慈濟傳播人文志業基金會
病気でも環境保全活動を続ける
台湾全土には8万7千人の慈済リサイクルボランティアが約9千ヵ所のリサイクル拠点で回収資源の分類を地道に続けている。
皆、学歴や生活背景にもとらわれず、無報酬で取り組んでいる。
奉仕の労力や苦労を語らず、大衆に物を大切にし、大地を愛しむことを勧め、孫々代々に美しい地球を残したいだけなのである。
 
二〇一七年十一月、私は宜蘭のリサイクルボランティア王麗花師姐に取材の電話をかけた。取材の趣旨を告げると、すぐに明るく元気な声で快諾してくれた。そして、宜蘭に来たら自宅に泊まるよう誘ってくれた。私は嬉しい反面ちょっぴり驚いた。ごく短い会話から彼女が太っ腹で客をもてなすのが好きな人だと分かった。昨今の世の中には師姐のように他人を信頼する人は珍しい。
 
 
日が暮れて灯が灯り、早々と家々のシャッターが下りて街は寂しくなっていた。ただ一軒のトタン屋根の家から光が洩れていた。玄関先に停めてある一台の自転車が、持ち主を待っているかのようだった。その日私は宜蘭に着いて麗花師姐と会った。彼女は一日中リサイクルの仕事をして少し疲れていたように見えたが、「全ての回収物を整理し終えなければ、安心して家には帰れなかったの」と話す。
「私はすでに死にかけている人間です」と彼女が言った。彼女にとって、リサイクルのことは何より大切である。地球温暖化に心を痛めているだけでなく、自分には「明日が来るか無常が先にくるか?」が心配だった。今、呼吸している間にリサイクル活動に尽くせることは、人生で最も大切な時間である。
 

無常を体得したからこそ

精進に励む 

 
その夜、麗花師姐の家に着き、しばらく雑談した。彼女は今年六十六歳で、息子に勧められて二十数年前からリサイクル活動に参加している。以前、師姐は台北市に住み、「国軍英雄館」に勤めていた。初めは仕事の合間に付近の慈済リサイクルステーションでゴミの分類を始めたが、それから仕事場でも資源の回収を始めた。彼女の家には、「国軍英雄館」の長官たちからもらった小物が、今も飾られている。そのほか、彼女は当時の要らなくなった布団や枕、カーテンを回収した。情が厚く、物を大切にする彼女は使えるものを捨てられず、家に持ち帰ってから洗濯して整理しておいた。それをホームケアの際に役立てたいと思った。
 
二〇一四年に宜蘭の「国軍英雄館」に転勤になり、やっと故郷に戻ることができた。しかし、リサイクル活動に参加する熱意は変わらず、現地ボランティアの紹介で、すぐに宜蘭で奉仕する機会を得た。
 
 
ところが、彼女に試練が待ち受けていた。体に違和感を感じた彼女は病院で検査を受けたところ、すでにステージⅢの膀胱癌を患っていることが判明した。家族も事実を素直に受け止めることができなかった。手術後、順調に回復はしたものの日常生活に支障が出るようになった。病気をして以来、「人生の無常」を身にしみて感じた師姐は、思い切って定年を繰り上げて退職した。命があるうちにリサイクル活動で力を尽くし、人々の助けになりたいと思った。
 

資源回収は一日たりとも欠かせない

 
毎日午後になると、麗花師姐は自転車で家の近くにある市場へビニール袋を回収に行く。市場には百軒ほどの露店や店が入っており、午前中だけでも驚くほど大量のビニール袋が出される。師姐は回収したものを大きい袋に分けてつめ、自分の自転車いっぱいに載せて、何回かに分けて慈済リサイクルステーションに運ぶ。
 
 
「いつもそこに着くとリサイクルボランティアたちが丁寧に仕事するのを見て、とても嬉しく思い、安心することができます」と彼女が語った。風雨の日も、炎天下の日も、正月でさえも休まなかった。「一日たりとも休まないのはなぜだろう」と不思議に思う人もいた。「たとえ『旧正月』といえども皆同様に生活をしており、ゴミの量が減るわけではなく、しかもビニール袋は、一日でも回収しないと地球に大きな負荷がかかるのです」と師姐が説明した。
 

リサイクル活動は助け合うことから始まる          

 
市場で資源を回収するのは楽なことではない。回収できる物にゴミが混ざっていたり、台所の生ごみが入っていて異臭がひどい。時には、他人が吐いた檳榔の汁や痰も混ざっているため、より多くの時間をかけて選別しなければ、清潔な資源が回収できない。
 
 
ある日、麗花師姐は市場で、資源回収で家計の足しにしていたお爺さんに出会った。初めは、「いつも悶悶と不愉快そうな顔をしていて、両手が震えている人」という印象だけだった。彼が段ボール箱を苦労して縛っているのを見かね、手伝ってあげた時、初めてお爺さんが二十年前からパーキンソン病を患っていることを知った。日常生活でも食事をしたり、水を飲むことさえも容易ではなかった。
 
