慈濟傳播人文志業基金會
強い環境保全の意志
「環境保全をよびかけ続けているのに、
なぜできない人がいるのだろう?」。やがてその疑問が解けた。
活動の時だけ訴えても、口先でしかないからだ。
生活にしっかりと密着させるのが、
真のリサイクルボランティアなのである。
 
張志剛は一九七八年江蘇省泰州の農家に生まれた。父親は大工で、毎日畑仕事を一通り終えてから仕事に出かけた。しかし、それほど苦労しても、家庭の暮らし向きはあまり良くならなかった。
 
張志剛には一人っ子にありがちなわがままな性格は見られない。十歳過ぎから両親と野良仕事に出て、田植えや稲刈り、落花生の栽培を手伝った。同年齢の子供たちが遊んでいる時も、暑い日も働いていたが、文句一つ言わなかった。労働を通じて、日常生活で必要な物は、容易には手に入らないことを知った。
 
一九九七年に専門学校を卒業してから上海で働き、一九九九年から嘉定馬陸のある鉄鋼会社に入社して以降、今日まで倉庫の管理の仕事をしてきた。二〇一三年に、妻の周玉香が慈済委員である王韶岑の会社に勤めたことから、慈済に参加するようになった。妻がいつも遅く帰宅したり、「薫法香」や「菜食」などの話をしているので、彼は好奇心を抱くようになった。初めて慈済を訪れた時、「福は実践するの中から喜びを感じ、慧は人を善意に解釈することから自在が得られる」という言葉を目にした。
 
二つ目の言葉を理解する前に、一つ目の言葉に深く感銘を受けた。彼は少年時代、田圃での仕事を思い出し、「労働を通じてこそ、心に安らぎを得ることができる」という言葉を理解した。《無量義経》の勉強会に参加し、映像を見て、證厳法師のお話は全て道理が通っており、生活の中に応用できると実感した。
 
●2017年初頭、張志剛は江蘇省の宿遷市泗陽県での冬季物質配付活動に参加し、総務の仕事を担った。彼は、「多く責任を担えば、大きく成長する」と言った。(撮影・楊寒)
 
以前、張志剛の趣味は同郷や同僚とマージャンすることだった。しかし、勉強会に参加してからは、慈済一筋になり、真面目な彼はすぐに環境保全の仕事に関心をもった。ボランティアについて地域で資源ゴミを回収したり、リサイクルステーションで回収物を整理したりして、彼は充実した生活を送るようになった。
 
環境保全の仕事は汚れると共に疲れるが、子供の時から農耕に慣れている張志剛には大したことではない。それよりも、慈済に入った頃、聞きなれない言葉がたくさんあって、不安になった。シニアボランティアの鄒善労は時を見計らって彼を励ました。「とにかくやればいいのです!満足、感謝、善意の解釈、包容という四つを達成できれば、人生はさらに幸せになります」
 

なぜできないのだろう

 
二〇一五年、張志剛は上海市嘉定区の環境保全活動の総召集人となり、肩の荷の重さを感じた。リサイクルステーションに積まれた回収物の山を見て、妻と仕事のない週末の時間を全部、整理に費やした。
 
ボランティアの趙明と蘇淑恵は、彼に、団体で活動することが大切だと教えた。そこで、多くの人々を誘い、一緒に参加することに意義があることを学んだ。
 
しかし、すぐに別の問題に直面した。リサイクルステーションに送られてきた物の中に、回収不可能の物がたくさん混ざっており、後処理に大きな支障をきたすのである。彼はさまざまな機会に話すが、効果はあまりなく、よい考えが浮かばなかった。「環境保全をよびかけ続けているのに、なぜやらない人がいるのか?」と困惑した。
 
困惑は脇に置いておいたとしても、山のように積まれた回収できない物をどうしたらいいのか分からなかった。リサイクルステーションに積んだまま、少しずつ片付けるしかないのだ。
 
