慈濟傳播人文志業基金會
時は一秒も待ってくれない 私たちは四諦から離れずに
衆生のために、日夜疎かにせず
生涯、四大志業を「やり遂げる」
但し説法の心は終わらずにいる
 
 
長い距離を巡礼して回り、今回の行脚が終わって精舎に帰り着いた時は、すでにひと月が経っていました。花蓮駅のホームに降り立った時、暦は七月の八日になっていて、私は心の底から喜びが沸き上がり、出発時の重い足取りは軽くなって帰ってきました。
 
病を抱いたままに出発した西部行きの一歩一歩は、本当に辛いものでしたが、帰り着いた時は心の底から軽く安らかになっていました。花蓮慈済病院の林欽榮院長が傍へ来て、「師匠、お元気になられましたね」と言葉をかけてくださいました。その実まだ疲れは残っていましたが、心には喜びと感謝が入り混じっていました。
 
感謝しているのは、どんな時にも私の話を真面目に聴いてくれる弟子たちのいることです。北部、中部、南部を廻って花蓮へ帰るまでの間は、毎日のように法に精進する弟子たちの姿が見られました。熱心に法の修行をしている人たちにも、私に法の見返りを与えてくれている弟子たちにも、慧命の成長があることを喜んでいます。
 

時は情けを留めてくれず

遺憾あるのみ

しかし慈済の大家庭には

無限の安逸がある

 
帰ってきた時、多くても二~三日休んでから「朝の説法」を始めようと思っていましたが、この休息が二カ月近くになってしまいました。その日一日をどのように過ごしたかを毎日反省すると、また気がせいて「私は明日の早朝、本殿で説法が出来るでしょうか」と考えたものです。
 
最近あちこちの国々で多くの災害が発生しています。台湾でも水害が発生した時、朝の説法だけでなく、ボランティアの朝会の時にも、戒に慎み謙虚であるよう丁寧に注意することが不十分であったのではないかと、私は失望感に襲われました。
 
私は平常のように忙しく、時を無駄に過ごしていませんが、空虚感に襲われ、生涯「やるべきことはやったが、説法は終わっただろうか」と日々自省しています。
 
一九六三年に、私は帰依戒場に入る時刻が迫っても帰依を受ける法師がいなかった時、印順導師はすかさず私を弟子にしてくれました。私は儀式通りに跪いて頭を地につけ三礼した時、導師は「仏教のため、衆生のため」の二言を下さいましたが、私は終生かけてもまだそれを為し終えることができません。
 
 
慈済は設立してから五十二年あまりの時間を、ほとんど四大志業に務めることに注いでいました。『四十二章経』、『仏遺教経』、『無量義経』、『薬師経』などの説法は、忙しい中でも途切れ途切れに続けてきましたが、時には何カ月も休むことがありました。時間があればすぐに把握して三日から五日の間に一段を話していましたが、しかしながら経文は連続して話すことができませんでした。あわただしい生活の中で、募金、企画、工事、人事のことなどに時を費やしていました。
 
病院建設の期間は、どうすれば少しでも資金を集めることができるかと、そればかり考えていました。当時の信者はお年寄りが大部分で、雑務をしている人が多く、彼らはやっと稼いだお金で家を買う人や商売を始めようとする人たちでした。その貴重なお金を私の病院建設に惜しげもなく献金してくれました。お金は後でまた稼げばいいと言いました。
 
さまざまな仕事に従事していた人たちは、献金をしても何に拘泥することもなく自分の職に勤しみ、私は彼らに会う機会もありませんでした。しかしこの徳、情と愛は私の記憶に深く刻まれています。
 
そして五十年来私と志を一つにして歩いてきた古参の老委員たちは、私の志す四大志業である慈善、医療、教育、人文にとって欠かすことのできない人たちでした。もしも彼らの熱い支持がなかったら、今日の成功はなかったでしょう。四大志業にとって彼らの力は不可欠でした。
 
 
この度の行脚で会ったこの人たちは老いて変わり果て、その姿はまるで私の鏡のように見受けられました。そして、「誰々はどうして見えないの?」と聞くと「認知障害で人の見分けがつかなくなりました」「誰さんは?」「寝たきりになりました」と言う答えばかりでした。
 
時間は情け容赦なく過ぎ去ってゆきます。一年二回の行脚で会いたい人に会えない遺憾、会っても頭髪は白くなり、歩く時は人の手にすがり背中は丸くなっています。これが現在の私の弟子たちの姿です。当時は健康な壮年で私について歩いてくれましたが、しばらく見ないうちにどうしてこんな姿になってしまったのでしょう?
 
