慈濟傳播人文志業基金會
素晴らしい人
許倫維が骨髄を提供したことに、ボランティアが賞賛しました。「自分の子供が風邪をひいただけでも心が痛みますから、患者とその家族の長い苦労がよく分かります。数えきれないほどの治療に打ち勝ってきた患者こそが一番素晴らしいと思います」と彼は言いました。
 
香港の女性、彭望棣は二十歳になる前、慢性骨髓性白血病と診断され、どうしたらいいか分からなくなりました。しかし、骨髄ドナーの無私の愛が絶望していた彼女の暗い人生を一転させました。今では自由自在にどこへでも行くことができ、健康に対する心配はなくなったのです。彼女の家族はどうしても台湾に行ってドナーに感謝したいと思いました。
 
骨髄のドナーである許倫維は高校の時、街で慈済が骨髓寄贈登録活動を行っているのに遭遇し、彼は友達と共に採血してもらって登録し、その二年後、適合通知を受け取りました。彼の母はドナーになることを心配しましたが、幸いにも大愛テレビで『髄縁』という番組を放送していたため、一回目から内容をメモし、遂にあらゆる心配がなくなりました。あとは息子に栄養を与え、もっと健康になって人助けできるようにすることでした。
 
当時まだ若かった倫維がそのような重大な決意をしたのは、母親の大きな後押しがあったからでした。彼女はいつも息子に、「あなたの体はもう一つの命に繋がっているのだから、バイクに乗る時は気をつけて、飲食でも衛生によく注意しなさい」といい聞かせていました。
 
息子が骨髄を提供するために飛行機で花蓮の慈済病院に行く時、母親は手紙を渡しました。それには「その患者さんに比べると私たちはよほど幸せです。飛行機の中でも、手術台の上でも、どこに行く時でも心の中で『阿弥陀仏!』を唱え、礼儀正しくしなさい。あなたの帰りを喜んで待っています」と書いてありました。
 
 
  ●21歳で骨髄移植を受けた彭望棣は(中)、16年後香港から来台し、彼女に生きる道を与えてくれた恩人の許倫維(左1)とやっと対面した、2人の年齢はほぼ同じぐらいだった。
 
二〇〇二年六月十四日、倫維の手術は無事に終りました。彼の誰かを救いたいという切実な思いは恐怖心に打ち勝ち、手術を普通の献血だと思っていました。それよりも、手術の前夜、一枚のハガキを患者に送ろうと思い、長い間、考えてこう書きました、「心からあなたの世話をした人たちに感謝してください」。
 
倫維が出発する前、母親はわざわざ新聞紙で丁寧に包んだものを證言法師に渡すよう息子に託しました。法師が開いてみると中には六万元が入っていました。その金額は一人親家庭にとって決して少ない金額ではありません。
 
ボランティアが倫維の勇気を褒めると、彼はいつも「患者さんこそ素晴らしい。あらゆる治療を乗り越えてきたから」と言います。「子供たちが風邪をひいただけでも私は心が痛むのです。ましてや長い間、白血病と戦ってきた苦労は想像に絶します」。
 
まるで遠くに住んでいる家族のように、彭望棣の両親は許倫維をきつく抱きしめました。彭望棣は許倫維が彼女に送った祝福カードを携帯電話に残していると同時に、自分もカードを作って記念として許倫維に送りました。そして、感動に震えて涙を流しながらこう言いました、「このご恩は一生忘れません。私の友達もあなたの苦労に深く感謝しています。なぜならあなたの勇気のお陰で、彼には今でも私という友達がいるのですから」。
 
●同じ年ごろの彭望棣(前列右)と許倫維(前列左)は「喜びの出会い」活動の後のお茶会で、互いにこの十年余りの生活などを話し合った。(撮影・張晏瑜)
(慈済月刊六二六期より)
NO.269