慈濟傳播人文志業基金會
衆生の善業は因縁による
旧暦の正月前、花蓮で大地震が発生した。政府とNGOが協力して支援した結果、災害による衝撃を最低限に抑えることができた。社会各方面からの声援は無限の希望をもたらし、街を復旧させる最大の原動力となった。
 
地震発生直後の深夜、慈済ボランティアは迅速に人々の避難先に駆けつけて心を落ち着かせる支援活動を展開し、各地のボランティアも次々に応援に集まった。さらに海外からは民族、文化の異なった慈済ボランティアが花蓮震災のために各地で募金集めと祝福活動を行った。
 
この世は無常であり、国土と人命は天災に脆い。幸いにも人は慈悲の天性を持っているため、災害も「人間菩薩(この世の菩薩)」を生み出す契機となっている。支援を受けた多くの被災者は生きていることに感謝し、助ける側になった。《無量義経》の〈徳行品〉の偈言に「慈悲十力畏れ起きず、衆生善業因縁より出づ」とある。
 
十年前の四川大地震は今世紀、中国大陸において最も多くの犠牲者を出した天災である。慈済ボランティアは災害発生の三日後に被災地に入ったが、物資と医療の支援が一段落した後も、台湾から行ったボランティアは毎回必ず一カ月間滞在し、途絶えることなく寄り添った。
 
この一年を中国メディアは「ボランティア元年」と称した。そして、数多くの人がボランティア活動に参加したことからボランティアの概念が次第に被災地に芽生えていった。現在も台湾のボランティアが常駐し、現地ボランティアに環境保全や貧困家庭の訪問ケアを指導して、長期的な慈善活動の基礎を築いている。その五年後に起きた四川雅安地震では、現地ボランティアがすぐさま集結して救済に当たっていた。
 
汶川地震発生の二年後、慈済が支援建設した十三の小中学校は全て完成し、起用されている。進学第一の風潮の中、ある学校の教師は純朴で人情にあつい伝統的な教育を復活させようと考えている。たとえば、孝泉中学校は孝道を重んじ、方亭中学校は書道で名高い。両者とも慈済人文教育の理念と符合しており、一歩踏み込んで慈済の「感謝の文化」を広めている。学生ボランティアは毎年、慈済大学の「川愛ボランティア隊」と交流し、毎月、両親が出稼ぎに出ており、村に居残っている「留守児童」と呼ばれる子供をサポートする「小太陽計画」に参画している。
 
痛みの記憶はまだ消えなくても、それは時の流れと共に沈殿してゆき、新たな意義が生まれてくる。慈済が重点的に支援した什邡市は、七割が一人っ子家庭であるが、村落の中には家族全員が地震で亡くなったところもある。
 
当時、慈済ボランティアの通訳に協力した子供達はすでに社会人になったが、まだ幼かったクラスメートの面影が彼らの記憶に留まっている。彼らは前進しながら、周りの家族や友人を大切にするだけでなく、さらに助けを必要としている人たちを支援しようとしている。
 
「寄り添い」とは困難な歳月に付き添うことである。「私たちは饅頭をこねる時に必要な水のようなもので、蒸し上がったら見えなくなる」とボランティアがたとえた。水は生命にとって不可欠であり、縁に従って丸くなる。これがボランティア精神の最も重要な点であり、また善業の源でもある。
(慈済月刊六一八期より)
NO.259