慈濟傳播人文志業基金會
自分を見つめ直す
「暁の鐘に目覚め、法の香に浸る」という朝の説法をノートに取って三年。混乱した思考を清らかな智慧に変えることができた。煩悩が取り憑く中、次第に心が開き、「分別心がなければ、煩悩もない」ことを悟った。人間関係での是々非々から処世の妙法を見つけ、「逆境は最高の祝福である」ことを知った。そして、肉親の情や愛情にとらわれながら、次第に大愛の道が見え隠れし、「正しい道を堅持して進む」ことを理解するようになった。
 
二〇一四年九月十八日、高雄慈済教師懇親会の教師たちが花蓮の静思精舎で、『無量義経』に関する感想を述べた時、證厳法師は、「先生たちは、朝の説法を聞いていますか?」と優しく聞かれた。
 
同年の十二月十七日、教師懇親会の教師たちが高雄の静思堂で、『教育が無量義経に遭遇した時』という本を法師に献上した時、法師は再び、「先生たちは、朝の説法を聞いていますか?」と優しく聞かれた。
 
教師たちは法師のお言葉をしっかり受け止め、早朝に『法華経』の説法を慎んで拝聴すると共に、感想を書き留めるようになった。そして、ますます多くの人が「聞法筆記読書会」で朝の開示を筆記するようになった。
 
思いというものは実に不思議である。二○一五年一月から高雄地区の慈済ボランティアは、「法の香に浸る」朝の説法をノートに書くことを始めた。私が最初の説法を聞いて書いた「行入」(実践)と「領悟」(悟り)は二○一五年一月六日の法師の説法を書き留めたものだ。その要点は、「聞いた法を信じて理解しなければ、富豪に雇われてその家の中にあふれていた財宝の管理をしていても、それを自分のものにしようと思うことさえなかったのと同じである」という部分だったことを今でも覚えている。
 
作者・李文殷、朱妍綸、朱妍綾など
発行元・慈済道侶叢書出版
皆様のご支援を歓迎いたします
 
カスタマーサービス
☎+886-2-28989000
       内線2145
送付の申し込み・ページへようこそ
http://web.tzuchiculture.org.tw/index.php?s=3
 
この世に仏法があれば、望みがある。読書会ではメンバーが、ボランティアが見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと、行ったことを小チームに分かれて述べ合う。メンバー同士の交流によって法の喜びに触れ続ければ、次第に『法華経‧信解品第四』で述べている「如彼窮子,得近其父,雖知諸物,心不希取,我等雖説,佛法寶藏,自無志願,亦復如是」の状況になる。すなわち、「貧しい子が父親の元に戻り、全ての財産を目の前にして、自分のものにしようと思うことさえしなかった」ように、私たちも、仏法という宝に接しても、それを自分のものにしたいと思わないのと同じである。法師の言う、「七宝(金、銀、瑠璃、玻璃、硨磲、珊瑚、瑪瑙)は私たちの心の中に存在しており、外で貸金庫を借りることも、お金を払う必要もないため、皆、裕福で、宝に溢れている」という意味を理解することができた。
 
朝の説法を聞き出してから、次第に心が柔軟になり、人との間のわだかまりが、以前のようにまとわりつくことがなくなった。また、他人を思いやり、生活の質も向上し、是々非々による煩悩がなくなると共に、説法を聞いた感想を次々に書けるようになった。
 
千を超えた日々で書き上げたノートの数は数百冊に達した。その過程で、先輩の慈済委員である陳也春師兄が語ってくれた心得のおかげで、私たちは混迷した思考を徐々に清らかな智慧に変えることができ、抱えていた悩みや葛藤が智慧の力で思考を変えることができた。「分別心がなければ、煩悩もない」ことも悟った。「逆境は最高の祝福である」ことを知り、肉親の情や愛情にとらわれながら、次第に大愛の道が見え隠れし、「正しい道を堅持して進むべきだ」ということを理解するようになった。
 
『法華経‧法師品第十』の中に、理解する、読む、朗唱する、解説する、筆記する五つの仕事をする法師がいる、と書いてある。「たった一人のために説くのもよし、法華経の中のある一句だけでもよし、人のために説いてあげるならば、正にその人は如来の使者であり、如来が行っているのと同じであり、ましてや大衆に広く教えを説くに至ってはなおさらである」という部分がとりわけ印象深い。
 
この人生で、慈済の菩薩道を歩みながら理解と読書、朗唱、解説、筆記で以て、より多くの人に朝の説法を書き留める喜びを知ってもらい、無量義経の法を皆と分かち合いたいと思っている。
(慈済月刊六一七期より)
NO.261