慈濟傳播人文志業基金會
心深く愛を植え付ける
 
大衆の愛を啓発することで湧き続ける泉にする。それがうわべだけの縁のまま、ひとたび風が吹いたり手を叩くだけで消えてしまうようであってはいけない。
 

喜びに満ちた健康な細胞を育む

 
大愛テレビ局の番組「高僧伝」の中の「最澄大師伝」の撮影のため、先日、唐美雲師姐は歌劇団を率いて日本の比叡山を訪れた。帰国後彼女は、凍て付く雪の降る日に困難を克服して撮影した時の話と、そこで高く上げた右手で「三」を示していた菩薩の石像を見つけ、それには三つの願を掛けた意味があることを語ってくれた。
 
「一つ目は道心を持った人になり、仏陀のようになること、二つ目は善行し、良い言葉を口にする人になること、三つ目は社会の暗がりを照らす人になることです。どんな環境にいても、機会さえあれば奉仕し、精一杯、力を発揮して人助けすることです」。
 
「高僧伝」の撮影チ―ムは、地道に大師の修行軌跡を訪ね、大師が一心に志を立てて心から専念したことではじめて、困難を乗り越え仏法を広めることができたことを見証したのです」と上人は言った。また、番組が表現する高僧の物語、台詞、演技の全てを参加者が心に銘記し、世の衆生のために発心立願すると共に、どんな環境にいても決して変わることのない固い決意を持つよう望んだ。
 
「石像菩薩の三つの願である、道心を持つ人、善行する人、良い言葉を口にする人、社会の暗がりを照らす人になることは慈済人の目標でもあり、普段からそれを目指して努力しなければいけません」と上人はボランティアに開示した。
 
「私が出かけて行く必要もなく、皆が私の行きたい所に行き、私のしたい事をし、私の言いたいことを言ってくれることを、いつも本当に幸せだと思っています。慈済人は善行して良い言葉を口にするだけでなく、良い願を発し、愛で以て暗がりを照らし、人々の心を開いて良い方向に心と行為を向けてもらうのです」。
 
また、「仏は霊山にあり、それは遠くに求めるのではなく、心の中にあるのです」と強調している。修行とは修心養生と端正な行いに重きを置き、心を無限に広く持ち、あらゆることを受け入れるべきです。「人体は計り知れない数の細胞から成り立っており、心が安らかで楽しければ、細胞も喜びに満ちて健康になります。もし、煩悩が起きて体の細胞の機能が調和を保てなくなれば、病気になってしまいます。従って、愛を育んで見返りを求めず奉仕することで社会を利し、無私の人助けをして喜びを感じ、体の細胞を健康に保つことが大切です」と語った。
 
 

活発であっても優雅さを失わない

 
宗教處主任の報告を聞いた上人は、「慈済の活動が活気に溢れるのはいいことですが、優雅さを失ってはいけません。多くのボランティアを動員して時間と経費を使って活動を行うのですから、活動の主旨を明確にし、愛を啓発して一緒に善行する目的を達成させなければいけません」と言った。
 
「純粋な愛を募る活動は人々の心に愛を深く植え付けることができ、そのような活動は最も成功したものと言えるでしょう。そして、集めた募金の多少にかかわらず、慈済がどのように社会を利し、どのような人を助けたかを人々に知ってもらう必要があります。人々に因果関係を説明し、良縁を結ばなければいけません。その縁がうわべだけのまま、風が吹いたり、手を叩いただけで消えてしまうようであってはならず、その愛を湧き続ける泉にしなければいけません」。
 
「若い人は説法を聞くのが苦手なため、活動を通して皆で迎え入れ、法を心に取り入れると共に法脈宗門の精神を理解して共に菩薩道を歩むことを願うように導くとよいでしょう」。
 
唐美雲師姊の団員である美術設計士の楊世丞さんは、ペットの猫を動物病院に連れて行った時に、ガチョウを家族のように可愛がって世話している人を見かけた。その後楊さんは食卓にアヒル料理が出た時に病院での様子を思い出し、もし自分の猫が料理になったらどう感じるだろうと思ったそうだ。彼は「高僧伝」の撮影期間中、菜食を続けたが、その後直ぐに「七月吉祥月」の経典劇を演出することになり、それを機会にずっと菜食を続けている。
 
「楊さんは自分の反省と心の変化と共に仏法の影響下で生命の尊重と衆生の愛護を実際の行動で表しました。若者に『生命を尊重する愛に感謝しよう』と教えようとしても、古くさいと思われたり、仏法は余りにも難しいために尻込みしてしまうかもしれません。映像を通して実例や統計の数字を使い、浅い道理から深いものへと、若い人に感動を与えながら啓発することで、共にこれらの知識と認識を携えて行動してもらうことができるのです」と上人は言った。
(慈済月刊六二九期より)
NO.270