慈濟傳播人文志業基金會
清浄心で以て人心を清める
清らかな心で以て世間の音を聞き、世の事を見る。
雑音を濾過すると、一句一句が妙法になる。
達観でき、先を見通せれば、煩悩はなくなり、智慧が増す。
時は流れ去り、冬に入ると、瞬く間に新年を迎えます。過ぎた日々を反省してみると、どれだけの道業を成就させ、聞いた法を理解したでしょうか。この先、今以上に警戒して、心して生活し、一年が過ぎて、寿命が一歳縮まっても、慧命が成長するよう願うのです。
 
天地は萬物を育み、様々な領域の人々が大衆の生活を満たしてくれています。もしもそれをただ享受するだけで、物資を消耗し、何も奉仕せず、時を無駄に過ごして、何もしなければ、この世に対して借りを作ることに他なりません。
 
良い事であれば、直ぐに応えるべきであり、老いて病に苦しみ、心身共にままならなくなって、すべてが不自由になるのを待っていてはいけません。眼、耳、鼻、舌、身、意の六根が完全に揃っていることに、日々感謝し、さらに健全な体を大切に善用して人々に奉仕すべきです。
 
法を聞いた後は心で理解できれば、それを日常生活に応用するのです。悟りの法で世間の音を聴けば、雑音を濾過することができ、一句一句が妙法になるのです。悪言悪語を善に解釈し、相手が与えてくれた警鐘に感謝するのです。絶えない争いは災いを引き起こします。口は是々非々を言うのではなく、説法と伝法をするのです。慧眼を開いて世間を見渡せば、道理を分析し、達観して先を見通せ、人や事、世とも争わず、煩悩をなくすことができるのです。
 
執着したものの形や色を取り除き、汚濁を清め、清らかな眼や心で以て、あらゆる衆生の苦相、この世の生態を見るのが菩薩の見方です。
 
六根をしっかり守り、世間の人、事、物による影響で心が動かされて無明が増長されないようにすると共に、善根を培って着実に他人を利さなければなりません。立ち振る舞いの動静の中に修行の本質が表われれば、自然に人々を導いて一緒に善行を成すことができます。
 

全身全霊で一切の善行を行い、

足るを知って憂いなく、

安らかにして多くを求めない、

これが清らかな修行である。

 
十月二十六日から二十八日に、慈済南アフリカ支部でアフリカ南部の現地ボランティア幹部研修会が開かれ、南アフリカ、レソト、ジンバブエ、スワジランド、モザンビーク、ボツワナ、ナミピア及びマラウイの八か国、二百四十人が一同に集まりました。
 
ボランティアは南アフリカ各地やアフリカ各国から遠路ヨハネスブルグに来ましたが、中でもマラウイは二千四百キロメートルも離れています。現地ボランティアは飛行機の切符を買うお金を持っているとは限りませんので、お互いに助け合ってやっと精進の講座に参加しているのです。それは容易なことではありません。台湾とアメリカの慈済人も交流し、貧しくても楽しく仏道に精進している現地ボランティアたちに、富める菩薩の姿が現れていました。
 
二十年以上も、アフリカで困難な菩薩道を切り開いて来た中、古参ボランティアは様々な困難を乗り越えて、数多くの現地ボランティアを導いて来ました。彼女たちはブルーのシャツに白のスカート姿で、山間や田舎に出かけて貧困者や病気の人を訪ね、台湾の慈済ボランティアのように環境の清掃から入浴まで手伝っています。
 
彼女たちは歩きながら歌を唄い、どんなに交通が不便な所でも屈することはなく、絶対に「もう登れない」とは言いません。彼女たちは人助けのできる丈夫な足を持っていると自負しています。この清らかな本性が故に人々に善行を呼びかけ、一本の小道から大道を切り開きました。
 
 
モサンビークの「慈済の家」はボランティアが綺麗に環境整備をして、整然とした野菜畑は農薬を使用していません。ござを編むためのアシは刈り取った後、地面に並べて乾燥させます。また、台湾からの支援米の使用済みPP袋は割いて解した糸でござを縛れば、きれいにしっかりした束が出来上がります。そして、それをインドネシア地震災害支援のためのチャリティーバザーに出すのです。彼らは貧しくても慈善活動では他に引けをとりません。
 
彼らの厨房には壁がなく、数人で千人分の食事を作ります。そこは慈済道場の中でも最大規模のものに属するでしょう。また、その道場は無限に大きく、どんなに大人数でも椅子を運ぶ必要はなく、皆、地べたに座ります。毎月一回から二回、精進する日があり、数百人が砂地の上で礼拝すると共に地面に座って勉強しており、とても自在です。彼女らの白いパンツが汚れているのを見たことがなく、清らかな心を感じ取ることができます。
 
全地域には三千人余りの現地ボランティアが志業に投入し仕事をしていますが、彼女らの仕事ぶりは、勤勉できびきびとして智慧もあります。彼女らは簡単な法を吸収して、それを徹底的に応用しています。
 
台湾のボランティアは、アフリカ現地のボランティアと話しをしていても、一言も恨み言を聞いたことがない上に、自分たちに何か欠如していると思ってもおらず、何時も笑顔を浮かべています。心に障害がなく、足ることを知って憂いなく、安らかで楽しく何も求めない彼女たちはまるで天国にいるようです。
 
彼女らは全身全霊であらゆる善行を行い、頭に浮かぶのは如何にして人を利するかです。生活の中にあるのは善法、善行と清らかな修行のみです。彼らの精進を見ていると感動させられ、もっと勇敢にならなければと思ってしまいます。真の富とは物資の多さにあるのではなく、少欲にして足るを知ることだと分かるのです。皆さん、心しましょう。
(慈済月刊六二五期より)
NO.265