慈濟傳播人文志業基金會
衆生と清らかな縁を結ぼう
人の苦難を開放させれば、感謝の見返りが得られ、
 
見返りを求めない奉仕で法悦に浸ることができる。
 
衆生と清らかな法縁を結べば、同じ道を歩いて新たに道を開くことができ、
 
善行を行う菩薩仲間と成る。
 
 
今年の二月、ビルマ、マレーシアや台湾のボランティアたちがミャンマーで十日間に四万世帯余りに種籾の配布を行いました。彼らは帰国すると直ちに、精舎で配付状況を報告しました。疲れましたかと尋ねると、何時ものように「とても嬉しかったです」という返事でした。
 
去年の七月から八月にかけて、ミャンマーで大洪水が発生し、田園が水没して収穫前の稲穂が被害に遭いました。ボランティアが調査に行った時は水が退いた後で、水田には雑草が生い茂っていました。農民によると、元々借金して農業をしていたところに、更に借金しないと農耕に復帰できないのです。彼らの身になって思うと心が痛みます。
 
水が退いた後は、来季の田植えまで何か月もあります。この時期を上手に利用することを思いつきました。どんな種でも植えれば、自然と収穫できるため、その収入で借金の返済ができるのです。そこで良質のグリーンピースの種を配付しました。再度ボランティアが種籾の配付に訪れた時、数か月前に植えたグリーンピースが豊作になっており、皆、喜んでいました。
 
ある農民によると、ボランティアの調査とはただ見に来るだけだと思っていましたが、二度も種の配付に来てくれたのは思いもよらなかったそうです。その上、ボランティアは身内のように彼らを抱擁しながら自分の力で立ち上がるよう励ましました。慈済の「竹筒歳月」の話しをして、人は誰でも人助けすることができるのだと諭すと、農民達は自分も毎日一握りの米を蓄えることで人助けができると分かり、その場で千人以上の人が登録すると米貯金用の御櫃を持って帰りました。
 
慈済の支援で農民の生活は安定し、心が落ち着くと共に智慧も成長し、人々は互いに愛を伝え、この世に幸福をもたらそうとしています。
 
 
広い世間の中で、耳にし目に見える苦難に対して、人々は歩み寄り手を差し伸べていますが、その過程は困難で複雑なものです。それでも、この世の菩薩たちは結集し、心が揺らぐことなく、幾重もの困難を克服しながら遠きを厭わず利益も求めず、一途に人を救おうと、法で以って衆生を導き、人々の心に福徳と智慧を育んでいます。
 
これは経典の中にある理想の境地であるだけでなく、現実のこの世の菩薩道なのです。今生のこのような因縁を大切にし、時を把握しながら慧命を成長させなければなりません。
 
菩薩道は永遠に続き、断続的なものではありません。人の世が最も良い道場なのです。なぜなら最も煩悩を起こさせる所が人の世であり、様々な境地や味わいを感受することができるのです。仏道を志したからには一心一志に前進する人もいれば、中途で分かれ道から逸れる者もいるでしょう?または「自分はこれだけ奉仕したのにまだ満足してくれないのか。これ以上続けなくてはならないのだろうか?」「人助けしているのに批判されていてはやっていられない。止めようと思う」等と思う時もあるはずです。しかし、このまま止めたら自分にとっていいことなのだろうか、とよく考えてみてください。
 
もし、自分に対して自信が持てないなら、是非に対しても考えが定まらず、時が過ぎ去り、元の位置に留まったままです。「発心は容易でも長続きさせるのが困難」ですから、ああでもない、こうでもないと思うことは自分の妨げとなるだけです。縁に従がって古い業を消し、逆風を受け止め、気にせず、一歩ずつ譲れば何事もなく、道は広く歩きやすくなり、災厄も起きなくなります。発願すると共に尽力して奉仕し、なお且つ幾世にも亘ってそれを続けるのです。
 
修行の目的は自分を啓発することであり、人生を体得して道理を理解することです。煩悩無明は他人と自分の間に是非をもたらし、休まることなく業を積み重ね、それが結集してこの世の苦難になるのです。「道理に明るくない」ことが「無明」です。道理が分かれば、警戒を持ち、人との間で気まずい縁や悪縁ができてはいけません。人との関係は淡い水のようにあるべきで、それも清浄な法水であるべきです。
 
 
衆生を利する志を立てたなら、誰かが生活に困難をきたしていると聞けば、たとえ山を越えても甘んじて助けに行き、時間も体力も財力も費やして、その人に生きる望みを与えるべきです。もし病痛で医者も薬のない時は、速やかに治療を受けさせ、苦痛から解放してあげましょう。衆生の煩悩を取り除く手伝いをすると、お互いの心が清らかになるでしょう。
 
相手の苦難を解けば、感謝の心が生じ、発願してついて来れば、私たちは見返りを求めず奉仕するため、法悦に溢れます。それが福縁を結ぶということです。そして、その善縁や福縁が将来修行する時の糧になります。衆生と清らかな法縁を結べば、同じ道を歩み、共に道を切り開いて、善行をすることができるのです。共に菩薩を発心した道侶が菩薩仲間なのです。
 
人に助けられた人は人助けすべきであり、その見返りは善そのものです。常々、人々に善法を行うよう励まし、苦難を助け、善行するよう呼びかけ、世間に苦難が起きないよう努めるべきです。皆さん、心しましょう。
(慈済月刊六二九期より)
NO.269