慈濟傳播人文志業基金會
幸せづくりに 善が集まり、人々に 力が湧いてくる
 
資源を大切にせず、過度の浪費や消費を続けていては
地球に大災難を引き起こす。
天地万物の生命を保護し、その恵みに感謝し大切にしよう。
天を敬い、地を愛して手をつなぎ、善を集め幸せをつくろう。
 
台湾の慈済ボランティアは、三カ月毎に大修行を行っています。六月三日には台湾と海外の慈済支部で、二万人以上のボランティアがインターネット接続によって一秒の差もなく、一斉に修行に参加しました。
 
この度の修行のテーマは「環境保全」でした。人々と環境保全の関係は切り離すことはできません。私たち天地の間に生息している全てのものは、清浄な空気が必要です。五穀雑糧は健康な土地を必要とし、自然豊かな山や清らかな渓流も必要としています。
 
しかしながら、自然豊かな山や清らかな渓流はどうでしょうか。そこにかかる橋から広々とした川面を見ても、水は今は見えず、乾いた河底には何の趣きもありません。以前渓流は壮観な滝となっていましたが、今では密集している山林に穴を開け、千百年の山林は破壊され、まばらに変わり果てています。
 
そんな眼前の環境に心配しています。さらに深刻なことは、人の生命に関わる地下の水脈の問題です。山林が良好に保たれていないと、地面や樹木は水分を保持することができず、雨が降ろうものなら土石流と共に勢いよく河や大海に流れ込み、時には災害を引き起こしています。土石が大量に積み重なると川床が高くなるのも悪循環です。
 
水は生命の根源ですから、水がなければ万物は生存することができません。大地が破壊されると、水源が涸れて水の状況は逼迫します。今年の夏の台湾は水不足を憂い、水をもたらす台風を期待しながらも、同時にもたらされる災害に恐れを抱いているのです。
 
人類は絶えず開発、製造、生産して利益を得ていますが、「利」の背後にある「害」は、天然資源を消耗しながら大量生産をすることで引き起こされています。日常生活の中で行き過ぎた物質の浪費と消費、手当たり次第に物を捨てるのはゴミのもとですし、どれくらいの土地が百年、千年も腐乱のできないゴミを受け入れられるというのでしょうか? 五穀雑糧は汚染された大地でどうして成長することができるというのでしょうか?
 
二十年前に慈済は環境保全を呼びかけ、最初は古紙を回収しました。ボランティアたちは細かく分類して古紙のリサイクルを呼びかけました。次いで瓶や空き缶、プラスチックなどを回収していましたが、その中で多くの物が回収業者に引き取ってもらえませんでした。慈済人は回収物で得られる所得は気にせず、ゴミ問題を減らすことができたら満足でした。
 
 
科学技術の発達によって、皆は世界に目を向けるべき時代になったのですから、さらに情報を善用して、人々を愛の方向に啓発しなければならないのです。欲念が多いままでいてはいけません。人の習気と怒りの一点一滴が積み重なると濁気になります。四大不調が起きると一つの地震だけでもすべてが破壊されます。台風は建物を破壊し、大水は大地を埋没し、人家を壊します。
 
人心の不調により気候も不調になります。すぐにも共知、共識、共行という智慧をもって行動する必要があり、情のある人々は衆生の利になることをしなければなりません。天地万物の生命を保護し、その恵みに感謝し大切にしましょう。さらに子々孫々健やかに過ごせる地球を護らねばなりません。天を敬い地を愛して福の縁を結びましょう。一滴の水が河になり、一粒の米も俵になるように、「竹筒歳月」を昔話にするのではなく、一滴でも節水して善を集め福をつくりましょう。
 
皆が善に向かって、善の業を共にし、社会が平和になることを願っています。苦難の多いこの世に人の力を増やし、人心を正確な方向へ導き、一人ひとりが奉仕し地球を護りましょう。
 

