慈濟傳播人文志業基金會
山奥の私塾 懐徳居木工実験学校(下)
都会の喧騒を離れ、山林の中に佇む木工学校を散策する。
ここ懐徳居は、創設者林東陽氏と木工教師たちの夢の結晶である。
木工技術指導を行うばかりでなく、デンマーク家具の手作りの精神も伝承している。
より多くの人々に手作りの家具の美しさを知ってもらいたいと願っている。
 

デンマークの工芸精神

 
「二○○二年に日本で初めてデンマークの家具に出会った時、これこそ私が探し求めていた家具の模範であると思いました」と、林東陽氏は嬉しそうに語る。
 
「清朝家具は細工が細かいけれども複雑で型にはまったものになりやすいのに対し、洗練されたナチュラルなデンマーク家具は、人の心を感動させることのできる作品です。デンマーク家具はデザイナーと木工師のチームワークにかかっていて、いすの背もたれ、肘掛、脚といった椅子の三大要素だけで、他にない個性的な椅子を創り出すことができ、この点において明朝スタイルの簡潔で構造が厳格に決まっている家具とはまた違った素晴らしさがあるのです」
 
林東陽氏は初め、デンマーク家具はきっと全て手作業で作られているのだろうと思っていたのだが、デンマークのある学校を訪問した際に驚くべきことを発見した。なんとその学校の一階にはコンピュータ数値制御(CNC)の工作機械など、様々な先進的設備が並んでおり、想像していた手作り家具で有名なデンマークとは異なっていたのだ。続いて二階へ進むと、何十年もの歴史ある古い作業台の上でノミで削り、カンナを掛け、ノコギリで切る学生たちの姿が目に飛び込んできた。つまり、自動化設備は木工職人が「完璧」な作品を作るための助けにはなるが、それらはあくまでも単なる補助器具であって、もしも両手を使ってディテールに工夫を凝らすことをしなければ、せっかく持っている技術を無駄にすることになる。これこそが、懐徳居では各メーカーから提供された様々な設備があるにもかかわらず、学生たちは最も基本的な手道具から学び始めなければならない理由であり、これはデンマークの手作り精神を手本にしたものなのである。
 
木工教室の手作りの現場
●糸鋸盤を使用して穴を開ける。
●パーツに正確にノコギリを入れる。ノコギリを入れる方向によって縦挽きと横挽きに分かれる。
●学生に継ぎ手の技法を説明する森平房氏。継ぎ手をする際は時間をかけてパーツの寸法を合わせる必要がある。木工学習の基本技能である。 ●金属製直尺でパーツの幅を測定する。
 
また、林東陽氏は画一化された学習指導要綱や教科書および授業進度を捨て去り、各学生のレベルに合わせた学習目標の設定を行っている。それゆえ、学生たちが作る作品はそれぞれまったく異なったものになる。
 
「君たちの手を訓練して、君たちの頭のように賢くしてやろう!」。赤い作業服に身を包み、両腕の太く逞しい森平房先生が、教室内の二十数名の学生たちを力強く励ます。
 
森平房氏は語る。「私は授業以外の時間に創作をしていて、アトリエを持っています。これは全て懐徳居のおかげです。以前のように会社で働いていたのでは、新しい作品のアイディアを生み出す時間もありませんから」。また、次のように続ける。「一般の大学と懐徳居の教育現場は大きく異なります。大学生は単位収得のために学びますが、ここでは主体的に学びます。懐徳居の学生たちはいつも私の説明に熱心に耳を傾け、いろいろな質問をして、私の中から学べるものを探し出そうとするので、教える立場の私も能力が試され、とてもやりがいを感じます!」
 
「ここにはちょっと変わった学習方法があります。学生の内の誰かが何かの問題にぶつかった時、先生は皆を集めて一緒に答えを考えさせるのです。先生方は私たちが自分の作品のことを知るだけではなく、仲間たちの作品のアイディアや問題を通して、木工家具全体を広く知ってもらいたいと願っているのです」と淡江大学建築学科の学生、黄凱祺は語る。
 
●原木を繋ぎ合わせて作った自転車のフレーム。
(図・懐徳居提供)
 
「私の父は一生大工として働きました。父が亡くなってから、私は父の古い道具を懐徳居に寄付し、私もあちらこちらを転々とした結果、今ここに来て一から学び直しています」と、髪の真っ白な学生、李正順が思い出を語る。「最初の六回の授業で先生はノミで削ったり、カンナをかけたり、ノコギリで切ったりという手道具の使い方を教えて、私たちの手に感覚を覚えさせます。これはカメラマンがまず暗室の原理を理解してからデジタルカメラを使い始めるのと似ています。機械はとても便利ですが、原理はやはり手の感覚でなくてはしっかりと覚えることができないのです」
 
林東陽氏は誇らしげに話す。「懐徳居出身の学生は絶対に仕事で手を抜きません。彼らは釘を使って木材を繋ぎ合わせるという手軽な方法を選ばず、あえて継ぎ手という複雑な手段を用います。また、流行に合わせたりすることもしません。なぜなら彼らはデンマークの椅子が一つ一つ違うように、一人ひとりがオリジナリティ溢れる創意工夫の精神を有しているからです」
 

