慈濟傳播人文志業基金會
出発! ゴミ山の住民が スーパーに行く
今までゴミ捨て場で廃棄された日用品や残飯を拾って生活していた彼らゴミ山の住民にとって、
家族のためにスーパーに買い物に行くのは初めである。
愛の買い物券を手に握りしめ、
感動と喜びに溢れながら出発した。
 
モサンビークの首都マプト市郊外にあるゴミ山の崩壊事故の被災者を収容する避難所では、朝から拍手と歓声が聞こえた。この日、とうとう本当にスーパーに行くのだ。
 
 
ゴミ山が二月に崩壊してから、被災者は家族を含めて何もかも失い、避難センターに暮らしていた。慈済ボランティアは途絶えることなく彼らの世話を続け、何度もやって来て温かい食事と物資を提供した。四月十日、住民に買い物券を配付し、ボランティアは券の使用方法を説明した上、市内への買い物のためにバスを用意したが、被災者が集団で外出するには事前に政府に申請する必要があったため、延期になった。
 
「不満ではありませんか?」と聞くと、皆「NAO!(ポルトガル語で『いいえ』)と答えた。「あなたたちが感謝と尊敬と愛を教えてくれたから」という声が聞かれ、ボランティアたちは感動した。
 
被災者は慈済人を信じて忍耐強く待った。四月二十四日、ボランティアたちが再びやってきた。出発前夜、酒を買って酔っ払った夫が家庭をないがしろにした寸劇を見せて、買い物券を大切に使うことを教え、会場にいた女性たちから大きな反響が返ってきた。ボランティアは皆に「全世界の慈済人からの愛を込めたものだから、責任を持って、大切に使おう」と励ました。
 
皆が次々にバスに乗り、買い物券が入った封筒を強く握りしめ、歌声が外でも聞こえた。「慈済が災害発生後一日目から今に至るまで、愛で寄り添ってくれているほか、具体的な支援で家を再建する力を与えてくれた」と被災者のカルロス・ピントさんが言った。
 
マプト市中心にあるチャイナタウンのスーパーで、現地ボランティアがこの客人たちを出迎えた。さあ、買い物のスタートだ。
 
●ゴミ山の被災者たちは歌いながら、ボランティアの誘導でスーパーに入った。
 

希望を満載したショッピングカート

 
被災者たちは車を降りた後、歌って踊りながらスーパーに入って行った。気持ちは高ぶっていたが、先を争うことはなかった。十人から十五人が一組となって、ボランティアが同伴し、家庭毎に必要な家庭用品を買った。
 
皆、ショッピングカートを押したり、カゴを手にして、棚に近づいて商品を捜した。二カ月もテント住まいだったアメリコさんは、十三枚のトタン板を買うことにした。「いつ家を建てられるか分からないけれど、トタン板で取りあえず子供のために小さい家を建てたい」と言った。
 
買い物券は家族構成によって金額が異なり、日本円で八千円から一万二千円まで様々で、タバコと酒以外の各種の品物や建材を買うことができる。
 
以前、ゴミ捨て場で棄てられた物や残飯を拾って生活していた多くの住民にとって、家族のためにスーパーで買い物するのは初めてである。椅子や鍋、お碗、洗面器、清掃道具などを買った。精算した時、皆大喜びで、ボランティアたちに向かって、「慈済は約束したことを守ってくれます」と言った。
 
●グループに分かれて家庭毎に必要な物を買った。
 
七十一歳のロジタさんはゴミ山崩壊事故で自分と二人きりだった孫娘を亡くし、肉親を亡くした悲しみに陥った。彼女は、「慈済が我々に懐疑心から温もりのある触れ合いを取り戻させ、この世に戻してくれたことに感謝します。一番感動しているのは、慈済が一度も離れることなく、私たちの世話を続けていることです。上人は私たちに心と道徳的な糧を与え、ボランティアは毎日、美味しい菜食料理を持ってきてくれます」と言った。
 
ロジタさんは、「慈済は我々が最も必要としている蚊帳と毛布、バストイレ、清掃用品を提供してくれました。一番感動したのは買い物券で、再び生活に立ち向かう力を与えてくれました」と言った。
 

奉仕する機会を逃さない

 
レジの前で、二人のボランティアが中華系の店員と一枚一枚買い物券を数え、もう一組のボランティアは住民を品物を梱包する区域に誘導した。
 
現地の実業家、陳祥沢さんは、二台のトランクを無償で用意して、買い求めた物品を避難センターまたは、慈済会所の倉庫に運んでくれた。残しておいた使用済みのエコ毛布のダンボール箱が役に立った。ボランティアは丁寧に梱包し、搬送した。ダンボールに入っていたのは多くの家庭の希望である。
 
五十九歳のボランティア、マリアさんは、この二日間、給料の高いベビーシッターの仕事があったが、手伝いに来ることにした。「奉仕する機会は大切にしたいの。収入が減っても構わない」と言った。
 
●貧しい現地ボランティアは自分よりもっと苦しい被災者に梱包や搬入の支援をした。
 
包装チームのボランティアは一刻も休むことなく包装作業を続けた。事前に用意した各家庭の名札をつけて、防水テープを貼った。八十二歳のアマンドさんは、昼御飯を抜いてでも最後までやり終えると言った。ボランティアから「上人の言うことを聞いて健康に注意してください」という説得でやっと、午後四時過ぎにその日の第一食を摂った。
 
買い物する間、被災者とボランティアの間に暗黙の了解があり、非常に秩序正しかった。ボランティアは、心から愛で関心を寄せれば、愛のある善良な本性を啓発できることを深く体得した。二カ月間寄り添った結果、二○一五年初めにゴミ山を訪ねた時の住民の悲しみはもはや感じられなかった。
 
多くの被災者は積極的に竹筒貯金箱を持ち帰り、「ボランティアは感謝、尊重、愛を教えてくれました。将来、私もボランティアになりたい」とイザベルさんが言った。
 
●竹筒貯金箱を手にして楽しく歌い、踊った。
 
被災した百九十四世帯は、グループに分かれて、四月二十四日と二十五日の二日間にショッピングを終えた。事前の準備から最後の梱包まで、現地ボランティアは朝の四時過ぎに出発し、深夜に家に帰るまで忙しく働いた。災害の緊急支援は、買い物券によるショッピングで一段落し、次は毎週、野菜や果物を安置センターに届ける。
 

 

愛は身近にある

敬愛する上人様へ
 
マプト市にいる私たちは、台湾にいるあなたとこんなにも近いのですね! 私たちに生活を取り戻すことを教えてくれたことに大変感謝しています。今、私たちは「真の幸せ」を理解しました。「他人を愛して許し、盗みや略奪、殺生、うそをついてはいけない」と。あなたは私たちの習気を理解し、正しい道に導いてくださいました。
 
あなたの愛は私たちから離れたことはありません。聖なる主の御名の下に、真摯なる歌声であなたに感謝を捧げます。私たちが流したのは喜びの涙であり、あなたの支持と導きがあれば、もう悲しみや苦しみはありません。敬愛する上人様、我々の尽きない感謝の声を、聞き届けてくださいましたか。
 
私たちは家族や家を失くしましたが、慈済が携えてきた愛と慈悲に心より感謝しています。一番良い感謝の方法は、竹筒貯金の精神を広め、集めて、他の人を助けることです。あなたの教えを守ります。
 
                  あなたを敬愛するモサンビークの住民一同より
 
(慈済月刊六一九期より)
NO.263