師の志を胸に勤め励み

苦難のある所に入って

敬虔に奉仕し

常に菩薩の心で行動する

 
この期間、海外の慈済人は次々に理事会に参加するために帰ってきました。彼らの、現地における社会の生態や志業に対する奉仕を聞いて、人間はその身を挺することで菩薩道を歩むのだと思いました。そして心から彼らに敬服しました。彼らの奉仕の一挙手一投足、一本一秒がすべて真実の法なのだと言えるでしょう。
 
慈済志業が南アフリカで発展してから二十年を超えました。私と現地のボランティアとは、空や海を挟んで、幾千里も隔てられていますが、彼らは一心一志私の精神に賛同し行動しています。
 
彼らが台湾へ帰ってくることは非常に困難なことで、私があちらへ行くこともかなわず、ただ現在の科学技術に頼って互いの映像を見、声を聞いています。私は、中国語や台湾語で講釈しています。彼らは聞いて分からなくても、「師と敬う法師がおられる」と、一度また一度と繰り返し真摯に通訳を聞いています。
 
彼らは皆パソコンを持っていないので、いつでも法を聞くことはできません。朝の修行にはどんなに道が遠くても、交通が不便でも、法を聞くためにやって来て精進しています。
 
この不便を抱えた弟子たちは、自分から進んで慈済ボランティアになり、六年間で十万キロ以上の区域から区域へと志業を発展させてきたのでした。皆は自費でガソリン代を出し合い、各地でまたお金を工面して、インターネットを通じてやっと新しい慈済に関するニュースを知ることができるのです。アフリカ大陸を護るのは本当に容易なことではありません。
 
 
レソトの三千人を超す現地ボランティアは、千世帯の貧困者と孤児の世話をしています。現地の土壌は痩せていて農作業による収入は少ないのですが、それでも小銭と集めて貧しい人々を救済しています。誰が一円献金したか、誰が大根一本差し出したか、すべて詳細に記録して、自分よりも困っている人や病に苦しむ貧しい人たちを助けています。
 
レソトでボランティアをしているマモタは、たとえ自分の家の食糧が底をついていても、在宅ケアに行く時はコップ半分の小麦粉を持って貧困者にあげます。彼らが訪問ケアに行く時は家にあるわずかな食糧を籠に入れて、歌いながら行きます。心に法があるので、いつも喜びに満ちているのです。その精神教育の成果に感謝しています。
 

人生の因縁は異なっている     

感謝と愛は

生命の持つ最良の意義

 
六月八日から十日の三日間は、静思堂で慈済教育志業体の卒業式がありました。学生たちは礼儀正しく整然として、式典は荘厳でした。慈済大学の卒業式では父母、祖父母を含め、親子三代や四代が参加して、喜びに満ちていました。
 
慈済科学技術大学の卒業式では、教師と学生の間の温かな情が見られました。その中で、看護学部の翁振国は、小学生の時、骨癌を患って数度の手術を受け、辛い治療に耐え、勇敢に人生を勝ち取りました。その時の医療スタッフの献身的なケアに感動して、看護学部を志願したのでした。
 
彼は、病が人の一生にいかに苦痛をもたらすかを知っています。闘病生活の中で、父母の愛護、そして医療とは神聖な職業であることや、慈済にある本当の慈善を感じ取っていました。ですから、将来慈善に貢献できる職業に就き、法脈と宗門を担おうと決心したのでした。私はそのような彼の心の旅路に感銘を受けました。
 
学生たちが教えを受けた成果として、整然、簡潔、明朗で、師や先輩に心から感謝する様子が見られます。社会に希望のあることが見てとれたのです。時を経て得た人生の成長、また、絶えず消耗する人生生命の最後、その中間にあるこの光陰をよく把握しなければなりません。一人ひとりの持つ因縁は異なりますが、感謝と愛は人生にとって最大の意義をもつものなのです。
(慈済月刊六二〇期より)
NO.260