慈濟傳播人文志業基金會
スリランカ、我々は戻って来ました!
十四年前にインド洋でスマトラ島沖地震による津波が発生した後、慈済のボランティアが初めてスリランカに行き、支援を行い、被災者の涙を拭った。
 我々の復興支援が一段落した後、現地のボランティアが引き継いでくれた。毎日の訪問だけでなく、国際ボランティアの協力による大規模な施療を行うことで、遥か遠くに住む貧困者にまで希望を繋げた。
 
戻ってきたよ、会いたかった!」花蓮慈済病院の林欣栄院長は、スリランカ・ハンバントタ(Ham-bantota)にある国立慈済中学校の大きな広場に立ち、二階に向って叫びました。そこに彼が理解できない言葉で、元気一杯に話しかけている子供がいました。この時、彼は十四年前インド洋で津波が発生した後、悲しみにくれて泣き叫んでいた彼らの顔を思い出し、胸が一杯になりました。
 

スリランカ  慈済援助ファイル

カルタラ
2018年7月13~15日慈済がバトラリア区で11回目の大規模な施療を行った。
診察した患者数:内科1457人、歯科886人、眼科997人、漢方科546人、外科217人、合計4103人。

ハンバントタ
2004年インド洋大津波の被災地域で慈済が大規模な支援活動をした後、649戸の恒久住宅と中学校一棟を立てました。
その後現地ボランティアが引き継ぎ、現在ハンバントタとコロンボで慈善奉仕活動が行なわれている。
 
子供達は目の前に立っている自分の祖父ほどの歳の見たことのない人が実は、二〇〇四年十二月の津波発生からわずか五日後に医療チームを率い、この無残にも海水に破壊された土地に足を踏み入れていたことは知りませんでした。
当時、医療チームが現地に持ち込んだのは、現地住民が最も必要としていた医療だけでなく、尽きることのない大愛と慈悲の心でした。
 

津波が人生を変えた

 
二〇一八年七月、台湾の慈済人医会は去年に引き続き、シンガポールの慈済チームと組んで、スリランカで初めて大規模な施療を行ないました。
  
出発する前、林欣栄院長は、ハンバントタの大愛村にいる住民が今でも元気かどうかを見に行きたいと願っていたのですが、それがまるで證厳法師に聞こえたかのように、皆で大愛村と慈済中学で勉強している子供たちに会ってくるようにと薦められました。
 
證厳法師は院長の気持ちを察したと言うよりも子弟同心でおられたのでしょう。この十四年間、スリランカ南部の傷ついた土地は今では草木が茂って生気に溢れ、赤レンガの大愛の家は住民が大切に住んでいました。そして、経済的に余裕のある家は別荘のように快適に作り直していました。
 
慈済中学校の生徒は、大勢の人を目にすると大きな丸い目を見開いて二階に駆け込む子もいれば、女の子達は恥ずかしそうにしてカメラに映らないように木の後ろに隠れていました。
 
●シンガポールの医師である林文豪さん(左から2番目)は同郷の隣人を連れて花蓮慈済病院の林欣栄院長(右から1番目)を訪れ、診断の協力を仰いだ。林欣栄院長は彼女に指を動かしてみるよう言った。(撮影・陳麗雪)
 
着任してまだ五ヶ月のラリサ校長(W.K. Lalitha)は親切に対応してくれました。着任前に慈済学校は大学のように設備が整っていると聞いていたそうで「證厳法師の慈悲に満たされた慈済中学校は他の国立学校と違ってました。サッカーチームとバスケットボールチームなどの運動チームがあり、ダンス、音楽と芸術などの授業もあります」それから、「今日は一人の生徒が美術コンクールで優勝したのです」と教えてくれました。
 
スリランカには二十五の行政地区があり、ハンバントタの教育水準は二十五地区の中で一位なのだそうです。ハンバントタにある七箇所の国立学校の中で慈済中学校の進学率は二番目で、現在は千三百人以上の生徒を募集しています。学年は六年生から十三年生まであり、即ち台湾の小学校六年生から高校三年生までです。
 