 
「私たちがリサイクル活動する時、回収物の奪い合いをしてはなりません」という上人のお諭しを思い出した。それからはお爺さんが必要とする回収物をあげるようになった。一カ月後、お爺さんは師姐の優しさに感動すると共に彼女がビニール類を回収する意味を理解し、自らもリサイクル活動に参加するようになり、二人は互いに助け合う環境保全菩薩の仲間となった。そのお爺さんとは、宜蘭になくてはならないリサイクルボランティアの劉正和さんである。
 

思いがけない展開 

 
我々取材班は麗花師姐の紹介で劉正和さんを訪ねることができた。劉さんの後について市場に着くと、彼は、自分がお金になる物を回収するだけでなく、一軒一軒の店に立ち寄ってビニール袋を回収していた。麗花師姐が今まで手の届かなかった区域も、劉さんは一人でこなしていた。
 
 
「劉さんはリサイクル活動するようになってから自信に満ち、明るくなった。そして、不思議なことに二十年近く震えていた両手がいつの間にか治り、今ではほとんど震えなくなりました」と麗花師姐が言った。
 
 
以前、無口だった劉さんは今ではリサイクルのために、自主的に店の人とあいさつを交わしたり、笑顔でお礼を言う。人柄が変わった劉さんを見て、師姐は大いに喜んだ。さらに麗花師姐は二○一七年の末、劉正和さんが證厳法師から慈済環境保全ボランティアとして認証を受けたことに感謝した。
 

愛を持って行動すれば、障害はない

 
その日、麗花師姐と別のリサイクルボランティアを訪ねた。そこでたまたま彼のボランティアの仲間二人と会った。三人は仲の良い友人で、暇な時に時々集まって歓談している。師姐の話によると、三人はそれぞれ身体に障害をもっていて、呉文昌さんは、脳卒中で動きが鈍くなっていた。やや年上の林瑞興さんは、パーキンソン病で体が震え、言葉を話すのも困難だった。そして一番年下の林健鋒さんは比較的印象に残っていて、若い時から身体の異常に気づき、あちこちの病院で診療を受けたが、原因が分からず、体が衰えていくのを見ているしかなかった。手足が曲って変形していくのを見ながら成す術がなかった。
 
 
麗花師姐は親切であっさりした性格の人で、いつも母親のように周囲の人に関心を寄せ、師兄たちと良縁を結んだ。彼らはそれぞれ体に障害を持っていても、リサイクルでは同じ気持ちを持っていた。麗花師姐が都合が悪かったり、手が回らない時には、彼らは自主的に代わりに仕事を代わった。体が不自由でも精一杯彼女の仕事をやり終えた。師姐は彼らに感謝すると共に、もっと嬉しいのは彼らが互いに支え合いながら生きていることだ。これこそが愛と善の循環である。
 

リサイクルボランティアを

大切にする

 
麗花師姐は、ボランティアたちが雨に濡れず安心して回収物を分類整理できるのを見て、石余秀英師姐夫婦の発心に感謝している。当初、彼らが無償でこの古い家を提供してくれたおかげで、今、皆でリサイクル活動ができるようになった。
 
 
皆が分類と整理に専念している間、麗花師姐は手を忙しく動かしながらも、母親のようにボランティアたちに出すおやつのことを考えていた。時々彼女は家で作って持参することもあるが、ここで簡単な電気コンロを利用することもある。その日、ちょうど素麺と黒胡麻油があったので、料理の上手な師姐は間もなく胡麻の香りがする「ゴマ油そうめん」を作った。冷たい雨の中、皆、大喜びだった。師姐にとって、リサイクルは大切だが、ボランティアたちを大事にして初めて長く続けられると思っている。
 

麗花の屈託のない笑い声

 
取材終了の前夜、私は最後のシャッターを切った。窓をとおして麗花師姐の今まででもっとも燦爛たる笑顔を撮らせてもらった。あたかも今回の取材に円満な終止符を打ったかのように、彼女は満足と喜びに満ちていたに違いない。
 
 
今回の取材中、宜蘭はずっとじめじめした冷たい天気だったが、リサイクルに対する麗花師姐の情熱は全く影響を受けず、逆に師姐は周りの人に温もりを与えていた。師姐は病気する前、暇な時にやればいいと考えていた。しかし、病気をしてからは、リサイクルはやれるうちにやらなければ、時間がないと感じた。私たちは彼女の日常から残された命を大事にする心を感じると共に、宜蘭のリサイクル活動の特色を垣間みた。地球を愛するだけでなく、周りの人をも大切にするのは、正に「上人が望んでいることをし、上人が愛する人を愛する」ことである。これこそが最も純粋で素朴な心を持った環境保全ボランティアなのである。
 
(慈済月刊六一九期より)
NO.260