慈濟傳播人文志業基金會
呼吸しているだけでも感謝すべき
生命とはこれほど脆弱なもので、一旦、呼吸が止まれば、死がそこに来ている。然しながら生命の喜びを呼吸を通して感じ取り、全ては呼吸に回帰するという、最も基本的で現実的な現象に戻って、その些細な動作に満足し、感謝すれば、生命の喜びと感動が得られるはずである。
 
 
ALS患者が苛まれる病の苦痛は一般の人には想像すらできない。もし、地獄に十八層あれば、彼らは十九層に身を置いている、とあるALS患者が表現したことがある。
 
ある重度のALS患者は全身を動かすことができない上に、気管切開していて、会話にも大きな支障が出たため、ただ「キ―ワ―ド」でコミュニケ―ションをしていた。かつて彼はインタビューの中で「呼吸しているだけでも感謝すべきです」と言った。それは幾多の苦難に苛まれて体得した、代償の末に悟った言葉である。
 
だが少くなくとも呼吸しているということは、まだ生きている意味があり、人生の希望を最低限に抑え、生命の本質あるいは原点に戻って何も求めず、ただ生きていて良いということなのである。生きていることは最大の幸福であり、それ以外の何物も重要ではない。
 
「呼吸しているだけでも感謝すベきです」呼吸できることに感謝している人がどれほどいるだろうか。例えば、炭鉱の鉱夫が深い地中で仕事している時、一旦事故が起きると、酸欠で窒息死したり、ガスを吸い込み過ぎて死ぬこともある。或いは自身の健康に問題があって、口や鼻、肺などの呼吸器系統の病から、呼吸が出来なくなって死に至ることもある。
 
「生命は呼吸の合間にある」。生命はこれほど脆く、一旦呼吸が止まれば、死はそこに来ている。だが命の喜びも呼吸を通して感じ取ることができる。例えば、仏教の座禅の一つである「安般念」(「安那般那念」の略)即ち「数息観」(「呼吸を数えて精神の統一・安定を図る」パーリ語でānāpānasati)は有効な方法である。小さな動作から大きな結果が得られると『雑阿含経』にも書かれている。
 
即ち、人生のあらゆる行いは全て呼吸という最も基本的な営みに帰するのだから、その些細な動作を有しているだけで満足し、感謝すれば、生命の喜びと感動が得られるはずである。
(慈済月刊六二六期より)
NO.269