慈濟傳播人文志業基金會
無言の良師 野原敏裕
一人の献体者のことを知ってほしいと思う。彼の名は野原敏裕、出身は日本の北海道である。野原さんは元来無神論者だったが、證厳法師の救済を行う姿と精神に深く感銘を受け、仕事の合間を縫って日本で慈済ボランティアに参加していた。日本在留台湾人の台湾帰国を支援したこともある。そして、命の最後には献体をして最愛の台湾に身を捧げたのである。
 
二○一二年九月、野原さんと息子の惇さんは、初めて手話による音楽劇「行願」のリハーサルに参加した。野原さんは毎週土曜日に仕事があり、なかなか練習に参加することができずにいたが、日曜日に日本支部を訪れ、六階で陳量達師兄から手ほどきを受けた。これが縁となり、ちょうど仕事も余裕がある頃だったので、思い切って東北地方に同行し「行願」の公演に参加することを決めたのだった。鑑真和尚の志を以て演じることで東北の人々を励ましたいと考えたのである。
 
 
野原敏裕さんは東北地方の「行願」公演に参加した。(真ん中に立つ左1)
 
二○一五年に退職したあとは妻の曾瓊慧と妻の故郷台湾の花蓮に定住し、リサイクル活動に熱心に参加した。毎日七時に自転車で資源回収所に出かけた。
 
ある日、慈済ボランティアが野原氏の自宅を訪問した。その日、彼は資源回収所で体の不調を感じ、ボランティアに手伝ってもらって病院へ行ったからである。検査の結果、悪性腫瘍があると分かったので、さっそく花蓮の慈済医学センターで診察するよう手配した。妻の曾さんは当時を思い出し、「医療スタッフの皆さんは優しい方ばかりでした。夫の気持ちを安らかにしようと気遣ってくださいました。ボランティアの方々の寄り添いにも助けられました。本当に言葉では言い尽くせないほど感謝しています」と話した。
 
病に伏したまま野原氏は往生した。享年六十四であった。そしてその体は献体により無言の良師となったのである。
 
息子の野原惇さんは妻とともに日本から式典に参加し、式の中で父を追悼してこう述べた。
 
「父は台湾をとても愛していました。今日その最後の願いが叶えられたことで、人生を円満に終えることができたのだと思っています」
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