医療チームは引き続き大愛村でインタービューを行い、アノジャ(Anoja)という女性社長の家を訪ねました。一戸建ての住居で屋内は広いとは言えせんが、夫婦と五人の子供には十分です。主人は家をきれいに掃除しています。小さい庭には小さい盆栽が置いてあり、四人の娘が果物を切って、みんなをもてなしてくれました。
 
アノカさんは当時の事を思い出し、涙を流しながら話してくれました。津波が襲って来た時、二階立ての家は一瞬にして無くなり、全てを失なってしまった後、慈済ボランティアが米や日常生活用品、寝具とブランケットなどを持ってきてくれたのだそうです。
 
●台湾の医療チームは国立慈済中学校を訪ね、子供たちから盛大な歓迎を受けた。2004年12月26日の大きな津波によって、インドの東南にある島国のスリランカでは3万人以上の人が被災したため、慈済は災害支援に取り組み、恒久住宅と学校を建てた。(撮影・陳麗雪)
 
アノカさんは娘に慈済が配付してくれたブルーのブランケットを持ってこさせました。穴が開いていましたが、慈済ボランティアが届けてくれた愛と温もりが確かにこの家に残っている証として今も大事に保管しているそうです。敬虔な仏教徒のアノカさんは募金を集めて仏堂を建て、村民がいつでも礼拝できるようにしました。
 
アノカさんのご主人は配管の仕事をしており、毎日、自転車に乗って十分の距離にある会社へ行きます。彼は自分の膝を指しながら、痛いから明日は無料診療に行ってお医者さんに見てもらうと言いました。同行した漢方医師はそれを聞くと、直ちに針を取り出し、しゃがんで彼に針治療を施しました。台中慈済病院の漢方医である鄭宜哲医師は湿布を取り出して、アノカさんにご主人の痛い箇所に貼るように教えました。
 
今回村民の治療のために、鄭宜哲医師が二千本、蔡三郎医師が八百本の針を用意して来ました。鄭宜哲医師は、慈済病院の漢方医としていつも家庭訪問をしています。漢方薬は持ち運びしにくいのですが針や電気療法で体の痛みを短時間に治療することができると語ってくれました。
 
林欣栄院長は子供たちの暮らしがよくなっているのを見て、「インド洋大津波に襲われたこの地域は、證厳法師の智慧によって危機を福に転ずることが出来ました。災害の後は何にも残されていませんが、短い十数年の間にそれぞれの家庭が、楽しく幸せを取り戻せたことに明るい希望が見えました」と喜びを隠せない様子で語ってくれました。
 
●17人もの歯医者が診療しても、待っている人数は相変わらず多い。ボランティア達は衛生教育も行う。バトラリア地区の病院職員が全力でサポートし、ボランティアは2日間で歯科、内科、漢方科、手術室とメガネ調整区域を準備した。(撮影・李明慧)
 
国立慈済中学校の子供達は明るく活発で、礼儀正しく、服装もきちんとしていることに林欣栄院長は大変感心し「これは教育の希望で、この世代だけでなく、これからの世代にも影響を与えることでしょう。これも證厳法師が言われたことを聞き入れ、慈善、医療、教育と人文を目標として絶えず前進しているからです」
 

医者が落ち込むとき

 
七月十三日、シンガポールチームは率先してスリランカの西部にあるカルタラ区(Kalutara)に着き、バドラリア地域病院(Baduraliya Divisional Hospital)で施療を行ないました。七月十四日には台湾チームが到着しました。
 
バドラリア町は郊外にあり、海抜は二十七メートルで気候が乾燥しています。起伏がある地形のため農耕に適した土地は多くありません。住民はゴム園または茶園で働き、僅かな給料で生活しています。二〇一七年五月に続いた豪雨が、カルタラ区に洪水と土砂災害をもたらし、慈済は配付活動を行いました。もともと貧困の住民は医療費を払えないため、病気に苛まれていました。
 
