慈濟傳播人文志業基金會
病と共に生きる
慢性骨髄性白血病に二つの治療法
 
大部分の慢性骨髄性白血病の患者は、分子標的治療薬で病状が抑えられる。
そして造血幹細胞移植は病気の進行を食い止める第二の予防線であり、
患者に生きるチャンスを与える方法といえる。
 
二〇〇七年十月、元来肌の色が濃い曾詠恩は、黒ずんできたようで、しかも体重が大幅に減り、お腹の脾臓部分のふくらみが触って感じられるほどだった。病院にて血液検査を行った結果、白血球指数が標準の二十倍にもなっていることがわかり、血小板の数もひどく低下していたため、「慢性骨髄性白血病(以後CMLと略す)」と医師に診断された。一種の悪性血液疾病である。
 
当時の医療分野には、すでにこの白血病を専門に治療する「グリベック(Glivec)」という分子標的治療薬があり、高価な治療薬だが、臨床試験では効果が明らかになっている。「心配いりません。この薬を飲めばそれで十分です。効き目は優れていますよ」という主治医の話を聞いて、香港に住んでいる曾詠恩と主人はほっとした。
 
薬の費用は毎月一万八千香港ドル(約二十五萬円)かかる。しかも「一生飲み続けること」と言われた。しかし半年飲み続けても薬の効果は現れず、医師をうならせた。早速骨髄を採取して検査した結果、曾詠恩の体内には同時に「多發性骨髓瘤」という別種類の白血病が発症していたのだった。これも悪性血液疾病である。
 
医師の話では、これは特別な病気で、全世界わずかに十症例しかなく、香港には彼女の症例だけだった。その後香港大学の医学院も、曾詠恩の症例を医学教材に取り入れた。
 
分子標的治療薬が効かない以上、骨髄移植だけが命が救えるのだと考えられ、曾詠恩は早速造血幹細胞移植を受けたが、一年も立たずに病気が再発した。やむを得ないが、骨髄バンクで身内でないドナーを捜すしか方法がない。それが最後のチャンスだ。
天は人を死に追いやることをしない。唯一の生きるチャンスは、慈済骨髄バンクで見つかった。面識のない人のヒト白血球型抗原(HLA)が曾詠恩と一致したのだ。
 
ガンと五年以上も闘い、毎週病院にて血液検査を受けてながらも体が回復に向かわなかった曾詠恩だが、二○一三年一月の始めに、やっとこの身内でないドナーからの造血幹細胞移植を受けることができた。長年ガンに蝕まれた後ようやく生きる道が開けたのだ。移植を受けた年、彼女は五十三歳だった。
 

●21世紀初めに分子標的治療薬が登場する前の慢性骨髄性白血病の主な治療法は、まず患者に化学療法の投与を増やし、その後骨髄移植を併用することであった。
 

命を救う薬 「買うには家を売るしかない」

 
台湾慈済骨髄バンクが成立して、もう二十五年が経つ。発起者はアメリカから台湾に帰った華橋である温文玲という慢性骨髄性白血病(以下CMLと略する)患者だった。彼女は分子標的治療薬がまだ開発されていなかった当時、台湾あるいは中国にさえも骨髄バンクの機関は全く存在していなかった。それに、例え一致した人が見付かっても、台湾の「人体臓器移植条例」に縛られ、自由に骨髄を移植するのは難しい時代だった。
 
異常な染色体によって遺伝子が傷つくことで発症すると考えられるCMLは大人に多く、一種の慢性ガンである。初期の病状は風邪と似ているが、有効な治療法を採用していかないと、数年以内に病状が更に悪化してしまう。統計によると、台湾では毎年新しく約二百名の症例が発見されているそうだ。
 
二〇〇〇年までに、CML患者への治療はほとんど「骨髄移植」とされ、ほかには完治する方法が無いと言われていた。二〇〇〇年になって分子標的治療薬が登場すると、骨髄移植はCMLの次に行う第二段階の治療法と考えられるようになり、CMLは薬物で治療して正常な生活や仕事に戻れる「慢性病」に変わったのである。
 
