慈濟傳播人文志業基金會
無言の良師―宥安、 ありがとうございました
宥安は臓器寄贈と献体という無償の願を全うし、
短くも美しい人生を卒業しました。
彼は、私たちに愛とは次から次へリレーすることだと教えてくれました。
安らかに自由自在で卒業旅行に行ってらっしゃい。
そして、もう一度私の学生になって戻ってくることを願っていますよ。
 
私が校長になって十八年。いつも卒業式では卒業証書を読んで、そして大きな声で卒業生に「おめでとうございます」と言ってあげます。しかし時には病室や葬儀場で卒業証書を授与しなければならないこともあります。それは私の校長としての人生の中で最も辛いことで、卒業式を待てずに旅立つ若い学生を前に胸が痛みます。
 
今年、学校の卒業式が終わった十時間後の翌日六月七日の朝、空を見上げると、梅雨明けの太陽の光が燦々と輝いていました。しかしこの日、私は台北の第一葬儀場に駆けつけました。もう一つの「卒業式」に出席するために。
 
会場に置かれた遺影は、いつもの親しみのある笑顔で私を迎えているようでした。しかしできることなら、いつものように私の前に立って、卒業証書を受け取って「ありがとうございます」と言ってほしかったです。彼は学校で表彰委員をしていました。表彰式の時にはいつもネクタイをつけ、賞品や賞状を載せた黒いお盆を持って私の横に立ち、私が学生たち一人一人に賞状を授与するのを手伝ってくれていました。
 
それなのに今、私の目の前には彼の遺影があるだけです。私は泣くのをこらえて、一字一字、卒業証書を読み上げ、彼が学業を修了し、そして一生分の宿題も完成したことを祝ってあげました。この卒業証書に記載されている名前、それは陳宥安です。
 

青春はいつも輝いている

 
宥安は温かく幸せな家庭に生まれ育ちました。両親には二人の娘が生まれた数年後、この可愛い男の子が誕生しました。まるで神様から授けられた小さな天使のように、可愛く、思いやりのある子でした。一家を楽しませてくれて、家族たちにも大変可愛がれていました。
 
宥安は彼の優しいお母さんに似て、小学校から中学校まで、いつも自発的に体の不自由なクラスメートに手を差し延べ、寄り添ってあげていました。
 
宥安は慈済との縁を早くから結んでいました。中学校の時、足に壊疽ができて、台北慈済病院で治療を受けたホームレスの貴さんという人を、慈済ボランティアの宥安のおばさんと大安区の陳明裕さんがケアしたのです。それをきっかけに貴さんと知り合った宥安は、以来、毎月街で貴さんが雑誌を売るのを手伝い、二年前に貴さんが病気で亡くなるまで続けました。
 
●クラスメートと一緒にボランティア活動に励む宥安(一番左)。
(写真提供・新店高中)
 
人助けに熱心な宥安は、中学校卒業後、志望校の新店高等学校に入学できました。この学校は「生命教育」を重視して道徳教育を推進しており、「月に一回愛を贈る」という奉仕活動を行っています。学校の内外の様々なボランティア活動に、宥安の姿がよく見受けられました。二年前、台風十三号が台湾北部を襲い、新店と烏来に甚大な被害をもたらしました。慈済ボランティアは自分自身の安否を考えずに被災地に駆けつけて、清掃支援を行いました。そのボランティアが年配者ばかりだったので、それを見た證厳法師は若者も救援に参加してほしいと呼びかけました。
 
新店から烏来に向かう途中にある亀山小学校は、一階の高さまで浸水しました。夏休みが終わって間もなく始業式という時でしたので、「亀山小学校をきれいにしよう」と證厳法師が再び呼びかけたので、新店高校の先生と学生たちも一緒に片付けや復旧の手伝いをしました。大愛テレビ放送の画面にも、宥安の姿があって、袖をまくりあげて、机や椅子を運んでいました。
 
誰も知らなかったのですが、宥安はスポーツ選手でもありました。陸上競技と水泳で賞を取ったこともあります。しかし脳に腫瘍ができて、高二の時に悪化し、何回も脳の手術のために病院に入退院を繰り返しました。這ったり、歩いたりのリハビリから始めなくてはなりませんでした。心優しい宥安は、家族に心配をかけないように、痛くても苦しいとは言わずに、ただ再び学校に戻られる日を待っていました。
 
宥安自身、この病気が完治するのは難しいと分かっていました。ある日おばさんが、仏陀が自分の身を捨てて鳩を救った物語を話してくれました。この話を聞いて、宥安はもしも自分の病気が治らなかったら、臓器を寄贈したいと希望し、臓器の寄贈同意書にサインしました。
 
今年の四月から五月にかけて、宥安の病状がひどくなりました。クラスメート皆が祝福のカードを書き、学校も先に卒業証書を作り、病室まで持って行きました。五月二十二日、家族は彼の身を捨てて愛を施す願いを遂げさせるため、救急医療を放棄し、寄贈できる臓器をすべて寄贈しました。それには角膜と一枚一枚の皮膚も含まれていました。
 
宥安の青春は、短くとも華やかで美しい時間でした。まるで菩薩の化身のように自分の命で多くの人の命を助けたのです。
 
                                             ●
 
この特別な卒業式で、宥安が自分の人生を卒業したと私は宣言しました。安らかに自由自在な心と体で卒業旅行に行ってらっしゃい。そして、遊びに夢中になりすぎずに、願を立てて再びこの世に戻って、もう一度私の学生になるよう期待しています。
 
燦々として眩しい太陽の光が葬儀場の外側に差し込んできました。いよいよ宥安が出発する時間になりました。私は学校の先生と学生たちと一緒に、恭しく深々と頭を下げました。
 
無言の良師―宥安、ありがとうございました。君のおかげで私たちは静思語にある言葉「人生は自分のものではない。ただそれを使うことが許されている」の意味がもっとよく理解できました。いつか命を手放す時は、君と同じように「生々流転」となるよう命をリレーしていきたいと思っています。
(慈済月刊六〇八期より)
NO.256