●一枚の原木材とシンプルなテーブル脚によって禅を表現したティーテーブル。フロアスタンドライト。台座部はクルミの木を接ぎ合わせ、金属ネット越しに光がこぼれる。(写真・懐徳居提供)

 

伝統木工芸術の消失

 
林東陽氏はたびたび台湾とデンマークを並べて比較する。デンマークの国土面積は台湾の一・二五倍で、人口は台湾の四分の一。しかし平均所得は台湾の三倍もある。台湾では産業の海外移転がたびたび聞かれるが、デンマークにはそれがない。それはなぜか。
 
林氏は、台湾の機械による自動化大量生産指向が台湾の民芸消滅の危機を早める原因となっていると考える。台湾では清朝統治時代に中国大陸からの移民が商いをしていたため、福建や広東などの各種様々な家具が出現した。大陸から来た職人たちは材料の選定から継ぎ手の構造、塗装などといった製造方法に大変なこだわりを持っていたが、後に港が開かれ海外との貿易が行われるようになると、さらに西洋家具の美意識ももたらされた。
 
日本統治時代中期になると、ノミ、カンナ、ノコギリなどの手道具に加え様々な木工機械も使用されるようになり、それまでの繁雑な製造工程が次第に簡略化されていった。そして国民政府が台湾にやってくると、グローバル化と工業における効率化の影響はいっそう強まり、家具の製造技術はよりシンプルさが求められるようになった。手間暇のかかる伝統技術は、今まさに姿を消しつつあるのである。
 
戦後再建における工事や建設の需要もまた、台湾の機械への依存をさらに深めた。続いて、職業学校に木工人材を育成する学科が現れたが、学生たちは卒業すると、そのほとんどが工場に職を求めた。人件費が安いうえ機械による自動化生産を行うため、台湾における外国向け家具の受託生産数はピークに達した。こうして台湾は「家具王国」の名を手に入れたのであるが、伝統的な工芸の真髄はすでにその大半が失われていた。
 
●左図は学生が創作したサイドテーブル。(写真・懐徳居提供)
 
一九九○年、台湾の産業形態が変わり、エレクトロニクス産業が伝統産業に取って代わったため、多くの職業学校が木工学科を室内デザイン学科に変更した。また、樹木伐採禁止政策や中国の外資導入などを受け、家具業界の川上および川下の工場は次第に中国投資に転じ、木工業に携わろうとする人はほとんどいなくなってしまった。
 
「家具をひとつの生活必需品として、台湾はこれまで機械を使用して単一化、規格化された家具を作り、経済性を追求し、時代のニーズに対応してきました。現在国民の所得は向上し、家具に美しさやデザイン性を求めるようになってきました。やっと手作り家具に新たな道が開かれたのです」と林東陽氏は語る。
 
そのため、林氏は懐徳居創設以外に、今年から「木師教堂」の建設も開始する。木師教堂は教会ではなく、「木工教師教育の殿堂」である。林東陽氏の木師教堂建設の狙いは、木工を庶民の間に普及させ、国内で深く定着させることにある。もしもあと百人の人によい教育を提供することができたなら、そこから広がって百世帯の家庭に影響を与え、手作り木工家具をより多くの人々の生活の中に浸透させることができるかもしれないと考えたのだ。
 
三峡の台北大学もちょうど、どうしたら三峡で有名な藍染や鶯歌の陶磁器や大渓の木製家具などの地元産業を教育内容に結びつけることができるかを考案、計画中だった。そして半年間の話し合いの結果、台北大学は林東陽氏と協力することを決め、五百五十坪の土地を用意して木師教堂の建設地とすることを申し出た。懐徳居は三千五百万元の経費を調達して建築や機械設備の必要に当てることとなった。この度の双方の協力を通じて、手作り木工家具がより多くの人々に知られるようになることを願う。
 
「今ぶつかっている最も大きな問題は経費不足です。資金があと一千万元近く足りません。かつてアメリカで勉強していたときに気づいたのですが、アメリカ人にとって、自分がよいと認める実施プロジェクトに寄付をしてサポートするのはごく一般的な行為でした。けれど台湾では、政治や宗教に比べると教育事業に対する人々の関心は全体的に薄く、私は今も寄付金集めに頭を悩ませています」と林東陽氏は語る。
 
●林口の実家を改造した家具知識館内に座る林東陽氏。壁には彼の父が若かりし頃にしたためた一対の句と横書きの標語が掛けられている。ここはすでに十三年間にわたり、木工職人たちを育てるゆりかごとなっている。
 

新世代における木工の意義

 
林氏は次のように語る。「三十年前、皆はこの県道一○六号線を自転車に米や荷物を載せて走っていました。その頃の自転車の主な用途は荷物の運搬だったのです。けれど、今県道を走り抜ける自転車は、そのほとんどが運動や健康のためのサイクリングが目的となっています。実は木工というこの業種も同じで、生活のために必要な技術から趣味へと変化したのです」
 
今日の台湾において、木工を学ぶことは自転車に乗ることと同じように、新世代の人々の「ロハス」の代名詞となっている。木工という昔ながらの仕事が今徐々に古い枠から抜け出して、職人の仕事から芸術活動へと変わりつつあり、台湾に木工芸術復興の風を巻き起こしているのである。 
(経典雑誌二三〇期より)
NO.259