施療を頼って来た人は長い列を作りましたが、誰も騒いだり、文句を言う人は居ませんでした。ただ深く澄んだ明るい瞳で恥ずかしそうな笑顔を浮かべるだけでした。
 
千人以上の人がこれほど静かに順序よく並んでいたことに多くの医者は驚きました。それは仏教のお国柄でしょうか、それとも貧困の中に分別を学んでいたからかと思われます。施療活動のオープニングセレモニーに、近くにある寺院のダンバラ(Bante Dampada)法師は住民を伴って、施療活動のために祈りを捧げました。彼は皆に体を大事にしてほしいと願うと同時に、「安心して待ち、秩序を守るように」と声を掛けていました。
 
●住民は検眼を受けた後、自分に合うフレームを選ぶ時、ボランティアが好きなものを選ぶ手伝いをした。(撮影・黄瓋瑩)
 
施療は外科(小規模手術)、内科、漢方、歯科、眼科が開設され、それぞれの科で屋内から廊下の外まで列が続いていたが、それでも人は増え続けました。
 
六十七歳のマニピン(S Munipeme)さんは、背中に十センチの筋腫瘍ができ、この二十年間、仰向けになって寝ることができませんでしたが、今回の施療で切除してもらいやっと楽になりました。
 
マニピンさんは手術後薬を取り換えるために戻ってきました。シンガポール人の看護婦である王秋鳳さんは椅子を持ってきて階段の脇に座らせ、少しずつ彼の痩せた背中から包帯を解き、ガーゼを剥がしました。
 
林欣栄院長は六十一歳の婦人に、顔にある葡萄の粒のような疣を取り除きました。「イボは面倒なものです。切ってもまたできてしまうから、根元から取り除きましょう。そうしなければ毎日主人と子供や友人に見つめられては気分が悪いでしょうから」林欣栄院長は笑顔を絶やさず、次々と手術をこなして昼近くになりました。それでもまだ看護婦に連れられてきた患者を見ると、「大丈夫」と言って診察を続けました。
 
三日間の施療で患者から質問を受けると、ボランティアはすぐ「林院長はどこですか?」と呼びます。シンガポール人のボランティアが一人のお婆さんを連れてきました。林欣栄院長は右足、左足、右手、左手と次々に上げさせましたが、全て問題ありませんでした。しかし立ち上がると、全身が震えて立っていられなくなるのですが、座ると震えは止まりました。林院長は脳の退化とドーパミンの欠如による症状だと判断し、処方を出しました。しかし薬を飲ませたものの、効果は一時的なものでしかありません。
 
●10名の漢方医師が3日間で500名の患者を診た。シンガポールの先発隊には雑役、交通、電気水道、調理、生活、人文撮影記録などのチームが含まれ、豊富な経験で手際よく万全に施療の準備を整えた。(撮影・王鈴鳳)
 
そういう時、大医王でも挫折を覚えるものです。三日間の施療は慌しく、応急処置しかできません。彼はどうしようもない空しさに襲われました。台中慈済病院神経内科の傅進華医師は、一人の住民がヘルニアにかかり、手術が必要だとの報告を受けて、難色を示しました。手術代は患者にはとても負担できないからです。こんな患者は一人だけではありません。
 
住民の中には病気を治してくれることを期待して、約十二キロを歩いてきた人もいれば、二、三時間車に乗ってきた人もいて、皆遠方からやって来るのです。しかし、診察をした傅進華医師は更に挫折を感じました。現場では大型医療機器が不足していて、症状の重い患者は、根本的な治療ができないからです。
 
彼は、「自分の存在がすごく小さく感じられましたが、尽力しています。同じ地球上での生活に、こんなに大きな差があろうとは、私たちは自分の幸せを大切にしなければなりません。人の力は限られていますが、多くの人の力が結集して大衆の志が城となれば世間の苦難は減少します」と話してくれました。
 

奉仕から学ぶこと

 
それぞれの窓口の医療メンバーは忙しくて昼食を取る時間もありません。初めて国際施療活動に参加した張天騰薬剤師は、「一日でこんなにたくさんの薬を出したのは初めてです。千八百人分以上も出しました。しかしこれは初めてですが、最後ではないと思います」と語りました。
 
スリランカはイギリスに支配されていたため、英語は普段でも使われる言葉です。しかし田舎ではシンハラ語(Sinhala)が主に使われています。そのため、施療の時は医学院の学生が通訳してくれます。
 
