慈濟傳播人文志業基金會
希望は倒れない
悲劇が我々に思い出させるのは互いに信頼することの重要さだ。最も大切なのは「希望」を持ち続けること。
 
二〇一七年九月十九日午後、メキシコの首都メキシコシティを強い地震が襲った。同市の大聖堂の正面屋上には「自信」「希望」「慈善」と名付けられた三つの彫刻像が飾られているが、そのうち「希望」の像が倒れた。だが、これは凶兆ではなかった。メキシコ市民は彼らが持つ「団結」の真の価値観を世界に見せつけたのだ。倒壊した建物の現場では、一般市民が消防隊など救援部隊に早変わりし、兵士が建築作業に参加した。数十万のメキシコ市民が政府ができなかった救援活動を成し遂げたのだった。
 
●カトリックが主な信仰宗教であるメキシコ。その首都にある大聖堂の「希望」を意味する女神像が地震で倒れた。大聖堂の屋上は修繕のため鉄のフレームに囲まれている。
 
最も記念すべき民間活動は、三十二年前の同じ日に起きたメキシコシティ大地震かもしれない。この地震は三十万人の家を倒壊させた。メキシコ人作家のカルロス・フェンテスが、この日を「公民社会が自己の持っている力を明瞭に理解した日」にしようと呼びかけている。悲劇は我々に互いに信頼し合えることを思い出させた。私は当時まだ七歳だったので、近年になって保存された当時の資料を読んで初めて、多くのヒーローの事績を知った。私が今回自発的に手伝いにきた主な原因は、当時の善行の数々を知っていたからである。
 
人々は時としてこの大切な価値観を忘れてしまう。個人主義の闇の中にこもり、問題が自ら消えたり、他人が解決してくれたりするよう期待しがちになる。私はかつて六年間、メキシコから遠く離れたカナダに住み、メキシコの現実について考える時間を多く持つことができた。異国に移住した私は、初めて祖国の文化と離れたという感覚を経験し、遠くから自らのルーツを尊重する気持ちを培い、祖国に対する愛を表現する方法を見つけた。
 
古代のメキシコ人は約束を必ず守り、言ったことは必ず実行する。カナダで私は互いに尊重することを学び、それが衝突を解決するための鍵であると悟った。今の私は、この二つの国を故郷と思い、誇りに思っている。
 

地震を正視し、

能力の限り社会を良くしていく

 
多くの人はなぜメキシコシティのような大都市が湖の上に建てられたのか不思議に思うだろう。十四世紀のアステカ人、すなわち古代メキシコ人がテスココ湖に城を築いた時にも、ここが後に二千万の人口を超える大都会になるとは思わなかったはずだ。
 
古代メキシコ人は大自然を畏怖し、なすことすべてが大自然とバランスをとれるように考えていた。あらゆる困難を克服した末、水上の建築工法を確立した。惜しいことに、今となってはソチミルコ運河以外のものはすべて伝説になった。ソチミルコでチナンパ農法を使って耕作している住民も、隣接の都会が急速に拡大している中、生き残りをかけて懸命にもがいている。
 
今回の地震はまぎれもなくひとつの警報だ。我々は長い間、湖を埋め立てて生活していながら、環境保護のために何か備えてきたのか? メキシコの文学者、カルロス・フェンテスは二十世紀、ここを「空気が最も新鮮な場所」と称した。初めて古城を訪れた人たちはその美しさを愛でることができた。しかし、湖に流れ込んでいた川が今では下水管に変わり、下水がどのように湖に汚染をもたらしたかは見えない。我々は、今回の地震を正視する必要がある。最善策は、我々が力を尽くして社会を良く変えていくことであり、祖父母達から伝わる言葉のように、街の中に存在していた寛大を旨とする精神を再び見つけるべきだ。
 
●ロドリゴは、救援活動に加わった時に撮った被災状況のビデオを見せた。写真芸術の創作に従事する彼は、人間が環境保護のために何かしていたかを反省し、人間と大自然がバランスをとるべきだと話す。
 

ボランティアの精神、

無私と真心の奉仕

 
地震後、慈済のボランティアに出会う一週間前から、私は倒壊した建物の瓦礫を運び出す手伝いをしていたのだが、灰をたくさん吸い込んだせいで病気になった。それでも屋外に出て救援活動に協力することを決心した。なぜなら、サンゴディア地区の住民達が地震のせいで弱気になってしまったのを見たからだ。私の見方は正しかったと後になって証明された。「最後までここの住民に付き添うのか?」と私は自問した。なぜなら、これは真剣に取り組まねばならない「タスク」であり、無我無私、全身全霊で打ち込む強い意思が求められるからだ。
 
