慈濟傳播人文志業基金會
卓蘭での山暮らし  医療スタッフが我が家に
卓蘭鎮は台湾苗栗県の最南端に位置する辺鄙な町である。
山間部の道路は整備されているが、
体が不自由な人は、車を運転できないうえバスにも乗れないため、
出稼ぎの若者が家に帰った時に病院へ連れて行ってもらうか、
あるいは毎月の訪問ケア医療スタッフを待つしかない。
 
「部屋にいますよ」。今年の六月三日の朝に、中部の慈済人医会のメンバーが卓蘭鎮坪林地域へ施療に行った時、七十四歳の徐おじいさんは室内のベッドに横になっていたが、外で車のドアを閉める音が聞こえると、すぐ大きな声で皆に挨拶した。家にいないと皆に思われてしまうと心配したからだ。
 
慈済人医会のメンバーが、毎月のこの日尋ねに来てくれるのだ。徐おじいさんの奥さんはいつも家のリビングで待っているが、今日はドアが開いたままで姿が見えなかった。
 
中部の慈済人医会のリーダーである紀邦杰医師は、暗い部屋に入って、手作りのパンを徐おじいさんの手に渡し、「奥さんはどこにいますか?」と聞いた。
 
●訪問診療の慈済人医会とボランティアは、出発前に「祝福の歌」を歌い、山間部の人々の健康を祈る。
 
「娘が二週間前に老人ホームへ連れて行ったのです」という話を聞いて皆がびっくりした。認知症、糖尿病とパーキンソン病を患っている奥さんは、慈済人医会が前回来て帰った後、いつもつまずいて転んでいました。嫁いだ娘がそれを心配し、苗栗の高齢者養護施設に入所させたのだという。
 
十八年前から脳梗塞を患う徐おじいさんは、左半身不随の状態で、右手足の力を使ってベッドの脇に体を移動させていた。紀医師と卓蘭地元の卓錫彬医師、それから同行のボランティアたちは、すぐに手伝って徐おじいさんを車椅子に座らせた。
 
血圧が正常値であることを確認した後、看護師の蘇瑋苓さんは徐おじいさんの傍に座って、「右足で左足を支えあげて、五まで数えてください」「一、二、三、四、五」と声をかけた。「それから泥まみれの右足を持ちあげて、真っすぐにしてから床に降ろしましょう。十まで数えますよ。リラックスして、十まで頑張って下さいね」という皆の励ましを受け、蘇瑋苓さんの教えに従い、彼は数えながらその動作を続けた。
 
●慈済人医会とボランティアは、定期的に卓蘭の山間地域へ施療に行って、長年一人暮らしをしている人の家にを訪問している。皆を引率するのは卓蘭鎮でクリニックを開いた卓錫彬医師(一番右)で、患者の病状をしっかりと把握している。
 
蘇瑋苓さんは徐おじいさんの左手足の筋肉が萎縮し過ぎていることと、右手足で支えていては、その重みで怪我をする可能性があることを心配して、いくつかの手足を動かす動作を教えた。常に自分でリハビリできるように期待している。
 
「ここに来るのは、役に立ちたいからなのです」と蘇瑋苓さんは言った。医療スタッフにとって、毎回行われる訪問施療で患者の助けになりたいと考えている。とくに脳梗塞の患者は体を動かさなければ、血液の循環が悪くなるうえ老化しやすくなる。「徐おじいさんが車椅子に座れるようになったということは、私たちからの励ましも役に立ち、もっと元気になってもらえるはずだということです」と彼女が言った。
 
別れる前、蘇瑋苓さんは忘れずに毎日朝、昼、夜とリハビリを続けるように、と念を押した。「はいはい。できる限りやってみます」と彼は檳榔を噛んでボロボロになった歯を見せながら笑顔で返事をした。
 
●ボランティアの看護師蘇瑋苓さんは(中)体を屈めて、年長者に教え、毎晩ぬるま湯で足を浸した後、タオルでしっかりと拭いてあげて、静脈瘤を緩和させる。
 

ボランティアが通訳となり、

安全衛生教育が順調に進む

 
「果物の郷」と呼ばれる卓蘭への訪問診療に行く際、目の前に広がるのどこまでも続く梨畑だ。成熟するのを待っている梨は袋に覆われ、あっちこっちの高台に実っている。一つ一つの果実の袋は農民たちの暮らしを支える収入源の象徴であり、農民たちがその収穫を得るまでどれほど苦労したかを意味する。
 
ここに住んでいる人たちは、苦労に耐え一生懸命働く気質を持つ客家人が大多数を占める。若い時から険しい山の斜面の上で耕作していたため、一部の人は体が早めに衰弱し、あるいは過酷な仕事で、後遺症が残ってしまった人もいる。
 
黄おばあさんの両足は、長年そのような環境で働いた結果、ひどい静脈瘤を患って、下腿の間に浮き出した血管は小さい虫が這ったような形をしている。足の指が十本とも曲がっていて変形した状態では、スリッパをはいても、常に皮がこすれて破れ血がしみ出してしまうのだった。
 