「今は誰と住んでいるの?」「一人でを気楽に暮らしています」「不便ではないの?」と聞くと「師姐、師兄たちが世話をしてくださいます」との返事が帰ってくる時には、私は法の同門たちの労りに感謝しました。子供たちの成長を親たちは望みながらも、進学のために異郷へ送り出し、どんなに可愛がっても帰って来るでしょうか? 他郷に縁があれば結婚して自分の家庭を築き、たまにしか帰ってこられません。息子は事業のために、妻は子供たちの世話に明け暮れ、そんな時やはり同門の温かい思いやりが必要です。
 
「私は慈済に入ってよかった。師兄師姐が世話して下さるから」と最近よく聞かれます。また「私が病気になった時、師兄が車で病院へ送ってくれて、入院の間は師姐たちが世話して下さって感謝しています」と。なんと親切に温かい交流でしょう。慈済は単なる道場でなく、同門の大家庭です。いつもこんなことを聞く度、心が温かく感謝に満ちます。
 

大道から法髄に入れば

誠の本性に帰り

日々精進すれば

慧命を成長させる

 
半世紀以来、慈済の慈善工作は地球半数の国々に及び、一粒一粒の慈悲の種をまいています。人は慈善を必要とするだけでなく、その上に庇護が必要です。「病気のために貧しくなる、あるいは貧しいために病気になる」ことがあります。貧を防ぐにはまず病を治さなければなりません。現在台湾の東部には三つの慈済病院があって、西部にも三つの慈済病院があります。私は医療スタッフ全員が心を一つにして、慈済の人文を喜んで受け入れていることに感謝し、常に自分は幸せ者であると喜んでいます。
 
教育の方面でも同じように、この大時代の環境のもとに慈済は依然として、優秀な教育品質を保っていることに感動しています。また、人文は善事を伝えると共に法を広める工具でもあります。現代のテクノロジーや大愛テレビを基礎として、精舎で行う「早朝の説法」はインターネットによって十カ国以上の地域へと流され、即時に仏法を伝えることができます。
 
この多忙な生活の中で、法が欠如しているように思われる今日に、無駄な日々を過ごすことは、私たちにとって遺憾なことです。しかし、よくよく思いますと、時は一分一秒も待ってはくれませんが、その実すべては「四諦法」から離れることはできません。
 
毎日多くの衆生に向き合って、苦とは己の「集」より来るものと伝えています。彼らに放下の方法を教え、「分かりましたか?」と聞けば、「はい、分かりました」という返事が返ってきます。しかし、ただ分かっただけでは足りず、「苦、集、滅、道」をさらに進めて身体で以て励み、「道」を実行しなければなりません。
 
 
もしも苦を消化しなければ、どうやって前へ進むことができるでしょうか? 多くの試練にあった時は、やはり感謝の気持ちをもって前進することが、仏に学ぶ仏法の心です。苦はもともと形がなく、つまりそれを超脱しなければなりません。手段を講じて他人を苦境から解き離した時、慈悲喜捨として当たり前と感じ、見返りを気にかけなければ、心に憂いはなく清々しいものです。
 
さらに進んで群衆の中に入り、広い心で、請われなくてもその師となって、助け、寄り添い、また多くの人を教え導き、世の様々な事を道理に合わせると、着実になることができます。
 
真如の本性に戻って、法髄を継続させると私たちの慧命は成長します。一日の始めにあたって、皆さんが真面目に「朝の説法」の時間を休みなく聴き、精進しますよう期待しています。
(慈済月刊六二三期より)
NO.263