慈濟傳播人文志業基金會
鏡の中の人間
 
人の欠点を見るのは
鏡に映った自分を見るようなものであり、
すぐさま反省して習気を改善すべきです。
 

世に愛が存在することを忘れてはいけない

 
今年、世界ニュース映像コンクールに出品された一枚の写真。それは二十数年間にわたり、スウェーデンで治癒できない奇病「生きることを放棄するシンドローム」の患者の写真で賞を受賞し、世界中の関心を集めた。患者は全てスウェーデンで亡命を申請している六歳から十二歳までの難民の子供で、彼らは社会と完全に断絶し、外部からの刺激や体への痛みに対して全く反応がなく、経鼻栄養チューブで生命の維持を余儀なくされている。患者の多くはかつて極端な暴力を目にし、極度に危険な環境から逃れてきたが、今は生きる意欲をなくし、昏睡状態に陥っている。
 
四月十七日のボランティア朝会で、上人はその難民の子供たちの話をした。彼らは生理的には何の異常も見られないのに意識が戻らないのである。その子たちはまだ幼く、心に受けた傷があまりにも大きかったため、「目覚めることを拒絶」することで人々に訴えかけている。彼らの訴えを、この世の大人たちはどう感じているのだろうか?
 
慈済ボランティアは国際難民支援を行う際、子供の精神面での健康をとても気にかけている。トルコの慈済ボランティアがマンナハイ学校で難民の子供たちの授業を行っているのは、子供たちが安心して学校に通ってもらうと共に、大人と一緒に祖国から逃れてきた子供に、この世にも無私の愛があることを感じてもらい、マイナス思考で恨みを持ったままにして欲しくなかったからである。
 
マンナハイ学校の子供たちは慈済ボランティアの説明と教師の指導の下に、普段から小銭を投じて善行する習慣を身につけている。台湾での地震やアメリカのハリケーンハービーの後、我先にと貯金を災害支援に寄付した。「彼らの心はとても健全で、足ることを知り、感謝の心を持つと共に、人々を思いやる包容力を持っています。それが愛による教育の成果です。愛は長い月日を経て蓄積されて伝わっていくものです」と上人がおっしゃった。
 

人、事、理を丸く治める

 
「菩薩とは心に大愛がある人のことであり、菩薩道を歩む時、常に過去の情を忘れてはいけません。そうしてこそ情を長く保ち、大愛を広めることができるのです。歴史をはっきりと理解し、心を広く持つのです。過去に感謝し、今この時を無駄にせず、未来は心して生きなければなりません」と證厳法師は海外から帰国した慈済人に語った。また、「過去を知り、今に専念してこそ未来に伝えることができるのです。慈済人であれば、早期の慈済人が苦労して切り開いてきた道のりを理解すべきで、その精神を後世に伝えていくことを期待しています」と言った。
 
この世で何かをする時、どうすれば仏法の道理を取り入れることができるのか? 法師は人、事を丸く収めて初めて理が通るのだと言った。人、事が丸く収められなければ、理は通らない。「凡夫の煩悩と無明が重いゆえに災いが多いのです。人にはそれぞれ考えがあり、自分は正しく、最も道理が通っていると思い込み、意見の異なった人を排除しようとします。また、観念が似通った人同士でも心を一つにして事をなせるとは限りません。そして、煩悩が起きて互いに折り合わなくなり、自分の好きな時に少し手伝うぐらいで、面白くないことでもあれば、すぐにやめてしまうため、道心を培うのが難しいのです」と言った。
 
菜食は健康に良くないという人がいるが、上人によれば、五穀雑糧は自然が与えてくれたレシピであり、体が必要とする栄養を満たしている。健康のためと言って菜食しなかったり、他人にも間違った考えを押しつけるのは口実に過ぎず、実際は自分で欲望を抑えることができないのである。同じように、人を傷つけるような言葉を考えもせずに口にしてしまう人は、長い間の習慣が変わっていないからと説明するが、実際は他人を認めるほど心が広くないため、何かにつけ他人を排除しようとするのである。
 
この人生で慧命を成長させるべきで、人の是々非々ばかり口にして無意味に悪業を造って時間を無駄にすべきではない、と上人は皆に注意を喚起している。弟子たちがこの世で菩薩道に続く道を切り開いていくことに期待しており、その目標は仏の悟りの境地であり、どこの国にいようとも法脈に合致した行動をとらなければならない、とも言っている。
 
「人には長所と欠点がありますが、修行はその習気を変えてくれるのです。他人の欠点を目にした時、その人がそういう情景を見せてくれたことに感謝し、鏡の中に映った自分だと思ってすぐさま反省し、同様の習気を直すべきです。ゆえに、誰に対しても感謝と尊重、愛の気持ちを持たなければいけません」と上人が言った。合心、和氣、互愛、協力,及び感謝、尊重、愛がボランティアの精神であり、行動と言葉、意思で以てそれらを表すべきである。
 
「供養とは、お寺を建てたりすることが敬虔な供養ではありません。真心で以て奉仕を行動に現すことであり、心の中にお寺を建てるのです。皆さんは家庭を大切にしてください。この世という大きな家庭は皆が一緒に運営していく必要があるのです」
(慈済月刊六一九期より)
NO.260