蘇瑋苓さんはそれを見て、体を屈めて両手でおばあさんの両足を持ち上げて、傷だらけの足を詳しく診察し、「水の量をふくらはぎの上あたりまでにして、毎晩ぬるま湯で足を浸すといいですよ。その後にタオルで乾かしてくださいね」とおばあさんに教えてあげた。おばあさんは客家人で、客家語と簡単な北京語でしか話せないので、蘇瑋苓さんは、ボランティアの蔡欽盛に通訳してもらって指導する。
 
口で言うよりも実践的に教えた方が分かりやすい。蘇瑋苓さんは高雄から里帰りしているおばあさんの息子にぬるま湯を持ってきてもらい、おばあさんの両足を水に浸し、足の指を曲げたり延ばしたりさせて、十まで数え続けた後、また十まで数えて休むことを何回か繰り返しもらいました。そして、おばあさんの両足を自分の膝に持ち上げて乾いたタオルで水気を拭き、足の指の間もきちんと拭いてあげた。「足の指の間を乾かさないと温い湿気で皮膚に水虫ができやすく、ひどい場合、蜂窩織炎になる可能性もあるのです」と蘇瑋苓さんは拭きながら話した。
 
子供が皆別の場所に住んでいるおばあさんは、行動的な人なので、もしも毎日言う通りにすれば、血液の循環がよくなり、静脈瘤の症状も緩和できるだろうと蘇瑋苓さんは期待している。
 
●坪林社区文康センターの一般診療所で、李永磐医師(左)は、年長者を丁寧に診察している。(撮影・劉勝爵)
 

親切な行動で、

お年寄りの固い心が溶ける

 
車がくねくねとした山道を走り続け、ある斜面に止まって、皆足元に気をつけながら車から降りた。強い日差しの下、左に曲がって少し上に登ると一軒の家に着いた。裏側にある山の斜面の竹林に比べ、この家はとくに低くて古いと感じられた。
 
この家に住んでいる李おばあさんは耳が遠いので、紀医師はここに来る前すでに東勢で仕事しているおばあさんの息子と電話で連絡し、李おばあさんが家にいることを確認していた。蔡欽盛はおばあさんが使っている客家語で大きな声で「おばあさん、お家にいますか」と聞いてみたが、しばらくしても答えがなく、ドアが開く様子もない。「ここまでに来た以上、あきらめるわけにはいかない」と彼は家を一回りし、窓から中に向かって叫んだ。
 
蔡欽盛は三年前初めて李おばあさんと知り合った。その時の李おばあさんは、人生の半分以上も畑で働いていたが、その耕作地の問題で役所と争いが起きた。それ以来、家に閉じこもって、誰とも会わず、慈済ボランティアをも相手にしなかった。一年が過ぎて再び会いにきた時、李おばあさんはやっぱり話をしてくれないが、慈済ボランティアの訪問を受け入れてくれるようになった。
 
蔡欽盛は李おばあさんがなぜドアを開けてくれないのかと不思議に思い、「おばあちゃん、おばあちゃん」と客家語で大声で呼んでいると、ドアがやっと開いた。なるほど、おばあさんは風邪をひいたのか、痰が喉に絡んで、呼吸も荒くなっている。傍に座って、耳の近くで「風邪薬を飲みましたか」と蔡欽盛は聞いた。「はい」との短い返事を聞いただけだったが、すごく嬉しかった。
 
「私は人の心が安らかになる温度が何度なのかは分かりません。でも慈済人の情熱が必ず人の心を溶かしていくことは知っています」。おばあさんが皆と触れ合ううちに、口角が上がって笑ったり、顔の筋肉が柔らかくなったりするのを見て、蔡欽盛は誰よりも嬉しかった。
 

長話にも根気よく付き合えば、

長期医療効果が表れる

 
訪問ケアのほかに、慈済人医会のメンバーは坪林社区文康センターで定期診療を行い、内科、歯科と漢方科を設置している。ボランティアの黄億青は自分の長所を活かして、地元の人たちにヘアカットをしてあげている。午前中に診療所に人が行ったり来たりして、いつもは静かな山間の集落がにぎわっていた。
 
卓蘭の山間部は辺鄙な場所にある道路は整備されているが、体が不自由な人は車を運転できない上バスにも乗れないため、外の町へ出稼ぎしている若者が家に帰った時に病院へ連れて行ってもらうしかない。それ以外は連なる山並みを昼も夜も見続けているだけだった。子供たちの帰省以外に待ち望んでいるものと言えば、毎月の訪問ケアの慈済人医会と慈済ボランティアの姿であろう。
 

善と医療に取り組み、長期的定期的に寄り添う

►2006年から、中部慈済人医会のメンバーは毎月1回、日曜日に苗栗縣卓蘭鎮で高齢者と低所得家庭の往診を行っている。
 
►定期的な訪問ケアのほか、その日も卓蘭坪林社区文康センター、あるいは卓蘭坪林里活動センターで診療を行っていた。
 
►慈済人医会は医師、看護師、薬剤師、医療技術スタッフ及び後援ボランティアなどの組織で、また慈済慈善体制とも協力し、地域の住民を看護している。昨年台湾全域の慈済人医会は定期的なケア数が643戸に達していた。
 
(慈済月刊六二〇期より)
NO.263