慈濟傳播人文志業基金會
寄り添いケアは 家庭訪問から始まる
家庭の事情はそれぞれだが、
生活費、医療費、学費などは全て貧しい家庭にとっての難題である。
慈済のボランティアは長期にわたって寄り添うだけではなく、
生活の一助となって、
学齢期の子供が大切な勉学の道を順調に歩めるよう支援している。
 
「家計を支える大黒柱を無くしたために子供まで教育の機会を失うことは、その家庭だけの問題ではなく将来の社会問題にもなりかねません」慈済の草創期から證嚴法師は、特に貧しい家庭の子供達の教育問題を重視してこられた。
 
一九六十年代から七十年代にかけて慈済ボランティアは貧しい家庭を支援してきた。生活費、学費の問題を解決するだけでなく、子供達がプライドを持って快く通学できるようにと、当時では最高級の素材である「テトロン生地の学生服」を支給した。
 
近年台湾は物質面で豊かになり、貧しい家庭の子供達でも破れた服を着ることはなくなった。しかし、一見何とか家計をやり繰りしていても依然として各家庭が各々の事情を抱えており、生活費、医療費、子供の学費など全てが難題になっている。
 
慈済の各支部や事務所は、通報を受けると直ちにボランティアを動員し、支援を必要とする家庭を訪問する。そして状況を見計らって、経済面と物質面、そして社会面でも支援する。熱心なボランティアは主に経済面を担当し、その家庭の子供が大切な勉学の道を着実に歩めるように寄り添う。
 
●三重(新北市三重区)慈済ボランティアは一家の大黒柱を事故でなくした遺族の家計を心配し、音楽学部の学生である呉スー(中央、黒い着衣)と母親(右)の家庭を何度も訪問した。

簡単に学業を放棄したくない

 
「いつから風邪を引いていましたか?」「月曜日あたりでした」「鼻水は出ていますか」呉スー(馬へんに肅)の声が変だと気づいたボランティアの孫美琴が慌てて尋ねた。
 
「彼は食生活が不規則なのです。夜の九時、十時に帰宅してから夕食を食べるのだそうです」毎日バイクで三重区から陽明山の学校に通学することに触れるとスーの母親は心が痛んだようで、少し前に亡くなった夫のことも思い出してまた悲しくなったようだった。
 
音楽やオーディオに興味を持っていたご主人は趣味を仕事にし、オーディオ販売店を開業していた。スーは小さい頃から父親の影響を受けて、音楽に興味を持ち始めた。その後、商売が思うようにいかなくなり、ご主人は店を畳み、自宅で中古オーディオの売買や修理をするようになった。収入は先細り不安定な上に、母親は網膜症を患い、視力に障害を持つようになった。また家も持家ではなく借家だったので、低所得世帯になった。 高い音楽教室に通えなくても、父親からプレゼントされたキーボードを独学で練習し、スーは学科と実技のテストに合格、音楽学部に入学した。その後も優秀な成績と数々の賞で先生達に認められた。
 
二〇一八年六月下旬、父親は交通事故で亡くなった。母親とスーが途方に暮れていたその時、「恩師が自ら願い出て」支援の手を差し伸べた。「スーの中学時代の教師はかねてから彼の家族と親しくしてきました。彼が父親を事故で亡くしたことを知り、慈済に連絡してくれたのです」その後、孫美琴、張玉環などのボランティアが速やかに家庭訪問をした。
 
母親の視力が悪かったため、人が訪ねてくる時はいつも父親が側に寄り添い手を握ってあげることで安心感を与えていたのだが、今では彼が母親に寄り添うようになった。大学二年生の彼がこれだけの思いやりを持っていることに、ボランティア達は感動させられた。
 
「この子はまた十九歳なのに、大人のようにしっかりしています。彼は父親が突然いなくなったことで気力をなくしたり将来を見失ったりしませんでした。むしろ、悲しみを胸に収め、母親と妹の支えになっていました」と孫美琴が付け加えた。父親が亡くなった後、スーは家業を継いで得意先のオーディオの修理を請け負ったり、父親が残したオーディオを処分したりしながら、家計を助ける為に、休みの日にはパーカッションのインストラクターのアルバイトをしている。彼は優秀な学業成績と音楽パフォーマンスで二〇一八年の新芽奨学金の「学業部門賞」を受賞した。
 
 
「受賞当日のことなのだけど、アフリカ・ドラムのパフォーマンスをしてから、あなた自身の体験を皆に話してほしいのです」と張玉環は話しかけた。三重区の慈済新芽奨学金の表彰式当日、スーに「品格の模範」としてステージに上がって学生達を励ましてほしいと考えていたのだ。「大丈夫です」とスーは答えた。
 