台大病院の血液腫瘍科の唐季祿医師は、現在「グリベック」という分子標的治療薬が白血球の異常細胞だけを狙い撃ちしその他の正常細胞を破壊しない唯一の治療薬であり、患者は病状が落ち着いた後は治療しながら仕事ができるようになると強調した。
九割の患者はある期間この薬を飲んだ後、病状が大幅に緩和された。ただ残念ながら、この薬はそれほど安価ではない、毎月の薬代が約二十五萬円近くに上り、しかも長期間で服用しなければならない。
 
幸い台湾は十数年前からグリベックが国民保健の給付薬品項目に登記された。それにより「買うなら家を売るしかない」という伝説が消えることになった。 
 

造血幹細胞の移植が第二の予防線に後退

 
曾詠恩と同じ香港のCML患者である彭望棣は、発病の年は二十歳にもなっていなかった。当時の香港では、グリベックは人体試験薬として無料で提供されていた。彭望棣は二〇〇二年からこの薬を飲み始め、六ヶ月後効果が出て、脾臓の肥大状況も大分改善した。しかし、試験薬の不確定要素もあるので、やはり骨髄移植が根本的な治療方法だというのが医師の勧めだった。幸いにその年に台湾の慈済骨髄バンクにて一致したドナーが見つかり、すぐに移植を実施することができた。
 
花蓮慈済病院の幹細胞精密医療研究開発センター主任の李啓誠も血液腫瘍科の医師である。彼は正直にこう語っている。CML患者にとって、もし台湾のような国民保健がなければ、あるいは頼れる個人保険や経済力がないならば、確かに長期的に分子標的治療薬を服用するのは難しいので、その際は骨髄移植の道を選ぶしかなく、それに分子標的治療薬の効果が見られない一部の患者にも、骨髄移植を勧める必要があるのだと。
 
 
骨髄寄贈に関する統計
(2018.11.30現在)
 
慈済骨髄幹細胞センターは創設されて二十五年、国内外で五万人余りの各種血液疾患患者のために白血球適合を模索してきた。
 
●適合模索総数:57,167人
●寄贈志願登録者総数:2,429,886人
●骨髄及び末梢血移植数:5,180件
●2018年度骨髄幹細胞移植:4件
●2018年度末梢血幹細胞移植:295件
●骨髄を提供した国と地域数:31国
 
資料:慈済骨髄幹細胞センター提供
 

台湾海峡を越えて恩人にお礼をする

 
二○一八年十一月三日、曾詠恩と彭望棣の二人は、家族に付き添ってもらって遠路はるばる香港から飛行機で来台北し、彼女の命の恩人に感謝を表明し、対面の儀式でお互いの健康を喜び合った。
 
曾詠恩は六年前のことを思い出していた。待ちに待った鮮やかで紅色の造血幹細胞が夜中二時過ぎ頃病院に届き、一刻の無駄も無く直ちにに彼女の体内に移植された。その時彼女は自分で誓ったのだ。必ず生きて退院することを。当時息子がまだ十五歳だったのである。 
 
移植前まず化学療法の投与を増やし、曾詠恩は三日間の内に四百錠の抗がん剤を飲んだ。その副作用により髪の毛が落ち、喉に潰瘍ができてしまった。「水を飲んでもガラスを噛むように突き刺さるので、薬を飲むことなどできませんでした」だがいくら辛くても努力して食事を摂り、短い時間で退院にこぎつけた。ドナーについて当時知らされていたことは台湾在住で二十三歳の楊さんという名前だけだった。
 
曾詠恩より少し早く移植を受けた彭望棣は、移植の年に、オーストラリアの骨髄バンクに一致した人を見つけたが、相手から骨髄をもらえなかった敬虔をしていた。その後台湾の慈済骨髄バンクでドナーが見付かったが、その造血幹細胞が既に飛行機にあると確定するまでは、安心できなかったそうだ。二○一八年骨髄授受者対面式で、彭望棣はやっと自分より年下の命の恩人である許さんと出会うことができた。
 
骨髄移植の医療技術は絶えず前進を続けている。分子標的治療薬もまた然りである。私たちが望んでいるのは、CML患者の治療薬だけでなく、その他の種類の血液ガン患者にも効果のある治療薬が開発され、さらに患者たちの薬代が負担可能な価格であってほしいということだ。それが実現すれば患者と家族にとって至福が訪れることになるだろう。
 
●高齢者の移植治療と言われた曾詠恩(右)は、2018年末ようやく長年の願いが叶えられた。香港から来台し、命の恩人楊淳惠に感謝した。
(慈済月刊六二六期より)

 

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