慈濟傳播人文志業基金會
一粒の米も集めれば俵となり、 慈悲の糧となる
《法句譬喩経》の〈双要品〉に「心為法本心、心尊心使、中心年善、即言即行、福楽自追、如影随形」とあります。これは、心が一切を主導しているため、もしも善念が言葉や行動に現れれば、福と喜びがやって来る、という意味です。
 
この経文は今、ミャンマーで行われている「米貯金」によって実証されています。十年前、サイクロン・ナルギスが地球の穀倉であるこの地に甚大な被害をもたらしました。慈済は種籾を被災した農民に配付し、復興に尽力しました。これら支援を受けた被災者は、今度はそのお返しとして、収穫した米を貯めて貧しい人に施す「米貯金」を自発的に始めたのでした。
 
当時村人を指導していたウディントンは、「以前は自分の貧しさばかりを気にしていました。ですが今は、自分よりももっと貧しい人がいるのに気付かされました」と言った。ウディントンは一昨年の末、慈済ボランティアの認証を受けるために台湾に来ました。「もし、その時に支援してもらっていたのがお金だったら、すぐに使い果たしてしまったでしょう。しかし、その時に得たのは『慈悲』であり、一生使いきれない糧なのです」と喜びに満ちて言いました。
 
当時、イラワジデルタの田畑は破壊されて塩害を受け、全国で十三万人が死亡、二百四十万人が家を失いました。もともと貧しい農村は活気を失いました。当時はミャンマー軍事政権下で鎖国状態にありましたが、慈済は国際NGO組織として早くから入国を許可されました。初めは一日だけの入国許可でしたが、後に継続滞在が許可され、さまざまな援助を行うことができました。
 
マレーシアの慈済ボランティアは支援を続けると同時に、現地の台湾企業や華僑、そして現地ボランティアに参加を呼びかけました。以前は借金して農耕していた農民は、慈済の種籾と肥料の支援を受けて、収穫が増え、経済的に次第に良くなって行きました。古来小乗仏教を主に信仰するミャンマーの村民は布施の信念を強く持っています。慈済の種籾配付活動を手伝った現地の僧侶の呼びかけの下に、毎日ご飯を炊く前に、一握りの米を櫃に入れて「貯金」しています。
 
これが「米貯金」が始まった由来です。毎日善を施すこと。これは、主婦が毎日市場へ買物に出かける前に小銭を竹筒の貯金箱に入れて貯めて、貧しい人への支援金とした「竹筒歳月」と呼ばれる慈済の慈善活動の発端と同じものです。彼らはボランティアの激励を受けて、貧困救済活動を展開し、毎月村の一人暮らしのお年寄りを訪ねて、貯金した米を贈っています。
 
この八年間、ほかの村でも六百人以上が「米会員」になって「米貯金」をしています。ゴム園で働く村民は米を生産せず、米を買っていますが、布施に参加し、伝統的な現世解脱の信仰の下に慈善の隊列に参加しています。
 
今年の五月はナルギス風災十周年に当たり、本誌の記者が再び種籾を配付した村を訪ね、「米貯金の里帰り」活動をカメラに収めました。米貯金をいくつもの大きな袋に入れているのを見て、深く感動しました。今期のテーマ報道の中で、取材した記者は、村民が貧困者に米を届けているのを見て、「一粒の米も集まれば俵となる」慈悲の力をその目で確かめました。それは、無数の人々にとって、身心の糧となっていたのです。 
(慈済月刊六二〇期より)
NO.261