父親が事故死した後、低所得世帯ということで賠償金と学費の減免があった為、短期的には生活と就学には問題がなかった。「また来ますから貴方がちゃんと卒業し就職して、家庭を守れるようになることを願っています」と張玉環がスーに話した。
 
大学や高校に進学している貧しい家庭の子供にとって、学費と下宿の生活費は重い負担になっている。子供達が学業を諦めないように、ボランティアは家庭訪問の際、この点について特に気を配っている。
 
「二〇〇八年リーマン・ショックの時、慈済は子供達が安心して就学できるように必要に応じて全額の奨学金を出す計画がありました」「この前のケースがそうでしたから、スーも高校生の時から一学期の授業料一万五千元を慈済がずっと肩代わりしてきました。今ではもう大学三年生ですよ!」と張玉環が説明した。
 
●慈済の三重静思堂で行った奨学金の贈与式で、呉スーはアフリカ・ドラムを披露した。

無料の補習授業で「学力を補う」

 
大学、高校の高額な学費と対照に小中学校では、学費は政府が負担する上に一般の雇用主は十六才以下の子供を雇用しないため、貧しい家庭の子供達が「貧しさで教育の機会を喪失」「アルバイトで勉強が遅れる」などの状況はそう顕著ではない。むしろ、放課後の団らんの欠如が心配される。
 
文字の読めない祖父母や中国語の分からない外国籍の母親だと子供の学業を指導することはできない。力仕事に従事している多くの親達は収入が多くないために働く時間が長く、子供が外で遊び放題になったり、スマホに取り憑かれて家に閉じこもっていることは良くないと知っていても一緒にいてあげる時間がなく、放課後のサークル活動に参加させるお金の余裕もない場合がある。現状を変えるのも難しさがあるようだ。
 
慈済は台北、新北、台中、台南、花蓮、台東など十の県と市に二十七ヶ所の無料補習クラスを設け、在宅支援世帯と長期支援世帯の子供達の「学力を補う」活動をしている。
 
中でも、台東慈済新芽補習クラスはとても特色がある。毎週土曜日の朝、子供達が登校して最初にするのは、教科書や宿題を出すことではなく、ボランティア達が用意した朝食を食べること。授業の後も昼食をすませてから家に返している。
 
「この子達の親は複数の仕事を掛け持ちしないといけないのです。土曜日も出勤しているので、休みは日曜日だけです」と慈済教師会の李岳青教喩が言う。子供達は平日は学校の給食があるが、土曜日は両親も祖父母も仕事があるので、昼ご飯の用意ができない。補習クラスにくれば、食事の面倒をみてあげられるので、祖母が孫に「行きなさい、行かないと食べるものがありませんよ」と勧めているそうだ。
 
「古きをたずねて新しきを知る」と言われるように補習の重点は復習と予習にある。学校の宿題をやり、できない所があれば習得する。宿題を指導する先生や慈青は子供達を学年ごとにクループ分けし、指導に当たる。
 
「教えて!」と小さい女の子が大学生のお姉ちゃんに問題を解いてもらおうとした。お姉ちゃんはまず自分でトライしてみるよう励した。「効果の効……君は短く書き過ぎてない?大丈夫?」隣の教室では小学の教師である張福松が学生の誤字を指摘し、書き直しするよう指示していた。
 
一時間の宿題指導を受けた後、子供達は別の教室に移り、英語の勉強を始めた。アメリカから帰国したボランティアの後に続いて英訳した静思語を朗読する。「いいことを話すSpeak kind words!いいことを思うThink good……」
 
補習授業の時間は長くないが、投入する時間とマンパワーは少なくない。土曜日に補習授業をする場合、台東大学の慈青部(註一)は前週末から予定を申請し、木曜日の午後五時前に参加できる部員の名簿を提出するのだと窓口を担当する張福松先生が教えてくれた。
 
(註一 慈青部:慈青のサークル)
 
宿題を指導する大学生のほか、授業に参加する小中学生の人数、そして送迎が必要な生徒数、食事をする人数などを確認し、地域のボランティアに知らせている。「木曜日の午後までに知らせないと、用意が間に合いません」。
 
土曜日の早朝、ほかの学生がまだ熟睡している時間に慈青達は集合し、彼らを知本キャンパスから台東市内にある精思堂へ送迎するボランティアを待つ。
 
「学生寮にいてもスマホで暇をつぶすだけなので、もっと有意義なことをした方がマシ」と台東大学の慈青隊員傅詞源が言った。朝七時に起きてから、補習授業を終えて学校に戻るのは午後二時。「活動時間」は短くないが彼は疲れを感じない。「私は高雄の実家に帰っている時を除き、毎週子供達の相手をしています。もう、三年間も続けています」
 
