慈濟傳播人文志業基金會
あの年の夏休み 物語は続く
ボランティアの視点
 
十年前、四川省での夏休み、
人々が団結して共に困難を乗り越える勇気と信念を目の当たりにした。
そしてまた助け合い、融和、友愛を、
多くの人が求めていることを実感した。
 
十年前の夏休み、私は数人の他校の学生と共に四川省綿竹でのボランティア活動に参加し、テントの学校で子どもたちに勉強を教えた。「どこかで災難があれば、八方から支援する」、現地の人に微笑みかけ、抱きしめるだけでも意義がある、当時はそんな単純な考えを抱いていた。
 
余震が続いていたため、私が被災地へ行くのに対して家族は「迷惑をかけるだけだ」「悪趣味だ」とあまり賛成していなかった。しかしそれでも私は汽車の切符を買い、山西省中部の小さな町にある実家から二十時間以上をかけてついに四川省にたどり着いた。
 
廃墟となった被災地に、私は二十日間近く滞在した。様々な国や地域から来た様々な職業の人々に会い、多くのNGOや建設支援チームが道路の補修や仮設住宅の建設に従事しているのを見た。
 
●四川大地震の被災地・鎣華鎮では、地震による傷跡があたり一面に広がっていた。地震により2万キロメートル以上の道路が被害を受けたが、それでも国内外のボランティアたちは様々な困難を乗り越えて援助のため被災地に入った。(撮影・蕭耀華)
 
その時の感動や衝撃は永遠に忘れることはできない。大自然の災害の前で、人はあまりにも小さく無力な存在だ。しかし、人々が心を一つに団結し、共に困難を乗り越えようとする勇気と信念に、私はぬくもりと力強さを感じた。
 
太古の昔より、人類は様々な自然災害に向き合ってきた。私たちの祖先が創り上げてきた文明や文化はどれほど尊く、貴重なものだろうか。諸行無常、私は人生の意義や価値を考えるようになった。人は何のために生きているのだろう。日常生活の小さな悩みなど、悩みのうちに入るのだろうか。
 
後に私は多くの公益活動に参加するようになり、この世界には、友愛や善を認める人々がやはりたくさんいるのであり、そしてまた大半の人が、平和や融和、助け合い、より良い生活を求めているのだということを徐々に認識した。
 

台湾の友人

 
四川省でのボランティアに参加する前、私には台湾の友人はいなかった。子どもの頃、台湾の歌手・鄭智化の歌を歌うのが好きだった。「情熱的な太陽が顔を出し、大地はどこまでも緑が広がる。椰子の木が優しく揺れ、白い雲が青空に悠々と漂う……美しい南台湾、一晩ここに泊まったなら、明日帰るのが嫌になる……」。南台湾の美しさに、私は憧れを抱き続けてきた。
 
四川省でボランティア活動をしている時、台湾から来た慈済ボランティアの青年に出会った。私より何歳か年上で、私の好きな『未央歌』や『紅楼夢』などの文学について話をすると、彼もそれらが大好きであることが分かった。それから伝統文化や両岸の若者についてなど、たくさんの興味深い話題を話し合った。こうして友達付き合いをすること十年、時々連絡を取り合うたび、私の心は温かくなった。
 
さらにもう一人、桃園から来たという上品な白髪交じりの六十代のボランティアは、朝から晩まで休まず働いていた。鍋を洗い、調理用具を整理し、掃除をする女性を見て、私は思わず「どうして休まないんですか」と問いかけた。
 
「休暇を取って、飛行機に乗って、ようやくこの遠いところにまで来たのだから、当然一分でも多く役に立つことをしないといけないわ。やればやるほど私は嬉しいの。四川まで来たのも無駄じゃなかったと思えるのよ」という女性の答えを聞いて、時間を惜しんで有意義なことを少しでもたくさんすることは、決して何か損をしているのではなく、機会を無駄にしないということなのだと悟った。
 
テントの学校のある日の昼休み、突然銅鑼や太鼓の音が鳴り響いた。現地の村の共産党委員会幹部や小学生たちが、台湾海峡の対岸から来た人々へ心からの感謝を伝えるため、慈済ボランティアに錦の旗を持って来たのである。人々の真心に私は感動し、目頭が熱くなった。
 
●震災後50時間で慈済ボランティアは四川省に入り、万難を排して綿竹漢旺、都江堰市などの地で災害調査を行った。あたりには荒涼とした雰囲気が漂っていた。(撮影・蕭耀華)
 
四川省だけでなく、慈済は中国や海外の多くの地域で黙々と公益活動に従事している。こうした公益活動ではすべてボランティアが仕事の合間を縫って、自ら調査し、家庭訪問をし、リストを作り、現地の住民に物資を配付しているのである。その期間の食費や宿泊費、交通費はすべて自前であり、見返りを求めることはない。
 
慈済ボランティアと触れ合う中で、私はたくさんの良い友人ができた。彼らは皆社会奉仕を積極的に実践する若者たちで、私は視野が広がり、素晴らしい世界をつくるという信念も強まった。それにつれて自分の気持ちも明るくなっていくようだった。
 

この世には真心がある

 
この十年間、北京で就学している時も、卒業後上海で働いている間も、私は現地の慈済の活動に参加した。ある時ボランティアと共に蘇北地方の貧困家庭の生徒たちに奨学金を届けに行った。子どもたちは皆可愛らしかったが、彼らの家を訪ねて初めて私は農村の生活条件の厳しさを知った。彼らの家庭には家具や家電はあまりなく、上海や北京の生活との差はやはり大きかった。
 
貧困家庭の子供たちが知識で運命を変えようとしても簡単なことではないと感じた。学校へ通いたいという子どもたちの夢の実現を助けることができれば、非常に大きな意義がある。現在、私は社会人になり、生活の質を向上させると同時に、子どもたちが物質的不足のために学校をやめなければならないという状況をなくすよう、彼らを助けなくてはならない。一人の力は小さいが、皆が共に努力すれば、多くの人の運命を変えることができる。
 
●慈済が設立したサービスセンターは、住民が思いを訴え、災害情報を報告する場となった。ボランティアは、被災者支援の過程で言葉の壁にぶつかった時、地元の人に通訳ボランティアに参加してもらったことを題材にした寸劇を演じた。(撮影・王賢煌)
 
慈済ボランティアに参加する中で、私は日常生活の中でなるべく欲望を捨て、倹約し、生活を大切にし、また智慧をもって生きることを学んだ。そして因縁に従い、地域のボランティア活動にも参加した。形式は異なるが、どれも本質的に奉仕であり、愛の心は同じであると感じた。
 
しかし慈済の効率性と国際化は素晴らしいものである。私たちはメディアを通してアフリカの貧困やシリア内戦による被害を知るが、実際の状況はもっと深刻なものに違いない。現地に直接赴き援助を行う慈済人に私は感銘を受けると同時に、彼らを誇りに思う。
 
十年が過ぎた。思い返せば、あの夏休みの決断により、私はたくさんのものを得た。また、より平和を愛し、感謝の心を持って暮らすようになり、家族や先生方、同級生、友人に感謝し、私たちの穏やかな生活を支えてくれている名も知らぬ人々に感謝するようになった。
 
インドの哲学者、タゴールのこんな詩を思い出した。「かつて夢のなかで、わたしたちは赤の他人だった。目を覚まして、おたがいに愛しあっていたと気づく。(Once we dreamt that we were strangers. We wake up to find that we were dear to each other.)」日々はこれからも続く。一日一日を大切にしたい。
(慈済月刊六一八期より)
NO.259