慈濟傳播人文志業基金會
パイワン族文化の伝承者(上)
チャマク・ヴァラウル氏
 
 
二○一四年、東元賞(東元科技文教基金会による表彰)受賞式典の席上において、泰武小学校の古謡伝唱隊はパイワン族の伝統歌謡を歌った。
 
チャマク(中)は学校の教師であるだけでなく、さらに伝統文化を守護する人物である。
 
彼は歌を教える中で、子供たちに部落の歴史と文化を理解してもらうと同時に、祖先の智慧を伝えている。
 
屏東県の北大武山の麓にあるウラルズ部落(またの名を泰武部落)は都市の喧噪から離れたパイワン族の集落である。数人の年寄りが輪になって世間話をし、子犬や子猫は道端に寝そべって気持ちよさそうに太陽を浴びている。ここは世の争い事に関わりのない桃源郷だ。太陽、百歩蛇、百合の花や陶器の甕などの図案を並べたモザイクの壁は、パイワン族の伝統精神を鮮やかに表している。
 
昼休み、静かな学校から透き通った歌声が伝わってくる。二階の舞踏教室から伝わってくるその旋律に、私はしばし耳を傾けていた。教務主任のチャマクが生徒にパイワン族の古い歌を指導しているのだ。
 
二○一七年九月に優秀な教師に贈られる台湾政府教育部の師鐸賞(優秀な教師に授与される賞)を受賞したチャマクは、学校の教務主任と体育教師を担任しているだけでなく、パイワン族の伝統文化を伝えることに惜しみなく力を注いでいる。パイワン族の知識を収集して教材を作成し、さらに古の歌を歌うことで生徒に集落の文化を認識させたことが、賞を獲得した主要な功績だった。
 
大学生時代に、先住民青年サークルに参加して、多くの先住民伝統歌舞に触れたことが、パイワン族の古い歌謡を収集するきっかけになった。それ以来、もっと多くのパイワン族の古い歌謡を収集したいという思いが沸き上がった。二○○二年、泰武小学校に配属された彼は、熱意を以て、いかにクラスの特色を打ち出していくかを考えていた。
 
翌年チャマクが指導した生徒のルマサンが、全国伝統歌謡独唱コンクールで一等賞を獲得した。それ以後、パイワン族の伝統文化を大衆の前に再現し、また次の世代に古謡伝承隊の希望の種子を播くことに専念した。そしてフィールドワークを行い、泰武、佳興、二カ所のパイワン族集落の古謡を収集して、これらの歌をクラスで教えたいと願っていたのである。
 
●写真・チャマク・ヴァラウル提供

血に宿る封印された

記憶を呼び覚ます

 
「古謡を集め始めた頃は簡単ではありませんでした」と、大柄で逞しいチャマクは笑いながら話す。「お年寄りの中には伝統に背いていると認めてくれない人もいましたし、子供たちは古謡は古臭い歌だと興味がありませんでした」と語った。貴族階級制度の存在するパイワン族では、集落内での階級の差が明らかで、各家族の地位は同じではない。ある地位の高い年長者は、祖先伝来の古謡を他人に伝えたくないだけでなく、ましてや貴族ではない者に吟唱をさせたがらなかったのだ。しかし何度も重ねてお願いするうちに、幸いにも年長者たちはやっと同意をしてくれた。
 
当時の子供たちは、台湾の人気歌手が歌う流行歌を好んでいた。その子供たちに古謡の美を発見させようと、彼は休み時間に流行歌と古謡を交互に流した。その結果、次第に古謡を受け入れ、口ずさむようになった。
 
チャマクは言う。「パイワン族には文字がなく、ただ言語があるのみで、集落の歴史、知識や文化に関するすべての記憶は、パイワン語の歌謡に織り込まれて今に至っているのです。しかしパイワン族でなければ歌詞を深く理解することができないために、お年寄りにインタビューする時など、意思疎通の妨げになっていました」
 