週一回だけの補習では確かに子供達の成績を飛躍的に向上させることは不可能だが、彼らの体、智能そして心の養分を補うだけでも努力に値する。
 
「これによって、彼らがもっと対人関係に信頼感を持ち、社会に忘れられていないことを分かってくれれば、私はこの子達にとって少しは助けになれたのではないかと思います」と李岳青教諭が言う。助けを受けた子供たちも期待を裏切ることはなかった。
 
小学校三年の時からボランティアの補習授業を受けていた男の子はもう中学校三年生だ。彼は教師や慈青から指導を受け続けると同時に「クラス委員」、「サービス委員」に選ばれ、先生や慈青が教室の飾り付けをするのを手伝っている。
 
「長い間、私は彼が自分から来てくれること、来て他人のために何かすることを最大の報いに思っています」と李岳青が言った。
 
●教育資金に欠けている貧しい家庭の子供達を助ける為に、台東の慈済ボランティアは慈済教師会(註二)、慈青(註三)などの人的資源を活用し、補習授業を始めた。そこでは、アメリカから帰国したボランティアが英語の授業をしている。
(註二 教師会:慈済の観念を教育に取り入れ教えている教師の集まり)
(註三 慈青:大学・専門学校の慈済サークルに入っている学生)

保護者は安心、子供は大喜び

 
ボランティアは、席に座ったままの補習授業だけではなく、体を十分動かせる時間を用意した。貧しい家庭の子女を各地域の「慈済青少年バスケットチーム」に招き入れた。
 
今、台湾全土に十八のチームがあるが、今学期の板橋チームには九十三名の部員がいる。その大半は一般家庭の子供だが、慈済が支援している家庭の子供は少ないながらも入っている。皆が同じユニフォームを着て誇りを持って戦う時は、身分と出身の区別もなく、全員の心が一つのチームに溶け込んでいた。
 
「ここには慈済のボランティアがいるので、子供が非行に走る心配はありません」と選手の保護者である阿明は慈済を信用する理由を述べた。阿明は重度の脊髄性小児麻痺に侵され、移動は車椅子に頼らざるをえない。数年前に彼の事情は慈済に報告されたが、阿明は慈済からの金銭的な助けを拒んだ。しかし、定期的な家庭訪問を受け入れ、当時はまだ小学生だった息子をバスケット・チームに入れた。あっという間に六年が過ぎ、その子はもう高校一年生である。
 
「コーチは熱心で、色々なプレーのテクニックを教えてくれます。他の場所では一人で練習するしかありません」
 
一人息子が慈済に見守られ、バスケットで体を鍛えるのを、とても安心して見ていられると阿明はいう。長い間慈済の支援を受けてきた祖母も、小学四年生の孫が慈済バスケットチームに参加してから見違えるように変わり、「半年前からここでプレーしています。以前は背が低かったのですが、今は背が伸び、健康になりました」と言った。
 
板橋の慈済バスケットチームの総責任者であるボランティアの呂福堯はこう語る。板橋のチームは毎週末朝江翠中学校のスポーツ・センターで練習している。コーチはキャセイ女子バスケッケ部の元コーチで、他にもプロ選手数名にお願いしているが、その全員が無償で奉仕している。慈済人医会(註四)のボランティアもコートのそばで待機し、トレーナー役を努めている。
 
「運動で汗を流すと、新陳代謝を促進するだけでなく、気持ちを落ち着かせる効果もあります」「我々は子供達に付き添い、その成長を見るだけで楽しいものです」と柔道を学んだことのある呂福堯がボランティア達の奉仕を肯定し、歓迎しながら言った。
 
 
●慈済青少年バスケ・ファミリーは幅広く大衆の参加を呼び掛け、家庭の背景を問わず、子供達はコーチについて学び、体を鍛えている。
(註四 慈済人医会:慈済の医療人員によるボランティア団体)

                      ●

少子化・高齢化の進行が著しい二十一世紀、子供一人一人が担う責任は今の中・壮年よりも格段に重い。
 
慈済の低所得家庭に対する教育支援は、幼稚園から大学院まで幅広くカバーしているが、各種教育支援、学費補助とサークル活動のアレンジなどを通して目指しているのは、都市と農村の地域格差を縮め、教育資金を補うことと、子供達が順調に学業を終了し、自立して、思いやりという美徳を備え、国家社会に貢献できる人材に育つことである。
 
長年の努力の結果、喜ばしい成果が得られている。慈済ボランティア達はこの縁を惜しみながら、各方面からの援助を活用し、もっと多くの子供が苦境から離脱できるよう手を差し伸べ、指導を続けながら見守っている。
(慈済月刊六二六期より)
 
NO.267