慈濟傳播人文志業基金會
理に適い、円満になる
因縁果報を重んずれば、
自ずと理に適って人生が円満になり、
心身共に安らかになれる。
 
昔の人は廟へ行くと、家内安全を願うだけでなく「風雨順調や国家安泰と民衆の平穏」を祈願したそうだ。しかし、今は地水火風の四大不調はもう当たり前のこととなっている。災害が絶えず起きているのを見ると、昔の人の祈願が、今の世の中に必要なのではないだろうかと思う。
 
ここ数カ月、アメリカ・ヒューストンのハリケーン被害や、メキシコの大地震、そしてシエラレオーネ共和国の土砂災害で、大切な生命がなくなっている。慈済ボランティアは災害が起きると、地から湧き出て「抜苦与楽」をする菩薩のように、海を越えて遥か遠い被災地へ災害支援に駆けつける。
 
「慈済ボランティアは家族や仕事から離れ、お金や時間、体力を惜しまず費やして、なぜ縁もゆかりもない人々を助けるのか?」と疑問を抱く人も大勢いる。
 
答えは簡単で、「慈悲喜捨」を行っているに過ぎない。紺のシャツと白のズボン姿の慈済ボランティアは、民族や肌の色、言葉、宗教が異なる人々を身内同然に思っているからだ。 
 
ボランティアが「無縁大慈、同体大悲」(見知らぬ人の苦を自分のことのように思って慈悲をかける)という思いを確実に実践しているからである。
 
衆生を身内同然と見なす心で、見返りを求めない奉仕を実践すれば、自ずと理に適って人生が円満になり、喜びを伴って自在な気持ちで進むことができるのである。
 
二〇一七年初冬の朝会で、證厳法師は『法華経‧如来寿量品』を引用し、「因縁果報」を重視するよう繰り返し強調した。日常生活において私たちは様々な考えや善、悪から自分を切り離すことはできず、全ては「心」に起因している。 
             
一念の煩悩無明は己のみを追求し、他人との見解の相違で見濁を形成する。異なる煩悩は煩悩濁になり、各人の煩悩が集って衆生濁となり、四大不調に至って命濁となって、濁悪の悪循環が劫濁になる。五濁悪世とはたった一つの念から起きる。
           
仏陀は二千年以上も前に亡くなっているが、慈父や医者のように、何千年もの間、効く薬を用意してくれた。さまよっている私たちが早く家路に着くことを望んでいる。慈父が残してくれた「柔和忍辱衣」のポケットの中に、五毒の心病を根治する千年の良薬が入っている。智慧の法水で薬を服用すれば、すぐさま病は癒され、心身ともに安らかになれるのである。
 
仏陀の、我が子が帰ってくるのを切に期待する慈悲の想いは、二千年以上経ても変わっていない。しかし、心身とも苦しんでいるのに、まだ家に帰らないのはなぜだろうか、と胸に手を当てて自分に聞いてみなければ分からない。
 
十一月五日の朝の開示で、「自分の心をしっかり見極め、慎んで因縁果報を深く信じ、過去のあやまちを悔い改め、反省して道理を理解するように」と法師はくり返し諭した。
 
敬虔な心で以て真理を思い起こし、日常生活での一挙手一投足の中に、「正法」を根づかせるのである。今生で仏法が聞けるこの縁を大切にし、来世のために「正法」の種子を心田に蒔けば、貪・瞋・癡の念を取除いて、人と良縁を結び、無尽の仏法を美善の世に伝え広めることができるのである。(慈済月刊六一五期より)
NO.260