慈濟傳播人文志業基金會
二〇一八年七月十六日西日本水害支援日誌

岡山県倉敷市真備町

 
今回の豪雨は多くの地域に被害をもたらし、すでに二百十一人が犠牲となった。内閣府の報告によると、被災地では瓦礫や災害廃棄物が山のように積まれ、自治体による片づけが間に合っていない。決壊した河の堤防は優先的に修復が行われている。
 
 
ここ数日、日本全体の気温が非常に高く、関東から西は連日三十五度を超えている。厚生労働省は十分に水分補給するよう呼びかけており、とくに被災地の炎天下で作業する被災者やボランティアに注意を促している。共同通信社によると、全国で二千人以上が熱中症で病院に搬送された。このような天気は少なくとも一週間以上は続くという。
 
ボランティアたちは七月八日と九日に視察に出発した。十一日、先遣隊が岡山県倉敷市真備町に到着し、十二日から炊き出しを始めた。現地の子供たちがボランティアに参加してくれ、一人また一人と増え、五人になった(写真右から田淵陽太君、瀨尾優介君、野口貴生君、下浦七瀨さん、田淵紗月さん)。
 
 
その後、三姉妹が加わり、ボランティアのベストを着て掃除を始めた。慈済ボランティアは子供たちに丁寧な掃除の仕方を教え、避難所の住民が衛生的な環境の中で過ごせることを期待した。子供ボランティアたちは初めは恥ずかしがっていたが、やがて楽しそうに雑巾がけしたり、箒で掃いたりして、貴重な体験をした。また、屋外に掲示する「今日の献立表」を書いたり、野菜を洗う手伝いもしてくれた。
 
 
●子供たちは廃棄されたボール箱を看板に見立てて献立を書いた。
(撮影・呉惠珍)(撮影・池田浩一)
 
慈済ボランティアの呉惠珍は避難所で山口勝子さんと知り合った。山口さんの住む地区は五十数世帯あるが、皆、隣人同士が助け合って家の清掃を行っている、と息子さんの山口建太さんが言った。しかし、停電しているため高圧洗浄機が使えないという。この話を聞いて、ボランティアは相談した。被災者はあらゆる物を失い、どこからも支援してもらえない場合、発電機を買わずに、時間と労力を使って清掃することを選ぶだろう、と考えた。そこで、できるかぎり早く元の暮らしを取り戻してもらうために、二台の発電機を同地区に寄付することを決めた。
 
 
ボランティアたちが大規模な工具店に出向いて聞いたところ、発電機の在庫はちょうど二台きりだった。そこで、ボランティアは二台の発電機を購入し、真備町坪田地区の被災世帯に順番に使ってもらうことにした。山口勝子さんはすぐに当地区自治会会長アシスタントの守屋美雪さんに報告した。ボランティアが慈済を紹介し、彼女は非常に熱心に聞き入った。彼女は感謝するとともに、必ずコミュニティー新聞にその出来事を載せて皆に知ってもらう、と話した。
 
 
山口さんは家に戻って清掃する前、まずしたことは老眼鏡を探し出すことだった。それがなければ、何も見えない。運良く見つかり、他の人にも貸した。
 
ボランティアの施燕芬師姐は長時間、暑いテントの中で作業していたため、熱中症になり、一週間前に手術した目の状態も思わしくなかった。避難所には駐在の医者がおり、ボランティアの付き添いで医務室で点滴を受けた後、病院で検査を受けたが、幸いにも大事には至らなかった。
 
六人のボランティアは七月十七日午後に東京に戻る予定である。昼までには東京から六人、山梨から二人、大阪から一人、合計九人が引き継ぎに来て、被災者の支援を続ける。
NO.260