慈濟傳播人文志業基金會
本当のアフリカへ ようこそ
歴史の傷跡はいまだ癒えず、一般民衆の生活は苦しい。
これがアフリカである。
貧しい大地での歩みは苦難に満ちているが、
それでも苦難にある人々のもとへ歩み、
貧しい人が貧しい人を助け、更なる真善美を目指す。
これもアフリカである。
 
台湾を出発してから、乗り換えや待ち合わせ時間を含め飛行機で二十時間をかけ、明け頃ようやくアフリカに到着した。
 
飛行機がゆっくりと南アフリカのダーバン空港に着陸し、ターミナルビルを出ると、目の前に広がるのは大草原ではなく、整備された道路、現代的な施設、オフィスビル、ショッピングセンターや絶え間ない車の流れだった。「ここは本当に苦難のアフリカなのか?」思わずそんな疑問が浮かんだ。
 
しかし華人ボランティアの袁亜棋とズールー人の慈済ボランティアに案内されながら、アフリカ支援チームの一行が車で一時間ほどの距離にあるダーバン近郊に到着すると、目に入るのはレンガ造りの低い建物、ビニルテントを竹竿で支えたマーケット、ぼろをまとった子ども、コンテナを改造した小さな雑貨店だった。コミュニティに足を踏み入れると高齢者と子どもばかり、にぎやかなビジネス街とは全く異なる光景が広がっていた。
 
「本当のアフリカへようこそ。南アフリカの貧富の格差は極めて大きいのです。植民地時代には人種隔離政策が実施されていました。現地の住民は白人施政者の支配を受け、一九九四年マンデラが大統領となった後、人種隔離政策は撤廃され、黒人は平等な待遇を受けられるようになりましたが、歴史の傷跡を癒すにはまだまだ時間が必要で、人口の大多数を占める黒人の生活はいまだ窮乏しています」。現地に暮らしてすでに十三年になる袁亜棋はこう話した。
 
●200名を超えるアフリカ南部8カ国の現地ボランティア幹部が2018年10月下旬、南アフリカでの研修に集まった。(撮影・林岱融)
 
ンシム-ビニ・コミュニティには、慈済ボランティアが建設援助したコミュニティセンターがあった。建物の中のしつらえは簡素だが、現地ボランティアと住民の重要な拠点である。十坪ほどのスペースは人々が集会したり、炊き出しを孤児に提供したり、愛心米を貯蔵したりでき、現地ボランティアが国際交流キャンプを行う際には、宿泊施設としても使われる。
 
小屋のもう一つの役割は、コミュニティのミシンクラスである。現地のズールー人ボランティアは時間がある時に衣類やバッグ、アクセサリーなどを製作し、売上をコミュニティ支援のために使う。長期支援住民のテレサの教会主教であった夫は、證厳法師の大愛の精神に感動し、教会を建てる予定だった土地を慈済基金会に寄付し、このコミュニティセンターが誕生した。
 
夫が二ヶ月前に亡くなり、喪に服していたテレサは、台湾からやって来た慈済ボランティアに会うと皆の手を握ってありがとうと繰り返した。この瞬間の魂の交わりは、国籍や種族、言語を超えていた。
 

炊き出し拠点で自力更生

 
南半球の十月末は春夏の交代の時期で、気温は高く乾燥している。七十五歳になる慈碧(シビシ)師姐は、近所の五十数名の貧しい孤児や高齢者のため、粗末な露天の厨房でかまどに火を起こし、ご飯を炊き、おかずを作る。
 
ムカジニ・コミュニティに住む慈碧(シビシ)師姐は、慈済と縁を結んで間もなく二十年になり、自分の家の厨房を炊き出し拠点としている。一見何の変哲もない作業も、実はよく計画されたものだ。定期的にボランティアから受け取る台湾愛心米を、毎週一食分の量に分け、足りないときには自分でパンを焼いて補充すると共に、おかずの種類を豊富にできるよう調理場の近くに菜園も作っている。怪我をして二度手術したことがあるにもかかわらず、慈碧師姐は今でもやはり熱心に人助けに取り組んでいる。
 
ダーバン市郊外には二百近くの炊き出し拠点があり、それぞれ週に一回から三回食事を提供しており、炊き出しを必要とする人は毎月約五千人いる。わずか十五人の華人慈済ボランティアではまかないきれず、現地ボランティアに頼むほか、住民とともに食材を用意し、自力更生に励んでいる。
 
二十代のンカラニフォ・マクフヌとサムケリソ・マグワザはダーバン在住の現地ボランティアで、いつもは家庭訪問のプランニングを担当している。
 
交通の不便な山道を越え、家庭訪問を続けているボランティアの姿に感銘を受けた彼らは、現地の若者を連れ、毎月車で山や谷を越え、車が通れない場所は歌を歌いながら徒歩で支援に通っている。おかげでダーバンの慈済支援世帯はすでに二千世帯を超えた。
 
●南アフリカのダーバン市郊外の山には貧困世帯が点在し、現地ボランティアが毎月支援に訪れる。台湾の支援チームもともに愛心米を届けた。(撮影・林維揚)
 

帰ったら人々とともに活動

 
ランセリア国際空港傍に位置する慈済育成センターは、南アフリカ最大の都市ヨハネスブルグにある慈済の新拠点である。華人ボランティア李慶隆が無償で提供し、日頃は炊き出しや現地ボランティアの会議や修行に使われている。今回、私たちはちょうど一年に一度のアフリカ南部八カ国現地ボランティア幹部の研修キャンプと遭遇した。
 