国立コロンボ大学看護師学部のアレクサンダー(Alexander)さんは、「医者の問診から患者の体の状態を知ることは、将来正式に看護師になるために大変役に立ちます」と言いました。
 
コロンボ大学の伝統医療研究所(University of Colombo Institute of Indigenous Medicine)の学生十名が三日間通訳をしてくれました。スリランカの伝統療法を学んでいる彼らは漢方医の優れたアシスタントとなりました。彼らは刮痧、カッピング、灸、針などの療法を、謙虚な態度で学んでいました。
 
ナンディシャ(Nadee-sha)さんは、「初めて針を打った時、一気に抜いたため、患者は気分が悪くなりました。今は針をゆっくり回しながら抜くようにしているので患者は痛みを殆ど感じません」と言いました。初めて漢方療法に接したナンディシャさんは練習をしながら、医者が患者に対して謙虚な態度と愛で接しているのを目の当たりにしました。彼女は、「医者は技術だけではなく、患者の心も理解しなければなりませんね」と言いました。
 

施療は一回のみならず

 
三日間の施療で四千百三人を診察し、予想した三千八百人を上回りました。皆の喜びは言葉では言い表せません。カルタラ地区の衛生サービス監督であるラナヤカ医師(Dr. Udaya Isaac Rathnayake)は、「私は皆さんがバドラリアのような極めて貧困な住民に我を忘れて奉仕しているのを見て、多くのことを学びました。それから仏教と慈済の精神をより理解できました。今から證厳法師に誓いを立てます:これからベジタリアンになります」と表明しました。彼の情熱的な発願は人々の心を動かし、熱烈な拍手を引き起こしました。
 
歯科の施療に父親と娘、母親と娘の二組が訪れました。慈済シンガポールの羅佩玲医師は、普段は医療の仕事に忙しく、子供と一緒にいる時間があまりないため、今回は特別に娘を同行させたのだそうです。「おかげで娘に母親が一体どんなことをしているのかを見せる良いチャンスになりました」と話してくれました。
 
●住民が受ける小さい手術はほとんど脂肪腫、皮脂腺腫、腱腫などの摘出である。シンガポールのチームは手術室からできるだけの設備、止血ナイフやエアコン、遮光設備等を運んだ。(撮影・郭静儀)
 
慈済台中病院の漢方部の鄭宜哲医師は、「我々が一年一度に来るだけで一体何の意味があるのか?」と初めは疑問に思いました。手が痺れた患者の針灸の治療をして手が高く上げられるようになったその時、通訳をしてくれた医学生が「Amazing!」と讃えてくれました。
 
それを聞いて、鄭宜哲さんは、通訳の学生達は英語もでき、現地にとって一番有能の人たちだと思いました。台湾チームに、「彼らにも任務を与えて、卒業した後には、現地の住民達を助けるよう教えるべきです。それこそ我々が此処に来た重要な目的なのです。愛を広めていきましょう」と言いました。
 
●病院の入り口に張ったテントの待合室で、ボランティアは住民と触れ合いの場を持った。カルタラ地区は町から遠く、付近の一番大きい病院は28キロ離れている。慈済は施療を行なった最初の慈善団体で、集まった住民達の長年の病気の苦痛を取り除くことに尽力した。(撮影・黄瓋瑩)
 
そして鄭宜哲医師は大きな声で、「愛は見えない言葉であり、愛は触れることのできない感覚です。愛は我々の小さな望みです。皆さんのために永遠の平安と幸せを祈っています」と歌いました。彼は周りの医学学生達に、ネットで慈済のことを調べることを勧めました。自分のフェースブックにも書き込みました。「我々の施療は一回限りではありません。皆さん一人一人は先を切り開き、後を啓発していく重要な人です。善の種を心に撒き、愛が芽生えるように大きく育てていきましょう」と
今回の施療を通じて、善の種が医療スタッフの心に深く撒かれたはずです。彼らが現地の住民の世話をし、愛の流れをこの信心深い仏教国家で広めていってくれるでしょう。チームは連絡用のネットグループ名を「スリランカ、また会おう!」に変えました。
(慈済月刊六二二期より)
 
NO.265