慈濟傳播人文志業基金會
教室外の教室

木陰、壁際、窮屈な教室、子どもたちの後姿「私たちは勉強がしたい」と訴えているかのようだ。

マプト国際空港に着いたのは深夜だった。十月三十日、ようやくアフリカ南部に位置するモザンビークにたどりついた。
 
凸凹だらけの道を車に揺られ、慈済が間もなく建設援助を行うヌドラベラ学校予定地に到着した。一行が道端の木陰でしばらく休憩していると、十数人の様々な年齢の子どもたちがのんびりと歩いているのが目に入った。腕時計を見ると午前十時を過ぎている。常識的には学校にいる時間ではないかと訝しんだが、四十年以上前に独立したモザンビークでは長い内戦により民衆の生活は困窮し、子どもが教育を受ける権利も国家の財政難による影響を受けているのだとボランティアが説明してくれた。
 
 
「義務教育は七年生までですが、校舎と教師が足りないので、公立学校の子どもたちは日中三部制授業で、各部三、四時間授業を受けています」。この答えに私は興味が湧いた。私たちが六千人以上の小学生が在籍するヌドラベラ学校を訪問すると、教室では前方の通路にまで子どもたちがあふれていた。
 
教室での唯一の隙間といえば黒板前のわずかな通路のみ、一番前に座る子どもたちは教師が歩く際に足が引っかからないよう、常に両足に注意していなければならない。それでも授業を聞く子どもたちの真剣な眼差しから、知識への渇望が感じられた。
 
一行が校庭を訪れると、教室の外の壁に古い黒板が掛けられており、子どもたちは地面に座って熱心に授業を受けていた。私たちの存在を少しも気にかけないようであった。その数メートル隣にはまた別のクラスがあり、教室外の「教室」を数えてみると、なんと三つもあり、同じように授業が行われているのだ。
 
遠くの大きな木の下に子どもたちが車座になっているのを目にし、最初は屋外授業かと思ったが、そこも教室だった。子どもたちは車座で熱心に授業を受けていた。数メートル離れた場所の木の下では、教師がノートを訂正しているのを、子どもたちは行儀よく待っていた。
 
また一つ別の教室が目に入った。それは何枚かの布と鉄板で囲まれた空間だった。辺りは砂埃が舞い上がっており、布は砂埃防止用ということなのだろう。
 
一つの学校に様々な授業空間が出来ている。子どもたちは比較や選択を行う必要も、その術もない。学ぶことができるというだけで、充分にありがたいことなのだ。
 
現地の慈済ボランティアの蘇柏嘉は、三部制の授業の各部の入れ替わり時間は五分しかなく、百人近くの生徒が教室を出入りする際には、子どもたちの暗黙の了解と規律が試されるのだと言った。
 

●モザンビークの公立学校の多くが教室、教師不足に直面している。(撮影・蘇柏嘉)
 
車に戻ると、十数年前の九二一大地震による台湾中部の被災地を思い出した。民家や学校が倒壊し、子どもたちは木の下やテントで吹きさらしのまま授業を受けていた。そこで慈済は教育を中断させず、また保護者も再建に集中できるようにと臨時教室を建設した。三年の時を経て、慈済の建設援助した「希望工程」が傷ついた大地の上に聳え立ち、真新しく堅牢なキャンパスに教師や生徒を迎え入れた。
 
今再び長年の内戦を経たこの国のことに思いを馳せる。インフラは未だ整備中で、子どもたちの教育も有り合せの設備を利用するしかないのが現実だ。交流日程を終え台湾へ戻ってからもアフリカの子どもたちの澄んだ眼差しが脳裏に焼き付いている。彼らが台湾の子どもたちと同じように、安全で清潔な環境で成長できるようになる日が来ることを、心から願う。
(慈済月刊六二六期より)
NO.269