慈濟傳播人文志業基金會
何故自腹を切って 時間をかけてまで奉仕するのか
住民は基本的な生活にも支障を来しているのに、どこに医師に掛かる余裕があるだろうか。
私たちにはその福田を耕す力があり、その幸福に感謝すると共に、台湾で生活できる幸せを大切にしよう。
 
この二年間に海外の施療活動に四回参加し、フィリピンからカンボジア、スリランカまで行った。異なるのは国と仕事仲間だったが、変わらないのは貧しさと病に苦しむ衆生と大勢の見返りを求めないボランティアだった。證厳法師はいつも私達に「苦難の多い世の中で奉仕するチャンスを逃さないこと」と諭している。
 
「どういう理由と原動力で自腹を切って時間をかけてまで、海外での施療に参加し、疲れも見せず楽しそうにしているのか」とよく聞かれる。私は「喜びが得られるからです」と答える。この類いの喜びは金銭では買えるものではなく、この法悦は形容し難い。
 
また、ある人はこう聞く。常時ではない施療でどれくらい地元の助けになっているのか、と。この問いかけは、私が大学時代に参加していた社会医療奉仕チームのことを思い起こさせた。多くのクラスメ―トが同じ疑惑を抱いていたが、幾度か討論した後で結論にたどり着いた。チームを消滅させることを目標にしようということだった。よく考えてみれば、その通りではなかろうか。施療は一つのプロセスに過ぎない。私達はただ「愛の種を蒔き、善の循環を導き出すだけなのだ」。そこから地元の人が賛同して参加し、最後には自分たちでその役割を担うのである。それも一種の伝承にならないだろうか!
 
台湾で医者に掛かるのはコンビニに行くように簡単にできる。しかし、施療を行うのはそのような場所ではなく、医療施設の不足に加え通うだけでも大変な困難が伴うのだ。フィリピンのダバオでは住民が前夜から学校の朝礼台に寝泊まりして、翌日午前の施療を待っていた。また、何キ口もの距離を何時間もかけて診察に来る人は数え切れないほどいる。今回の施療の機会を逃したら、次は何時になるか分からないことを知っているからだ。
 
 

国際慈済人医会

(TIMA,Tzuchi International Medical Association)
医者、看護師、医療技師、薬剤師、ボランディアなどで構成されている。2017年統計によると、全世界で18127人のメンバ―がおり、12の国地域に分布されている。
 
★台湾での奉仕項目:遠隔地と離島での施療、ホ―ムレスの施療、外国籍労働者の施療、慈済ケア世帯への配付と施療、地域での検診、及び心身障害者、遷延性意識障害者、老人ホームでの口腔ケア。
 
日常の基本的な生活のニーズを満たすのでさえも困難なのに、医療に使う余分なお金などあるはずがなく、耐え忍ぶしかないのだ。台湾に生きている私達は実に幸せであり、その幸せを大切にしなければならない。
 
施療する過程では、急性患者はすぐに処置できる。中でも外科、歯科などは直ぐに効果が目に見える。そして、特殊な病や高血圧、糖尿病等の慢性疾患は施療の機会に発見し、衛生教育をしたり、病院を紹介することもできる。
 
今回のスリランカの施療活動では、自分が高血圧や糖尿病であることを知らなかったり、嘗て薬を飲んでいたが、経済的な理由から薬を飲まなくなった患者が何人かいた。しかし、その後の状況は分からず、現地の医療環境と資源が次第に良くなり、住民たちがより良い医療ケアを受けられるようになることを願うだけである。
 
毎回の施療活動が順調に進むのも、黙々と奉仕してくれるボランティアたちがいるからである。それは準備作業として会場の下見や配置準備、診察の手伝いや通訳、食事やお茶の用意から活動を終えた後の後片付け、そして、映像や文章での記録係り等である。その舞台裏の英雄たちはいつも苦労を厭わず、舞台の上で私たちにスポットライトを当ててくれる。実に感謝に耐えない。
 
また特に、シンガポ―ル医療チ―ムがカンボジアとスリランカの施療活動を担ってくれたことに感謝したい。彼らの息の合った協力体制や行動力、実行力は賞賛に値し、見習うべきである。
 
●内科診察室で唐龍文医師(右)と台中慈済病院の傅進華医師はボランティアが通訳しながら患者を診察した。(撮影・王玲鳳)
 
修行とは群衆の中で行うもの、と證厳法師は常々言っている。人の社会の中で「縁を結んで心を修める」、「事の機会に心を鍛える」「随所で心を養う」のである。施療活動する中で、自分の心に注意し、慈悲心と優しい心、世俗を離れた心を培うのである。
 
福田の中でも、医療が一番の功德である。このような福を持って生れ、この福田を耕すことができることに感謝している。また、施療の機会に、人の苦を見て自身の幸せを知り、その幸せを大切にして、更に福を作るつもりである。ある人に「また海外の施療に参加しますか?」と聞かれた。健康と時間が許す限り、その縁があれば、絶対にチャンスを逃さず、引き続き参加するつもりだと答えた。(慈済月刊六二二期より)
NO.265