幸い、同僚の歴史教師の邱宵鳳がパイワン語に精通しているので、彼女の通訳で古謡のどの一首の意味も徹底的に理解することができた。彼は録音とメモにより、お年寄りたちの歌う古謡とその説明を記録して懸命に練習し、自分が十分歌えるようになってから生徒に教えた。「現在、百曲近い恋愛の歌、仕事の歌、勇士の歌から童謡に至るまでの歌を各地の集落から収集しています。歌詞と歌い方がそれぞれ異なっていることによって、パイワン族古謡がいかに豊かであるかが分かります」
 
どの歌が好きかと言う問いに、「オウワライユイー!」と彼は答えた。この歌は集落を賛美する歌で、全校生徒が歌えると言う。そして何事も始めは困難だったと当時を振り返った。生徒たちは次第に古謡の旋律に慣れ、驚くべき学習能力をもって数時間で歌えるようになったそうだ。まるで、血の中にある古謡の記憶が目覚め、叫んでいるかのようだと言った。
 
生徒らは歌えば歌うほど会得し、各界からの注目も受け始めて、二○○六年「泰武小学校古謡伝唱隊」が正式に誕生した。ちょうどその年に団体でレコーディングした伝統音楽撰集「素晴らしい歌を唄おう」のレコードが、十八回金曲賞の原住民音楽撰集賞を獲得して、伝唱隊の名声を社会に響かせた。
 
●学校の天井に描かれた各国の文字とローマ字綴りは、異なる民族の生活用語である。学生に心を広げて世界に向けるようにと促している。

古謡伝唱隊は

世界の誉れを獲得した

 
寒気がやってきた初冬のある日、冷たい北風が容赦なく往来の人々に吹きつけていた。しかし台北の松山文化創意地区の四号倉庫では、泰武小学校の古謡伝承隊の生徒らが純真な魅力溢れる歌声で、会場の観衆の心に温かい活力を与えていた。舞台上の子供たちは、ギターや弦に合わせ軽く体を動かしながら悠揚と古謡を響かせ、満場の拍手を受けていた。終わった後、今年六年生の邱家凱は私に、伝承隊に参加して半年、「最も好きな古謡は?」と聞かれた時、すぐに「勇士の歌!」と答えたと言った。
 
今思えば古謡収集を始めた当初は艱難な過程に遭い、伝承隊の存続もおぼつかない大変な時期があった。ある家長は練習時間が長過ぎて学業に影響するのではないかと心配し、また山地に散らばって暮らす子らを集めて練習するのには、送迎の時間と経費もかかってしまう。またいかにしてチームワークを築いたらいいのか、歌唱指導はどうしたらいのかなど、大きな課題があったが、幸いにしてすべてを克服することができた。
 
二○○九年のルクセンブルク、ベルギー、フランス、ドイツでの巡回演奏では、世界にパイワン族古謡の美を披露したが、子供たちがちょうど輝いている時に、無情な暴風雨は彼らの校舎を無残にも破壊してしまった。その年、モラク台風が台湾南部を襲ったのだった。学校は被害にあった校舎を後にし、今日の泰武小学校に移転してきた。
 
●屏東県の泰武小学校は交通の不便な辺鄙な土地にあり、学生はわずか100名あまりでほとんどがパイワン族である。先生たちは生徒の個性を伸ばすことを考慮し、バイオリン(左)あるいはパイワン族伝統の木彫り(真中)や刺繍(右)など多くの科目を設けている。
 
しかしながら、暴風雨でさえ彼らの情熱を消し去ることはできなかった。その時以来、彼は毎年高学年の古謡隊の生徒を連れて大武山に登っている。それはパイワン族の聖山を伝統歌謡によって慰撫し、この機会に生徒らが永遠に大武山の子らであると目覚めさせたいからなのであった。
 
