慈濟傳播人文志業基金會
菩薩法の応用
文‧
「如是我聞(かくの如く我聞けり)」
という出だしで始まる経典を
深く研究するだけでなく、
世界の脈動を掌握して群衆の中に入り、
広く良縁を結ばなければいけません。
 

心田の雑草を取り除く

 
大林慈済病院の幹部と職員が二泊三日の精舎修行生活を体験しました。職員は尼僧たちと田んぼの除草やウコンを掘り出す作業を行い、農耕の難しさと尼僧たちの日頃の苦労を体得しました。彼らは忙しい日々の中で「修行休暇」の機会を得て、身は疲労を感じても心は充実し、喜びを感じていました。
 
證厳法師は開示の時、出家する前はよく慈雲寺で常住尼僧たちと田んぼの草取りをしていた話をされました。一面の広い水田でこちらの端から向かいの畔まで、かなりの時間をかけないと草取りは終りませんでした。そこで「大学の道は明らかな徳、親民は至善」と心の中で復習しながら、手は休まずに一本一本の雑草を取っているうちに、経典をすっかり暗記することができました。
 
法師は「私は慈雲寺の野良仕事が好きでした。家を離れて修行を始めた後、自力更生し、心に何の負担もなければ、自然と雑念はなく、理に正しく天下の人のため、天下の事を為すことを立願しました」と言われました。
 
法師はまた、次のように言われました。「天下の事は一人あるいは少人数で成し遂げることはできず、大勢の力が必要です。慈済の四大志業も慈善志業に始まって、多くの人の愛の力が寄り集まったことによって、社会の人々のニーズに応えて良能を発揮することができたのです」
法師は医療志業を発展させたことについて、慈善訪問をしている中で、「病が故の貧」や「貧が故の病」に気づき、一家の大黒柱が病に倒れたために生活に支障をきたしたり、あるいは貧しいがために医者にかかれず、小さな病が重病になっていたことが原因だと分かったのです。それゆえ、慈済病院の使命は非営利組織であって人の命を救うことにあるのです。
 
 
大林慈済病院は田舎にあって、年輩の患者が非常に多いのです。法師は職員が共感を以て心から彼らをいたわると共に、生命と健康、愛を護る使命を一身に担い、その使命と精神を永遠に維持していくことを願っておられます。
 
「皆さんがこの純朴な雲林・嘉義地方を喜んで護る真心は法脈と連結していなければいけません。ですから時間を見つけて精舎に帰り、そして法脈慧命の家から、再び法悦を病院に持ち帰って慧命を延続させて欲しいのです」とおっしゃいました。
 

如来の家業を担う

 
三月十日と十一日に、今年度(旧暦)初の委員及び慈誠隊員の精進研修会が開かれました。台湾全土の一万四千人のボランティアが十六カ所の慈済道場で同時に精進しました。また、中国、マレーシア、ニュージーランド、フィリピンなどの慈済人約二万人がインターネットを通じて、台湾とつながり、共に精進しました。
 
国内外の弟子の斎戒精進を喜びと共にご覧になった法師は、皆が法を聞いて心に留め、智慧と道心を高めることで、容易に無明の言葉に心を乱されないようになることを期待しています。また、「如是我聞の仏典文字を深く研究するだけでなく、世界の脈動を掌握し、群衆に分け入って菩薩道を歩んでこそ、広く良縁を結び、衆生済度を行うことができるのです」と言われました。
 
「仏陀がお教えになった菩薩法は濁世で応用すべきです。現代の世においては人心を正確な方向に導く人間菩薩がとても必要です」。法師は、慈済人がコミュニティーや社会で絶えず善法を伝えることで、一人でも迷いから目覚めて正しい道に戻れば、それだけ社会に危害を及ぼす人が一人減り、社会に貢献する人が一人増えることになるとお教えになりました。
 
 
「一般の人の仏教道場に対する印象とは異なり、自分には信者はなく、弟子があるだけ。どの弟子の心にも師匠がいて、師匠の人生には世界中の弟子たちがいます」とおっしゃっています。慈済世界は天下の大家族で、静思精舎は慈済人の心の故郷ですから、精舎に来ることは『帰る』ことなのです」
 
「弟子たちが本当に如来の大家庭に入って、家業を担うことを願っています。皆が時間を無駄にせず、今の人生を使って慧命を伸ばすよう期待しています」と念を押しました。もしも二日間、精進研修に参加した二万人近い慈済人全員が精進の心を永久に保ち続け、菩薩の種を一粒から無量に増やせば、社会の平和を達成させることは困難なことではありません。
(慈済月刊六一八期より)
NO.259