張志剛は、「慈済で奉仕している以上、文句は言いません。自分から喜んで時間を布施しているのですから、協力するのも責任を負うのも構いません。とにかく仕事をきちんとやり終えることです」。その後、趙明と協力して、環境衛生所の車を使う話を決め、やっと本当の「ゴミ」をリサイクルステーションから出すことができた。そのことがあってから、趙志剛は「どうしたら環境保全を生活に密着させられるか? 口先だけではいけない」と思考するようになった。
 
●上海市の嘉定区宝城新村で、張志剛氏は実物を展示して、住民に分別と回収の仕方を教えている。(撮影・高曰菖)
 

実践は自分から

 
彼は疑問を持ちながら、慈済上海リサイクル研修会に参加した。趙明と上海のシニアボランティア、林咸尹の二人から同じことを聞いた。「自分にできたことを他人と共有する時、それを話すことができるのです」
 
その瞬間、彼は悟った。自分で実際にやったことでなければ、活動の時に宣伝するだけでは力がないのだ。環境保全の理念は口先だけのスローガンではなく、自分の生活の中で実践して初めて、本当の環境保全ボランティアと言える。
 
その時から、趙志剛は自前の買い物袋とマイ箸、マイ食器を持ち歩くようになった。階下で朝食を買う時、マイ箸を使い、饅頭はビニール袋ではなく、携帯しているマイ食器に入れてもらう。店の主人は初め驚いたが、徐々にその変わった習慣のある客に慣れた。
 
隣の八百屋の女主人も最初は同じように変な客だと思った。無料のビニール袋を使わず、自前のショッピングバッグを持ってきているのをしばしば見て、「もっと多くの人が同じことをすればいいと思うようになりました」と言った。宝城新村で八百屋を経営している店主によると、毎月のビニール袋代は最低でも千五百人民元(一元は約十六円)で、多い時は三千人民元にもなり、その使用量の多さが分る。店のオーナーにとっても、大衆が無料のビニール袋の使用を減らすことを期待している。
 
張志剛は友人と食事する時も信念を曲げない。友人たちもすぐにそれに慣れ、彼と一緒の時は使い捨ての食器を使わなくなった。
張志剛はそれを実行する時、怪訝そうな他人の目を気にすることはない。「一人から始めることも説明する必要はなく、やがて人はついてきます」
 
●嘉定慈済リサイクルステーションで、張志剛はボランティアと共に回収物の分別に没頭している。
 

反省は心を柔軟にさせる

 
二〇一七年に嘉定リサイクルステーションは閉鎖され、リサイクル活動は地域に密着し始めた。ボランティアの王静が住んでいる宝城新村では環境保全のためにビニール袋やプラスチックの使用を減らすよう呼びかけたところ、住民委員会から支持が得られ、地域住民の参加を促してくれるようになった。そういう良好な状態をどうやって続けるか、王静は同じチームのボランティアメンバーと考えたが、少し意見が分かれた。
 
その時、張志剛は客観的な角度から王静と話し合った。「宝城新村での環境保全活動は、地域で最も相応しい方法を基本にしますが、チームの考えも取り入れて、愛を広めるお茶会で地域の住民の心を摑むのです。異なった意見が出たからと言って、煩悩を生じてはいけません。全ての意見は事を円満に行うためなのです」
 
一方、張志剛はチームのボランティアと話し合い、地域で環境保全活動を進めるには、現地のボランティアを主体にしなければならないと言った。王静の発心を皆で守って育てて行かなければならない。彼の意思の疎通と調整で、次に行った地域の環境保全の呼びかけは円満に行われた。
 
今でも、張志剛はいつも、「福は行いの中から喜びを得、慧は思いやりから自在が得られる」という言葉の意味を考えている。ただ、いつも考えるのは後ろ半分の言葉で、「時々、自分に固執するゆえ、常に心を調整して、さらに柔軟にならなければ、と思っています」と話す。
(慈済月刊六一四期より)
NO.261