私にとって、ボランティアは今回が初めての体験ではなかった。私は十二年間顧問を兼任しながら教鞭をとった末、ひどい鬱病にかかり教職をやめた。その後、十歳以下の子供を専門に治療するがんセンターの教師に転職した。私が教えたのは、運よく闘病生活を生き抜き、エネルギーに溢れた子供達だった。彼らの生きることへの執念は忘れがたく、自分が彼らに教えたよりも多くのことを子供達から教わった。あのような経験ができたことにとても感謝している。
 
私にとって、今回慈済基金会に同行した経験が人生の大事な一部になった。これほど人道援助に深く関与したのは初めてだ。私は初め、遥か遠くの被災地のサンゴディアやソチミルコで、仏教団体が何をするつもりかを知りたいとの好奇心が強かった。
 
●ロドリゴ・ペレス・ロザダ(Rodrigo Pérez Lozada)
1979年メキシコに生まれる。芸術家。メキシコシティ在住。
逸早く救援活動に参加し、地震後4カ所の被災地へ赴いた。2017年10月より慈済救援チームに同行し、訪問ケアや救援物資の配付に参加した。
 
時間が一日一日経つにつれ、共に活動する慈済ボランティアの包逸涵、何郁郁、そして呂宗翰が、久しぶりに会った旧友のように思えて来た。彼らはその情熱と真心のこもった行動で、慈済が本気で被災者を助けようとする団体であることを、私にはっきりと理解させた。私は慈済に協力できることを嬉しく思い、慈済がいたからこそ私が人助けに専念できたのだと思った。
 

奉仕の精神 止まること無く

 
メキシコシティに生まれたにもかかわらず、地震が発生するまで私にとってソチミルコはずっと謎に満ちた街だった。古い運河は依然存在し、そこの住民はライオンのように伝統と信仰を守り、今でも住民達は道で互いに挨拶している。しかし、どうやってサンゴディアへ救援しに行くかが一つのチャレンジだった。なぜなら私も台湾からきた人と同じように外来者だと彼らは思っていたからだ。言葉の問題ではなく、まずはいかに住民の信頼を勝ち取るかがチャレンジだったのだ。私にとって意外だったのが、慈済のボランティアが優しさと親切な態度で住民を感動させ、彼らの信頼を勝ち取ったことだった。私も感動した者のうちの一人だった。
 
その一方、被害のケースが次から次へと明らかになってきた。犠牲者の追悼に追われ、それが私の力の源泉になった。かりに人の命を廃墟から救出できなくても、私はそばで彼らを励ますことができるかもしれない。そう思い、私が犠牲者の家を通りかかるたびにその場所を記憶し、彼らの親戚と友人が援助を得られるように力を尽くした。
 
●崩壊した古い教会の前に、ボランティアは犠牲者のために黙禱し、人々の幸福を祈るために敬虔に鐘を鳴らす。
 
人が地震後の不安におののくのを無視して、己だけが元の生活に戻ることはできなかった。彼らが不安と恐れから弱音を吐いたり、地震の時何があったかなどを話すのを、ただじっと聞いていた。彼らが必要としていたのはそういう聞き手だったからだ。震災後の最初の何日間かは、私はそうやって街に出て見知らぬ人と話をした。ここは最も私が足を止めるべき場所だった。友人のようにその人の生活に入り込むことで、彼らの体験を深く理解することができることを学んだ。
 
慈済のボランティアは真の愛を差し出していた。私は彼らから多くのことを学んだ。その中で最も大切なのは、「人のために」というボランティア精神だった。私にとってこれは大きなカルチャーショックだった。ボランティアは人の世話をし、そのニーズを汲みとって、全身全霊でそれを満たした。奉仕の歩みは一刻も止まらなかった。メキシコ人として、慈済ボランティアとして、私は慈済ボランティアのユニフォームを脱いだ今でも、このことをずっと覚えている。
 
 

心を一つにすれば

再建の道は遠くない

 
地震が発生した後、ボランティア活動に参加したことは、一市民として最低限のことをしただけだ。善が目的だと知っていれば、皆は自発的に人助けをする。周りに感謝したいことはたくさんあった。そのような美しい思い出を大切にしたい。私も台湾とメキシコにいる仲間たちが希望を持つことの大切さを忘れないよう願っている。
 
大聖堂の「希望」の像はいつか修復されるだろう。私の住んでいる街も同じだ。今日から、我々は肩を並べて一緒に未来のために努力するのみである。
(慈済月刊六一五期より)
NO.257