慈濟傳播人文志業基金會
人生の酸いも甘いもカメラで捉える
私はレンズを通して感動的な場面を見てきました。
目頭が熱くなり、心が温まります。
世間のには苦難が多いですが、
人々は勇気を奮い起こし、善行へ向かっているのです。
私は撮影という責任を担う中から学び、
奉仕とは幸福であることが身にしみました。
 
慈済の撮影ボランティアに参加してから一年余りの私は、二○一七年に国際慈済人医会の年度会議活動を記録した際、深い感動を受けました。そのような感動は四つに分けられ、中国語では酸、甜、苦、辣という漢字で表されます。
 
この「酸」と言う字が何を指しているかと同じ慈済の人文真善美ボランティア(メディアボランティア)に聞くと、みんな「手酸」、「脚酸」、「腰酸」と争って連想しました。筋肉痛やしびれて痛いという意味で、その感覚が「酸っぱい」という味覚に似ていることから、この漢字が用いられます。
 
「いいえ、違います。それは鼻にこみ上げてきて拒みきれない酸っぱいような気持ちなのですよ」。私はいつも、まずメンバーの研修中の様子を撮影し、それから写真を選んで、説明も加えて編集していきます。彼らの輝いている顔を見ると、自分も嬉しくなります。もしも涙がこぼれてくるような写真を見つけたら、感動でいっぱいになるのです。
 
心のシャッターを押すだけでなく、手のシャッターもすばやく押さなければいけません。静かで荘厳な経堂の中ではシャッターの音が余計響いてしまい、「師兄(男性ボランティアへの呼称)、シャッターの音が大きすぎますよ」といつも言われています。
 
撮影に集中力を傾け、感動的なシーンを一つまた一つと細かく記録していきます。これは任務ではなく、また、義務でもありません。ただ単純に幸せを感じるだけです。しかも人文真善美ボランティアとしての幸福です。
 
幸福は遥かな彼方にあるのでしょうか。少し注意深く見回せば、幸福は目の前にあるのです。
 
十月六日、世界慈済ボランティアのリーダーである黄思賢氏の講演の日、私は記録係を担当しました。会場の前で研修メンバーの斜め下にカメラを構え、膝を床につけてあちこちに移動していました。カメラのレンズをある女性に向け、耳を傾けている彼女に最も自然な表情が現れるのを待っていました。
 
そして、シャッターを押した瞬間、「人文真善美ボランティアの仕事は本当に大変ですね」とある師姐(女性ボランティアの呼称)から声をかけられました。「いいえ、大したことではありませんよ」と私は言い返しました。汗だくだくの私を見て、彼女はティッシュペーパーを私にくれました。それから、多分足りないだろうと思ったのでしょう。またバッグから一枚のハンカチを出して私にくれました。「これはご縁あって慈済精舎の尼僧から頂いたものですが、どうぞ使って下さい」と言いました。
 
●慈済人医会の年度会議で団体写真の撮り方を説明する葉唐銘。
 
当時の私はそれを聞いて心が温かくなり、キャンディーをもらった時よりも幸せになった気がして、心にしみ込むような甘さを感じました。
 

心を奮い起こした二言

 
二○一七年の慈済国際医師会(TIMA)の年度会議に、二十カ国・地域から四百人以上の医師が集まり、治療経験などを分かち合っていました。医師たちが貧困や病気に苦しむ難民を施療し、自分が病気になった時も、恵まれない子供や植物人間の患者に積極的に治療を行ったり、辺鄙な所へ往診したりする貴重なシーンの写真を見せてくれました。
 
黄思賢氏の話によれば、アメリカでは連続的に襲ってきた大型ハリケーンハービーとイルマにより、多くの家が壊され、被災がひどいテキサス州ヒューストンでは、数千人の警察や消防員が救援のため各地を走り回ったということです。
 
その人たちの苦を見て、私の心も辛くなって、自分の力があまりにも小さ過ぎると思いました。苦を見て福を知り、福を惜しみ、さらに福を植えていくべきです。人々は力を尽くすうちに、小さな力も積もれば大きな力となることを、見落としてはいけません。
 
十月五日、研修員たちが靜思精舍に戻って、私は少しの油断で感動な画面を失ってはいけないと心配になり、制服が汗や雨に濡れることさえも気にせずにじっとガイドをしている尼僧に付いていましたが、幸いに二人のボランティアが順番で私とカメラの設備に傘をさしてくれました。心から感謝しています。
 
昼食後、私たちは證厳法師にお会いしました。こんなに近くで證厳法師にお会いするのは初めてだったので、本当に嬉しくてたまりませんでした。「年度会議の速報をちゃんと作っていますか」と證厳法師が尋ねられ、「はい、作っております」と撮影担当の陳栄豊師兄はすぐさま答えました。證厳法師はうなずいた後にその場を離れられましたが、何歩か歩くと振り返り、ちょうど私の目の前にお立ちになって、「ご飯をたくさん食べてね。それでこそ仕事ができますよ」と声をかけてくださいました。
 
私は深く感動しました。證厳法師はあらゆることを見逃さず、衆生の苦難に心から関心を寄せていらしゃるのです。人はまず自分の体の面倒を見てから、それでこそ気力が湧き、良いことができるのです。そして、自分の心を清めて初めて人を助ける志が固められるのです。
 
よその人から見ると、単なる短い二言だけですが、私は目が覚めたような気がして、勇気を奮い起こされました。
 
大型の国際研究会にて、私は責任を担う中から学び、そして学んだ中で奉仕とは幸福であることが身にしみました。「ボランティアをする中で学び、学ぶ中で気づき、気づく中で悟る」。ただ知っているだけで、何もしないままでは何も学ぶことができません。手に入れても、もっと深く学ぶべきであり、それでこそ深く感動することも、懺悔することもでき、知恵さえも得られるのです。
 
感謝のうちに奉仕し、奉仕する中で相手を尊重し、奉仕すればするほど、大きな力になって、愛の心も広がります。行い難きを行えば、その菩薩道には常に経験とエネルギーが積み重なり、自分が成長していけるのです。
(慈済月刊六一四期より)
 
NO.257