被災後、伝唱隊は韓国、日本、米国、マレーシア、スイスなどへの公演を継続した。公演の足跡はヨーロッパ、米国、アジアに渡って「歌の中から山が見え風の音が聞こえる天籟の音」という誉れを受けた。去年の八月には二○十七年夏季世界大学生運動会の開幕式に彼らの精彩な演出が見られた。また、伝唱隊は異なる分野の音楽家や団体と合作している。例をあげると琵琶演奏者の呉蛮、スイスにいるバイオリニストの黄義方、台北フィルハーモニックユースオーケストラやナショナルチャイニーズオーケストラなどである。
 
二○一三年、彼らと六個のグラミー賞を受けた米国籍ウクレレ演奏家のダニエル・ホーと提携して「山並みを飛び越えて」の歌をレコーディングし、西洋音楽とパイワン族の吟唱技法とが結合した作品を作り上げた。その年にロスアンゼルスで巡回演奏を行い、翌年には「最優秀原住民語選集賞」を獲得した。ダニエル・ホーは伝唱隊の純真で魅力溢れる歌声を称賛し、「泰武古謡伝承隊を紹介する言葉は実に『感動!』の一言しかありません」と言った。
 
そのアルバムは大好評を博したので、二○一五年、伝承隊は再度要請を受けてアメリカ公演を行った。ヒューストンのミラー・アウトドア・シアターのステージでは、子供たちは百合の花を頭に飾り、赤、青、褐色など色とりどりの生地に刺繍の施された民族伝統の衣裳を着ていた。そしてダニエル・ホーのウクレレ演奏とコラボした天籟の感動的な吟唱に、観衆は酔いしれた。中でもラテン系の観衆たちは、その歌声を聞いて、自分たちの同胞に思いを馳せ、感動に涙していた。
 
「有名になろうなどとは思ってもみませんでした」。続けて彼は、また突然気持ちを込めてこう言った。「団体の本当の目的とは、古謡吟唱によって子供たちが自己認識に目覚め、自分は誰なのか、どこから来てどこへ行くべきかを認識させることでした」
 
●過去のパイワン族に文字記録の歴史と知識はなかった。多くが口伝えや歌謡によって先人の故事を伝えている。伝唱隊は1週間に少なくとも3回の練習があり、反復吟唱によって、古謡の中の智慧を学び取っている。
 
子供たちは古謡を通じてパイワン族の伝説や文化と制度を知るだけではなく、舞台に立つことによって、他の民族にもそれぞれ良さがあることを理解し、さらに進んでパイワン族自身の美を自覚している。かつてある子供が、別の先住民団体の発表が終わると、その素晴らしさに心打たれ、自分はとてもパイワン族の古謡を歌えないと言ったところ、チャマクは「勇敢に歌えばいいんだよ。どの民族の歌も各自の優れた所があって、舞台では優劣を競いあうわけではないんだ。異なる民族の芸術はすべて美しいのだよ」と励ました。
 
集落文化の認識だけでなく、自分探しのために歌はもう一つ重要な側面がある。「対話」である。歌い合う中で、お互いの間に「共有」の概念が生まれるのだ。公演はただ歌謡の付加価値に過ぎない。例にあげると、歌い手の歌声がその時の心情によって抑揚が頓挫した時は、注意して聞かないと相手に喜怒哀楽が明白に伝わらない。「そのためにお互いが心情を共有するには、歌い手たちがさらに聞き手を思いやらねばならない。この他人を思いやる精神がパイワン族がとくに重きをおいている伝統なのです」
 
彼は、生徒らがパイワン古謡の練習の最後に「人生の美意識」を悟ることができ、それが美意識の教育の最も価値のあることだと信じている。「いわゆる人生の美意識とはあなたが真心の愛(関心)を相手に示した時、その中で美意識が自然に現れ、なおかつ人に対するだけでなく、大地、万物、祖先の霊にも愛があることに気づくことです」
(経典雑誌二三四期より)
NO.261