慈濟傳播人文志業基金會
今と昔 命の証し
●什邡2008•05•18
 
その赤ちゃんは、母の体内をはなれてからまだ四日目で柔らかく、何事が起きたのかはっきり知らない。母親はその赤ちゃんが生まれる三日前に、世界を震撼させた中国四川の大地震が発生した直後の瓦礫の中から救助隊に救出され、すぐに医療センターに送られ、幸いにも生き残ることができた。
 
 
二○○八年五月十八日、地震後七日目に私が行ったのは、四川省什邡市の空き地にあたかも野戦病院の如く設けられた緊急医療ステ―ションで、そこで四十五歳の楊啓菊とその赤ちゃんに出会った。什邡市は、前代未聞の大地震に襲われた最も深刻な被災地の一つであり、目にしたのはまるで戦争後の情景のようだった。民家、病院、学校、工場、交通道路、公共の建築物、死傷者などの損失は統計する術がない。しかしながら、民衆はこの無力の時に人間性の光明をかい間見た。
 
中国の各地、そして外国の団体あるいは個人が、救援物資を携えて被災地に集まった。
 
彼らは夜を日に継いで不眠不休のまま、限られた道具を手に、地面がまだしっかりしていない被災地で蟻のように奇跡や希望を探し回ったり、魂の抜け殻のようになった被災者に寄り添ったりしていた。 
 
今回の地震による悲しい離別の物語は、数え切れないほどある。一瞬にして無数の家庭が粉々に打ち砕かれた。しかし、おしつぶされても人間性の奥には情がある。そこに真の情が見られた。楊啓菊と赤ちゃんの話はその情の証である。私はカメラでその存在を確かに記録した。
 
●洛水中学校はほぼ全壊し、犠牲となった生徒の家族にとって辛い思い出とならないようにとの配慮から、学校をほかの所に移した。今では洛水衛生センターになっている。
 
NO.259