南アフリカ、レソト、ジンバブエ、エスワティニ、モザンビーク、ボツワナ、ナミビア、マラウイという八カ国の現地ボランティア幹部が二泊三日の研修課程を行っていた。キャンプの前に周到に準備を整え、宿泊場所を拡げようとボランティアは板でベッドの枠組みを作り、マットを敷いて、シンプルだが温かな宿泊スペースを作っていた。
 
華人ボランティアと現地ボランティアが毎食二百四十人分の食事を準備し、現地ボランティアはスムーズに講義が進むよう、必要な視聴覚設備、生活物資の準備や清掃も担当していた。各国のボランティアは熱心に研修を受け、誰もが「帰ったら人々とともに活動します!」と話していた。
 
キャンプでは、ダーバンで会ったことのあるナミビアのボランティア四名に出会った。「慈済は国際バスの費用を出してくれましたが、私たちには自宅からバス停へ行くまでのお金がありませんでした。今回の南アフリカでの精進活動参加を一度は諦めましたが、亜棋師姐が励ましてくれた上、募金で費用を集め、現地華人ボランティアが移動の間の食費も提供してくれたので、バスで三日かけてここまで来ることができたのです」と彼らは語った。
 
キャンプに参加したボランティアたちは時間を惜しんで慈済の理念や行住坐臥の儀軌を学ぶほか、あるナミビアのボランティアは、帰国して家族に教えられるようにと、食事の空き時間に『供養歌』の歌詞と意味を書き写していた。
 

モザンビーク式救援物資配付

●モザンビークでは毎月生活保護世帯への物資配給を実施している。現地ボランティアは歌を歌いながら一人一人に白米を手渡す。(撮影・蘇柏嘉)
南アフリカに別れを告げ、一行は華人ボランティア、蔡タイリン師姐とともに、飛行機で今回の行程の最終目的地モザンビークの首都マプトへ向かった。空港を出ようとすると歌声が響いてきた。四十名近い現地ボランティアが歓迎団を組織し、歌と踊りで迎えてくれた。互いに抱き合って出会いを喜び、情熱と感動の旅が始まった。
 
南アフリカの隣国モザンビークには、蔡師姐の先導により、すでに三千百五十名の現地ボランティアが活動している。今回私たちは、市の中心から車で約九十分の距離にあるマフボ・コミュニティ、二○一八年二月にゴミ山崩落の発生したヒューレン・コミュニティでの二回の救援物資配付に参加した。
 
アスファルトの道路の他、レンガの道や泥道を通ってようやく市郊外にあるマフボ・コミュニティに到着した。支援世帯の人々は、既に木陰に並んで待っており、歓呼の声と歌で私たちを迎えてくれた。過去に参加した救援物資配付では、ボランティアが決まった場所に立ち、生活保護世帯の人々が並んで物資を受け取るというものだったが、モザンビーク式の救援物資配付は、生活保護世帯の人々が地面に座り、ボランティアがかがんで物資を手渡すという形をとり、人々への尊重と礼儀を現した。救援物資配付前には牧師とともに人々が祈祷し、宗教的雰囲気の漂う中で、生活保護世帯の人々は精神と物質の両面で充実を得られたようだった。
 
ヒューレン・コミュニティでの救援物資配付ではまた別の感動があった。そこは首都の中心地に近く、空港から車でわずか十分の距離にあるが、豪華な別荘が立ち並ぶ近隣の海浜地区とは雲泥の差がある。生活保護世帯の人々が愛心米を受け取ると、ボランティアが竹筒を持って慈済の「竹筒歳月」について紹介した。驚いたのは、ほとんど全ての住民が、人助けに役立てたいと持っていた小銭をその竹筒に入れたことだった。
 

「慈済の家」やる気があればできる

●モザンビークの集会所「慈済の家」は現地ボランティアのコミュニティ支援の拠点である。毎週様々なボランティアチームが精進し、簡素な仏堂の中で共に修行に励む。(撮影・林維揚)
 
蔡師姐によると、民生環境が悪く、また長い間植民地支配されていたため、モザンビークの人は一般に感情をあまり表に出さず、笑顔も少ない。慈済人が支援を始めてからはだんだん喜びを笑顔で表すようになったという。この点について最も印象深いのは「慈済の家」である。
 
「慈済の家」園区はマプト市にあり、一日精進を行っていた現地ボランティアたちは私たちの到着を知ると、列を成して歓迎してくれた。歌声の鳴り響く熱烈な歓迎に私たちは驚き喜んだ。
 
園区には、たわわに実ったマンゴーの木、整備された菜園があり、どれも無農薬の野菜や果物だった。ボランティアたちは自分の持ち物をまとめて木の下に置いて、菜園で水をまいていた。園区には、證厳上人が賛嘆する「世界最大の仏堂」と「世界最大の厨房」もあった。トタン板で建てられた仏堂には壁がなく、ボランティアたちは砂地に座り、外を囲むように何人でも座ることができる。
 
「慈済の家」では、台湾とビデオ会議をする準備が行われた。七百名近い現地ボランティアは半日かけて『勤行頌』の太鼓・鐘演繹を練習していた。皆、園区に落ちていた木の枝を拾ってバチとし、ボランティア蔡雅純の演技を手本にした。私たちの間のコミュニケーションは中国語をポルトガル語に訳し、それをまた現地の言葉に訳して行われた。言葉は通じないが、熱心に学ぶ雰囲気と、肢体の動きからあふれ出る道心を感じることができた。
 
アフリカで見聞きしたことは、驚きと喜びに満ちていた。現地ボランティアは自分の生活も豊かとは言えない中で、どうすればより多くの人を支援できるかと常に考えているのだ。現在という時間を大切に、積極的に奉仕すれば、安定と平和が愛の力とともに各地域の隅々にまで広がっていくに違いない。
(慈済月刊六二六期より)
NO.269