慈濟傳播人文志業基金會
貧困から抜け出す希望
「もし方向がずれていたら、どんなに富裕の家庭でも優秀な子供を輩出することはできません。自愛する子供であれば、どんなに貧困な家庭で育っても希望はあります」。證厳法師は常に、貧困家庭の子供に救いの手を差し伸べるということは、風に吹かれて痩せた土地に落ちたタンポポでも、芽を出し逞しく成長することに喩えられると諭す。
 
慈済ボランティアは慈善訪問ケアの過程でよく多くの子供が学習方面において優秀な素質を持っていることを発見している。家庭の経済状況が良くないために、親に負担を掛けまいと思って、学業を疎かにしてアルバイトをする子供がいる一方、勉強も運動能力も特に優れた点がない上に才能を発展させようとする志と勇気に欠けている者もいる。
 
教育は貧困から抜け出す道であり、貧困家庭の子女は教育を受け、基本学歴があって初めて、収入の安定した職業に就くことができ、さらに家計を助けることができるのである。また教育は社会階層の移動を促し、貧困からの離脱に役立つ。
 
しかし、社会構造の変化で教育に不利な傾向になることもある。例えば就職市場の低迷により学歴が低く評価される。或いは今月の月刊で報道したように、生活費や学費のために必要以上にアルバイトしたり、卒業後は又高額な学費ローン返済のプレッシャーが掛かってくる。これらは学習の質を偏らせるだけでなく、教育の目的が歪められ、学生を貧困の中に追いやっている。
 
 
私たちは教育は今でも貧困を翻すことができると信じている。しかしそれには、社会が共同で関心を持つことが必要である。今月の月刊報道の中には、慈済が辺境の暗がりで生活している学生たちを長年支援していることを報道しているが、二〇一八年元旦から九月までの統計によると、学費補助を受けた者は延べ六千八百人余りで、新芽奨学金は八千五百人以上に支給している。後者は全台湾の学校で困難な生活に挫けず、優秀な成績を取っている弱者家庭の子女を表彰し、励ましている。
 
それ以外に慈済は重大災害の後、例えば二○○八年の世界金融危機が引き起こした大量失業が出た時や二○○九年の台風モラコット被害の時、「安心助学」計画を立て、家計困難に陥っている学生の家庭訪問と補助を行っている。同様な「助学」概念は海外にも広まっている。
 
ある新芽奨学金を受けた学生は表彰台で、学費補助だけでなく、慈済人が与えてくれた生活上の支援も生活のプレッシャーに耐える原動力になった、と語った。そして、反抗期の子供が目標を失っていた時、慈済人の付き添いで人生の目標を見つけた人もいた。補助を受けた多くの学生が、課外時間にボランティア活動に参加して、人助けできることを期待している。
 
法師は「支援を受けるのは一時的で、生涯にわたるものではありません。人助けの目標は、支援される人が自立して他の人を助けるようになることです」と言っている。教育の目的は、人生に立ち向かう能力を養うことで自分を守ると共に他人を利する人間を養成することである。学生が支援という模範的な励ましを得れば、後日、希望と力を他人に与えることができ、それこそが貧困を翻す希望の持つ意義なのである。
(慈済月刊六二六期より)
NO.267