慰め、救助活動に参加するようを勧めたことにも、感謝しています。奉仕する中で、自分の心を落ち着かせるだけでなく、この世の無常と苦難を見ることができました。
医者や花蓮、他県のボランティアまでが、自発的に速やかに駆けつけて、被災地で夜に日を継いで奉仕している姿は、愛の表われでした。人々は和合協力、共同の善行、大愛を以て共に苦難の人たちに寄り添いました。
 
強震は瞬時のうちにすべてを変え、人々を悲しみの淵に陥れました。陰鬱が速やかに過ぎ去ることを願い、人々の愛の力で、すべてが新しいスタートを切れることを期待しています。
 
 
呉義湖さんは統帥飯店の真向かいで食堂を経営していました。目の前で瞬時に傾くホテルを見て、自分の店がめちゃめちゃになっているのもかまわず、地震がおさまると、すぐにヘルメットについている明かりを頼りにホテル内に入って数人を助け出しました。雲門翠堤ビルの隣に住んでいる黄玲珍さんは、地震でエレベーターの中に閉じ込められていましたが、隙間から何とか逃げ出しました。まだ恐怖がおさまっていなかったのですが、近隣の災害状況を見て、慈済の使命感を自覚し、ただちに救済に参加していました。
 
雲門翠堤ビルの付近に住んでいる呉志慶さんは環境保全ボランティアでした。倒壊したビルを見て、慈済法門の廖連逢夫妻が六階に住んでいるので、梯子を持ってきて窓から入り、救援隊の来る前に夫妻や二十人以上を救け出しました。その後、三人は慈済の支援活動に参加しました。
 
危険な時は誰も恐ろしいのですが、こんなに勇敢に人助けをする人たちもいます。感動的な話はたくさんあり、言い尽くせません。お互いに血縁はありませんが、しかし「無縁大慈同体大悲」を心に奉仕していました。これらを見て、人々の本性は善良で大愛を発揮することができ、人々を抱擁できるのだと実感します。
 
この度の災難で台湾の生命力が実証されました。「善」とは「愛」の気力です。この善と愛の力は感動的で、皆が大切にするように期待しています。
 

愛の心を広げて

天地と共に生きる

天長地久、大愛を以て

地球村を抱擁しよう

 
台湾中部大地震が過ぎてから十九年近くになりました。当時世界から集まった愛と善の力によって、台湾はいちはやく震災の陰影から復興することができました。この度、花蓮が受けた地震で、大地と人心の傷はどのように復興するでしょうか? 同じく「愛」です。人々の発揮する愛の力の奉仕が必要です。
 
頻繁に起きる余震に、多くの人は驚いて雨の降るテントの中で我慢し、建物の中には入りたがりませんでした。地べたで寝て、心身とも安らかになることができません。二月十一日、捜索隊は捜索を終え、慈済は花蓮の静思堂で「祝福花蓮祈禱音楽会」を催して、被災者や恐ろしい体験をした人たちを慰問しました。
 
演芸会の人たちが花蓮へ来て、素晴らしい歌声で慰問して下さったことに感謝しています。歌手の萬芳さんが花蓮へ着いた時、お姉さんは雲門翠堤ビルの近隣の中華小学校に避難していましたが、慈済人がずっと寄り添い、夜になるとさらに多くの人がいてくれるので「そばに慈済人がいてくれて助かった」と感動して心が安らかになっていました。ですから萬芳さんは感謝の気持ちを歌声にして、郷里の花蓮の人たちと慈済人に捧げました。
 
世界に地、水、火、風各種の災難が頻繫に伝わっています。二○一七年慈済は数十の国家を支援していました。二○一八年に入ったばかりの時に花蓮で強震が発生すると、かつて支援を受けた国々の人たちからお見舞いが伝えられています。
 
 
トルコの慈済人は長年シリア難民に寄り添ってきました。現地の慈済マンノウォー学校の難民児童は、台湾の強震を知ると祈禱するだけでなく、竹筒貯金箱に寄付金を入れてくれました。マレーシア、米国の慈済大愛幼稚園の子供たちも同じく台湾のために寄付金を竹筒に入れて、人々にも寄付を呼びかけていました。
 
メキシコのボランティアは街頭募金、カンボジア、フィリピンの千人以上の人たちは集まって一緒に祈禱しました。種族、宗教の差別なく、心から花蓮の平安のために祈ってくれていることに感動し、感謝しています。
 
彼らの大部分は、かつて慈済の支援を受けた貧しい人たちで、心から誠意を表しているのも愛の力、人類の温情であり、その実は「大愛を以って友と共に」ということです。
 
愛は極限の小さな範囲ではなく、愛の奉仕があってこそ愛を得ることができます。天の下、地の上にいる人々はみな一つの家族です。心を展開し愛の心を広めましょう。天地と共に生き、大愛を用いて地球村を包容しましょう。天長地久、共に愛がありますように。
 
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人心の欲念は絶えず増長し、したい放題、享楽のために、絶えず大地を破壊して空気汚染になり、地球にとって耐えられない負荷になっています。災難は大自然が発している警告で、災難に対しては尽力して奉仕する以外に、さらに懺悔心を起こして時と人生を無駄にしてはいけません。
 
人力が天に勝ることは不可能です。この世の平安を願うなら、人々は戒を慎み天地に対しては敬虔であること、心の動きや、一挙手一投足のすべては天を敬い地を愛さなければなりません。福とは求めれば来るのではなく、奉仕してこそ造福が叶い、福が増してこそ災難が減少するのです。
 
皆さんがただ待っているのではなく、行動を起こすことを期待しています。まずはやってみましょう。心に善と愛を描き、お互いを祝福し合い、善行によって福を広めましょう。大愛で全宇宙を満たしていきましょう。そうすれば私たちの社会は自然と睦まじく、平和になるはずです。
 
人生は無常ですが、愛の力をその時に間に合わせなくてはなりません。今この時を心して使い、心を無限に広げ、愛を惜しまず、確実に尽くしていくのです。
(慈済月刊六一六期より)
NO.256