慈濟傳播人文志業基金會
無明を打ち破る
一時の享楽は
目の前を通り過ぎる煙のようなもの。
積もり積もって
世の中を深く傷つけるのです。
 

慎重にわずかな偏りも許さない

 
古来より暦は太陽と月の運行で正確に計算され、人々の生活の拠り所とされて来た。そして、地球の公転と自転の周期から一年がおよそ三百六十五・二四日であることが分かり、それ故、四年に一度一日多くなるため、閏年となって二月が一日多くなるように調整されている。今は天文学の観測によって閏月や閏日で少数点以下の時間を調整するだけでなく、閏秒でわずかな時間の誤差をも調整している。
 
二〇一七年十二月三十日のボランティア朝会で上人がこんな話をした。「人類は古来から蓄積を観察する智慧を用い、正確で実用的な暦を作り出しました。現代科学は時間の周期に対して一層細かく計算できるようになりましたが、個人としては一分一秒たりとも心の方向が逸れてはいけません。さもなければ時間の経過と共に正しい方向からますます遠ざかってしまうのです」
 
「一日は八万六千四百秒です。一秒一秒の積み重ねで一日が成り立っており、時間の経過と共に動く心が蓄積して固定観念になってしまいます。したがって、常に自分の心に注意し、少しも逸れてはならないのです」
 
文‧

新年を迎える時、多くの人は祝賀活動に参加し、夜通しで祝っている。もし、どこかの県や市が花火を中止すると決めると、皆失望する。大気汚染などとは言うが、打ち上げる時間は長くはないのだから、ちょっと楽しむぐらい何が悪いのかと思っている。

 
「一時の目の前の花火と煙を求めるのは凡夫の心であり、今年の文字に選ばれた『茫』にそれが表われています」。凡夫の心は茫然として目標もなく、道理を弁えず、是と非の区別もつかない。しかし、道理を弁えている人は心が明快であるべきで、とくにこの大変な時代では是と非を明快に理解しなければならない。大無明の社会では一層大きな智慧が発揮されなければならない。
 
「一時の享楽は目の前を過ぎる煙のようなもので、些細な行為が積み重なって深刻な汚染や破壊をもたらすのです。智慧を発揮して無明を打ち破り、一時の欲望を抑えれば、人心を浄化でき、天地をも浄化することができるのです」
 

忍耐強く、速成を求めない

 
上人のお諭しの翻訳に長年携わってきたアメリカの葛彬師兄たちとの談話を、ホンジュラスの張鴻才師兄の長男、張佑勤と四男の張佑偉が横で傍聴した。
 
上人は、「慈済月刊」に載っている数多くの感動的な実話が、長い文章ではなくても、深く報道されていて、人々に感動を与えていることに言及し、「もし、英語に翻訳して広めることができれば、とても良い教育材料になるでしょう」と言った。
 
「今、科学技術は多様化し、若者は映像や音を通して情報を受け取ることを好み、忍耐強く本を読むことが少なくなっています。もし、若者の趣向に合うように一、二分間の宣伝映像を作成しても、この短い時間で道理を理解してもらうのは容易ではありません。忍耐を養うことを怠ってはいけないのです」と上人は言った。「もし、何事も速成を優先し、目的を達成するために好まれる方法を採用すれば、若者の欲望はますますふくらみ、永遠に満足することを知らなくなり、逆に彼らを傷つけてしまいます」
 
 
「仏法を求めて学ぶのは心を満たし、欲望を減らすためです。心が無欲になれば、常に心安らかで自在な境地にいられます。修行して仏法を学べば、この世で追い求めるものが最終的には空であることが分かります。ただ、真の『空』の中にも奥深い真実の道理があります。それはすなわち誰もが仏と同じ悟りを開く智慧を持っているということです」
 
また、上人はこう言った。「宗教を信仰するには智信、正信がなければならず、神頼みを拠り所とするような気持ちではいけません。自分を守るのは自分しかなく、善行するのも悪行を行うのも心次第で、作った因に伴って果はもたらされます。異なった宗教信仰は尊重すべきですが、自分が信仰する方向も見極めなければいけません」
 
「時間を大切にし、有意義なことをし、無駄に時間を過ごすべきではありません。時間はあらゆることを蓄積することができます。一瞬一瞬に涌き起こる考えは絶えず蓄積され、この世を利する志業を成就させることも、また反対に、多くの災害や苦痛をもたらすこともできるのです」と上人が集まっていた若い人に向かって諭した。
 
「五十年以上前のあの思い、あの一瞬が五十年後の慈済を成就させたのです。もし、あの思い、あの一秒がなかったら、今日のあなたや私、彼我が一堂に集まって共に善行をすることはなかったでしょう。あなたたちがこのような観念をしっかり身につけ、自分の生命のために慧命を成長させていくことを願っています」
(慈済月刊六一五期より)
NO.256